年が明け、春も到来。
ぽかぽか陽気の土曜の昼下がり、洗濯を終えて一息ついたときにふと気づいた。
正月帰省以降、特にどこへも行っていないということに。
何のためのアテゴンか!?
行こう!どこかへ!!
ということで、急遽準備をして14:30に自宅を出発。
しばらく一般道を走り、五日市ICから山陽自動車道へ。(途中渋滞あり・・・)
ひたすら西進し、日没頃に九州上陸。
九州自動車道を西進し、福岡ICから福岡都市高速と西九州自動車道を経由して、唐津市へ。
そして、22時過ぎに「道の駅 桃山天下市」へ到着。
アテゴンの全ウィンドウに、内側から”車種専用サンシェード”を装着し、エアマットに吸気を充てんし、ビール的なものでノドを潤して就寝。
翌日曜日、目覚ましセット時刻前の6時に起床。
準備を整えて、6時半過ぎに移動開始、5分ほど車を走らせて現地駐車場に到着した。
まずは「なごや城」だ。
「なごや」といっても、”金のしゃちほこ”で有名な名古屋城ではなく、”織田信長生誕の地”とも伝わる那古野城でもない、「名護屋城」だ。
ただ、豊臣秀吉が死亡した1598年に廃城となって以降は現代までずーーーーっと放置されていたので、建造物などは何も無い。
なので、城郭研究家の私もまったく興味が無かったのであるが、他の人の訪問記を見て行きたくなったのだ。
名護屋城跡の周辺マップ。
城郭の全貌は描かれていない。
城跡は入場無料で常時開放されているので、早朝から侵攻が可能だ。
一歩足を踏み入れただけで、壮大で立派な城であったことが分かった。
大きな石をふんだんに使った石垣。
だが廃城の際に、上部や隅を崩してあるという。
通説では、島原の乱で廃城に立てこもって幕府軍も手を焼いたので、機能を低下させるために実施したとのこと。
う~む、歴史ロマン。
従って、本丸から見る天守台も低い・・・。
天守台から望む玄界灘。
北方には壱岐、その奥には対馬も見える。
天守閣の最上階から見る眺めは、さぞ雄大であったであろう。
全国制覇した天下人とはいえ、その一声で、何もなかったこの地にこれだけの城を築き、大名や家臣たちを住まわせ、10万人とも伝わる城郭都市をつくらせたのだから、秀吉公の権力の大きさの一端が伺える。
う~む、歴史ロマン。
CGで復元した建造物をその場でそれぞれ見ることが出来る「ヴァーチャル名護屋城」が人気とのことだ。(名護屋城博物館に行けば。)
あ、大手口近くの桜の木にサクラが。
秀吉公は見たことのないサクラなんだな、これが。
(ソメイヨシノは江戸時代末期に”創られた”ものだから・・・)
さて、返す刀で次に攻めるのは「唐津城」。
うん、いい天気だ!
アテゴンと唐津城天守閣。
本丸に登り、天守閣を仰ぐ。
なんでも石垣が膨らんできたとのことで、目下修理中。
だが、外国人のツアー観光客の一団もお越しになっている。(多分中国(の内陸部?)から)
5層5階の立派な天守閣であるが、鉄筋コンクリートの模擬天守。
しかも、史料には天守閣があった記録が無いという。
単なる観光施設ということだ。(空調がよく聞いていたし)
天守最上階から望む唐津湾。
何にしても天気がいいのは良い。
天守、本丸、ふもとを1時間ほどウロウロして10時過ぎに出発。自宅へ向けて帰途に就いた。
単純に来た道を帰ろうとしたのだが、著名な観光名所で日本三大松原の一つ「虹の松原」を通るルートが通行止めになっていた。
なんでも、ちょうど3月24日(日)にマラソン大会があり、スタート時刻が10時だったからだ。
昨日通った時は21時過ぎで真っ暗。
松が道路ギリギリに生えていて道幅も狭く、大型車通行禁止となるほど枝が張り出しているので、後続車にアオられながらこわごわ走ったものだ。
途中、ここら辺に実家があるNM先輩と連絡を取り、激励を受けて東進。
福岡県に入って都市高速を走行中、ドーム状の屋根が。
福岡ドーム、いや、今の呼称は「福岡 ヤフオク!ドーム」。
1999年の日本シリーズ「ダイエーvs中日」第1戦を会社の仲間と観に来てから、早や10年か。
何もかもが懐かしい・・・。
そして、16時前には無事帰宅。
燃費計表示はリッター21.7km。
それはそうとして、あ~楽しかった!