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八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

世界一の果報者!シアトルで夢を捨てた男、節三!

2017-02-06 20:14:20 | 節三・Memo

床屋に行こうと決めてから四日目の夕方を迎えました。
意志薄弱というか・・・
優柔不断と言われて、
しっかりと頷いて、
暖かい八王子でボ~としている貴公子。
酒瓶を横目に、煙草をプカッ!

昨日から今日まで、ブログの動物に寄せる愛情の記事を、
読んでいると、
住む環境を変えてみるか、とか、
今からだと、自分が先に、虹を渡るから、とか、
「友」の仕事を増やしてしまうな、とか
でも、すごい活力が湧くだろうな、とか、
考えているうち、ブログは?、と
駆けずり回って、探したのでありますが、
何処へ置き忘れたか、捨てたか・・・・
進まないのであります・・・・


ひっとらえるなり、

島流しにするなり、


出来ればこれは、これだけは、勘弁下されば、

あとは、どんなお裁き。なん、な~りと・・・・!
どうか、
明日は、何か探してまいりますので・・・・今日はこの辺で、ご勘~べんを!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【節三・Memo】

林田民子さんの記事にアクセスくださる皆様へ
秋田魁新報には、現在この新聞はなく、
秋田県立図書館が窓口となって、取り寄せた、
(株)那波伊四郎商店提供のマイクロフィルムからの複写です。
この日付から、遡って節三の日本でのあしあとを探る、貴重なものでした。
新聞は、翌日、翌々日と「このゴシップ」を扱っていますが、
節三の実像が、浮き彫りになっています。
当時の新聞は、情報収集の手段が今のように、便利ではなく、
事実と異なることも、多々ありますが、
この記事は、シアトルから、東京に入り、東京の小新聞・朝日新聞から、
秋田県の魁新報に電話で、送られた情報。
数年後、この青年の存在が、トルーマンを巻き込んだ林田民子さんの、
小説となり、ブログで拡散されることになるのですが・・・
今でも、ブログにアクセスがあり戸惑いもあります。
出来れば、小説「夢のなかに生きた男たち」を読んで、かつ、
「幻の遺産」を読み、私の【節三Memo】を参考にしていただければ、
ブログで騒がぐほどの事ではなかった、と思っていただければと思います。
虚構は虚構と踏まえて騒ぐなら、これまた、大拍手ですが・・・。

米国人さえへ羨む
 
世界一の果報者
   
小坂生まれの青年柔道家が
     
女長者五人目の花婿

東京電話=幸運は思わぬところから来る
日本の貧しい一青年が
最近アメリカカリフォニア州きっての女長者と結婚して
黄金国アメリカ人さへ「世界一の果報者よ」と羨んだとの話
この果報者は当年

三十一歳の太田節三君という青年
鹿角郡小坂町生れ大正四年大舘中学卒業
上京小石川中富坂十九講道館師範三船久三氏の門下生となり
中央大学法科に学んで大正十一年アメリカに留学したが講道館で
習いおぼねた柔道五段が役にたって
柔道指南で学費を稼ぎながら勉強したという経歴の持ち主。

花嫁はアメリカ長者番付の前頭をつとめカリフォニアにて
並ぶものなしという女富豪のハンニング、ロッス
とって五十、オールドミス嬢の厳父はハンニング将軍といって
鳴らしたものである一人娘の嬢はこれが結婚の初めてではなく
五人目だが二人の恋愛が成立すると、

四人目の夫を相手取り訴訟を提起し
太田君は晴れて妻と呼び夫と呼び合うこととなった。
その間幾多のローマンスのあったことは想像されるが
そのご両人は近く日本へ新婚旅行に出かける計画だと


〇印= 不明文字 
            
大四年 ⇒大正五年。一年落第。
中央大学⇒明治大学不祥事で退学。後、中央大学へ転入。
一人娘 ⇒姉と兄がいます。姉は当時フランスに居住。


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