連合赤軍事件の死刑囚、坂口弘の手記を読みました。
誠に怖ろしい事件です。
しかし、このような事件は、どこでも、いつでも起こりうる事件です。
私が、現代日本にファシズムを感じる動きに、二つあります。
一つには、戦前回帰ファシズムです。明治から終戦にいたる日本には、何も悪いことはなかった、日本は、核武装も辞さず、「普通の国」になるべきだ、という論調です。日本に悪がなかった、というのは、侵略を隠す欺瞞です。これが進めば、手段はともかく、新たな侵略を始めることでしょう。
二つには、反戦ファシズムです。戦争は絶対悪だから、これを認めてはならない、とする論調です。これは、損得や信念の妥協を求め、現実の戦争を回避する努力を無にし、なぜ人間は戦争を続けてきたのか、どうしたら戦争は回避できるのか、という思考を停止してしまう、怖ろしいスローガンです。
人間は、主に損得で動きます。損得の戦争は、御しやすいと言えましょう。
先の大戦でも、日本は米英の要求を飲んだら損をする、ということを主たる動機にして、戦争を始めました。ところが、緒戦の戦勝に酔い、後の敗戦に衝撃を受け、面子と大義を保つために不毛な戦争を続けました。
面子と大義の戦争を回避することは極めて困難ですが、損得の戦争を回避することはそれほど難しくありません。お互い、損を認めればよいのです。
国際社会は、損得で動くべきです。損得で動けば、おおむね、戦争は回避できると思います。なにしろ戦争は金がかかります。損をしないようにすればよいのです。
ところが、大義の戦争は避けようがありません。鰯の頭も信心から、とか言います。戦前回帰ファシズムも、反戦ファシズムも、おのれが正しいと信ずるその固さに、ファシズムを感じます。
連合赤軍事件が特異と考えてはいけません。
人間には、そういう面があります。
要は、どんな価値観であっても、疑ってかかることが、大切だと考えます。