1700始め、高松又八を元祖とした上州黒保根の、
彫刻花輪集団の活躍が、かげりを見せ始める。
1800年にはいると
外国軍艦が、どっと押し寄せ、
事件も起こり「鎖国の日本、平穏を壊されたくない」の、
思いは、通じなくなる不穏な時代に入る。
1800年、天台宗三峰山観音院高雲寺(三峰神社)。
関口文治郎69歳、
文治郎の彫りを、
武州塗師棟梁、善次郎、配色森田清吉が彩色した、
社殿を眺めて、秩父を後にする。
53年後、神社水舎を手掛けたのが、
飯田岩次郎。
自由に発想を鑿に伝え、文治郎が一目置いた、
石原銀八の2代目の門人、
飯田仙次郎の息子。
浦賀のペリーの黒船の物遊山で湧いた年。
その岩次郎の息子たちも、
やがて、彫師で「飯」が食えなくなっていく。
天台宗三峰山観音院高雲寺は、
すべての仏像を宝蔵に安置し破壊の難を逃れるが、
今は神仏分離のあおり、
神道一途になり「三峯神社」となる。
今は恋の成就に一役買う、若人に人気の神社で、
駐車場はいっぱい。
文治郎が手掛けた社殿と、拝殿内部。
飯田岩次郎の水舎 👇
拝殿の天井👇
秩父の花、草、木が描かれて・・。
1853年再建された手水舎👇
極彩色、柄杓の水、指の先受けるのも、はばかります。
手水屋の天井👇
ここでエピソード。
「三峯神社、こんなにきれいだったかしら?」
勝手に、私の山の師匠にした、上州、榛名山麓の「たかさん」
ここへは、
平成14年7月1日以前に、訪れたのでしょう、
平成16年秋頃まで改装したようですね。
(私は彩色補修をしなかった頃の神社を見たかった。
榛名神社のようにです!)
写真 2018.6.9 / 8.23