春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

能登の魂、キリコは燃えていなかった。北國新聞。

2024-02-19 21:11:02 | 被災


『キリコは能登のシンボルであり、
祭りは生活とも密接に関わっている。
祭りができなくなってしまうと、みんなの心が折れてしまう』
1月1日の能登の震災、
家屋の崩壊、地盤の隆起、道路の亀裂、火災・・

火災で焼失しなければと願った、キリコ会館。
約30基が保管、展示されていて、20基が壊れたと。
職員も被災したため、
これまで詳細な被害を、確認できていなかったという。

2月18日午後2時、北國新聞と職員たちが、
キリコ会館に入って、1枚の写真を公開。

職員たちは、暗闇に懐中電灯を照らしてみた光景に、
言葉を失い、
『 あの日以来、展示室に入るのが怖かった 』
『 地震は日常だけでなく、能登の魂まで奪うんか 』と、
5、6メートルのキリコが行く手を阻むように横倒しとなり、
漆塗りの担ぎ棒には痛ましい亀裂が刻まれていた・・と。

北國新聞の写真は、
下の写真の、左の青い2つの丸印以外の、
キリコは右、左に折り重なって倒れている。


一枚の写真だけですが、私はいくらか、ホッとした。
ひとつ、肩の荷が下りたような気がした。
燃えてなかった ‼
折れて倒れても、形が残っているなら ‼・・と。


👇この「蒙福徳」の山車は12メートルちょい、
担ぎ棒と、4本柱が折れ、傾いていたと。





『 祭りや行事、
人と人のつながりが能登を復活させる
一番のモチベーションになる
それを支援するのが県の最大の仕事だ』・・と、
馳浩知事は云う。
今、私は信じる‥ウン ‼

職員がつぶやく、
『 夏には祭りができる状況になってほしい 』

現実になるのを願いながら

 
コメント (4)
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『MINAMATA』写真家の悶え。ユージン・スミス。

2021-02-21 12:42:49 | 被災


今日は春、春。
寝つき前、貴重な自由時間の今日、
予定に心地よかった。
なのに、出かけの玄関、
知人の訪問の知らせを受けて、
回れ右!
40日の部屋埃に衣服を汚しては・・と。
二の次にされた、ブログの投稿写真は、
暇つぶしの?ちっこい権力者の前に敢え無く、
ノックアウト!・・です。

昨年ドイツベルリンで2月、
写真家を主人公にした映画が、
ベルリン国際映画祭で公開されて、
話題になってた。
失意で酒付けになっていたユージン・スミスさん。
3年前、日本でも彼の作品展があった。
映画をプロデュースしたのは、
話題に事欠かない、
ジョニー・デップ氏。
起用した俳優に、
真田広之さん、美波さん、浅野忠信さん。

今年、2月アメリカで、イギリスでトルコで上映中で、
近くイタリア、フランスでもオーストラリア・・も
公開される・・のに、
「MINAMATA」
きっと、日本でも公開されることを望んで・・。


『MINAMATA』
ジョニー・デップ主演
20/02/25






👇英語の説明に・・
私は、英語もフランス語も、スペイン語も中国語も・・
あるいは日本語もちんぷんかんぷんで・・
ただ、一枚の絵から、
撮った方の
見えない言葉が、
伝わってきます。

The story of W. Eugene Smith 

 

春は来てるのでしょう
冬を忘れても
忘れてはならない

「記憶袋」
ふと、紐といて
立ち止まる
それも
明日への道かもしれませんね!




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2月10日『不知火忌』・『苦海浄土』石牟礼道子の悶え神。

2021-02-19 21:54:09 | 被災



石牟礼道子『苦海浄土』刊行に寄せて



👇第二章
石牟礼道子さんの思う共同体、
もうちょっと心の隅々まで、あるいは肉体の隅々まで、
温めあうような、
死んだ先までも忘れ難い絆がないと、
あんな北風がびゅうびゅう吹く東京の
ど真ん中です座られたものではありません。

大学総長の田中優子さんは、
道子と呼び、
道子はさらに云う。
「戦う共同体」は決してユートピアではない、
心ひとつにして、一丸となって闘いを挑んでいく、
という美化されたものではない。
個人の立場の事情が、絡み合い、
諍いもあれば仲間割れもある、
揺らぎながら、震えながら、立ちすくみながら、
生き延びるための戦いに挑んでいく・・と・・。




👇汚染地に留まり続ける老婆.
酒の力を借りて事故処理作業に従事する男,
戦火の故郷を離れて汚染地で暮らす若者.
四半世紀後の福島原発事故の渦中に,
チェルノブイリの真実が蘇える



石牟礼道子を偲ぶ「不知火忌2021」 

繋がぬ沖の捨て小舟
生死の苦界果てもなし
👆「不知火」の冒頭の言葉は
「苦海浄土」の始まりの言葉と同じである。


 
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