スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

私の人生のピークは25歳だった。

2020年05月30日 22時01分15秒 | ももちゃんの読んでくれてありがとう
今日は道の駅&JAのマーケット巡りでした。


いちごは5月の終わりなのに高く、本当だったら5パック買いたかったのが4パックが限界でした。


大江千里さんが某ビジネス雑誌のコラムでこんなことを書いていました。

https://www.newsweekjapan.jp/ooe/2020/05/post-4.php


私はこのひげなしの千里さんの写真の前年暮れに6年間勤めていた某大手菓子メーカーを退職しました。


この話をすると長くなります。


1に不規則な勤務で体調を崩したこと。

2に職場でガチで喋れる友達がいなかったこと。

3に有給を取りまくったのと人間関係に馴染めなかったことで職場での立場が悪くなった。

4に仲のいい友達の結婚で千里さんのライブに行ける友達がいなくなった。→その友達は結婚半年も経たずに金銭感覚のずれと性格の不一致と埼玉での孤独な生活に耐えれなくなって出戻った。

5に親の婚活プレッシャー。


6に阪神大震災やオウムの事件のニュースの報道で心が折れた。


7に自分の後輩が先に出世した。


というのが理由です。


当時は世間体を気にして25歳までに結婚しないといけない的空気が強く、特に姉妹になると妹の方が先に結婚するとギクシャクしやすいというのがある。


事実別れた旦那の家がそうでした。下の妹が先に結婚したことで上の妹がコンプレックスと嫉妬から嫌がらせをするようになり、親や旦那が注意してもダメでした。


あと就職氷河期もあり、転職したくても正社員での再就職は難しかったです。


中学と高校の時に勉強で嫌な思い出があったので資格を取って自立するという心が一番欠けていました。


高校を出てから中学高校と自由がなかったのとコンプレックスの反動が爆発するように出ました。


それは会社を辞めてからも金銭感覚は変わりませんでした。


お金に対する挫折を知ったのは結婚してからでした。


親が会社を経営していたので、お金の苦労を知らず、会社を辞めてからの再就職もパートで、保険や税金が引かれると8万円しか貰えない会社に3年半ダラダラと働いていました。

結婚3年半後に離婚届を出したときはこの世で一番惨めなのは自分だと市役所を出てから思いました。


会社を辞めてから1ヶ月までは親も黙って見守っていましたが、ダラダラ生活が続くようになると干渉されるようになりました。

私は心のリカバリーをしたかったのに何故そこまで言われるんだろうと荒れました。


親や自分を理解しない教師に対する復讐みたいなものがありました。


今は介護福祉士の資格を取って13年頑張っていますが、落ち着いて物を考えれるようになるまで時間がかかりました。


特別給付金の使い道はとりあえず大江千里さんのライブDVDに使う予定です。


どうしてかというと25年前の自分を熱狂させ、ワクワクさせてくれたのが千里さんだったからです。

人生のピークは千里さんを一生懸命応援していた25年前の自分だったのかもしれない。





コメント
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