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ネット放送の進化

未唯へ

 外に出ないから、慣れないなぁ。

ネット放送の進化

 ネット放送がまた変わってきた。AKB次世代はケータイ一つで自由に、一人で放送している。ファンからの反応があるので、一種の双方向です。累積で2,3万人はカウントされる。大きな可能性を示している。

 こじまこと岡田奈々が先を走っている。近くから映しても映像になる。AKB3期生が10周年でやっているけど、不慣れです。頼ろうとしている。14期生は完全に新しい存在です。

 いかにして、1:Nをつなげるか。相手にとってはN:1だけど。ついに、N対Nの世界。コントロールするのではなく、分化の世界が始まっている。

 この発信の能力。図書館とかNPOは使えないのか。ラジオを使うよりもはるかに1:Nが可能です。その上、メッセージの双方向性があり。視聴範囲は果てしない。

本のコンテンツから抽出するMyTuber

 コンテンツはいくらでも作れる。本からDNAを抜き出しする、私の作業も意味を持ってくる。YouTuberに対抗して、MyTuberとしておきます。

 その時に、紙の本に関与してきた人がどう感じるかです。自分たちの領域拡大として行動しないと、滅亡します。

コミュニティとしての乃木坂

 中間の存在にはコミュニティが必要です。それらの始まりは乃木坂46時間TVです。その瞬間に立ち会うことができてよかった。2月22日2時に、ギリギリ間に合った。コンテンツとしての生ちゃんの素晴らしさがキッカケです。

 順序は配置からコミュニティです。第3章の真ん中はコミュニティです。その具体例は乃木坂です。第3章の目的は「自由と平等」にします。

全体を考え、先を見る

 近傍系もそうだが、各点から全体を考えるのと同時に先を見ることです。常に方向を定めます。その象徴です。

気分はカプチーノ

 気分的には、ラテよりカプチーノです。エスプレッソが欲しい。次に玲子さんに会うまではこれでいきます。

未唯が滞在中

 未唯が帰ったらと思ったら、まだ居るみたい。イチゴ2パックを買ったのだから。

 今回の未唯は木曜日に来たので、今日で四日目です。予定はあるのかな。用事は済んだのかな。のんびりしているだけで、何も分からない。あーが居るから奥さんの機嫌がいい。帰った途端にまた元に戻るんでしょう。

OCR化した本の感想

 『「今、ここ」から考える社会学』

  社会を考える6つの視点とは、

   「行為」:社会を見る基本的な視点

   「関係性」:人と人の間にあるものとは

   「構造」:社会の秩序や道徳を考えるために

   「自己」:社会に生き、自分を生きるために

   「日常生活世界」:「あたりまえ」を読み解く

   「人々の方法」:私たちはみんな「社会学者」だ

  だそうです。社会学に求めるのは、最後の二つでしょう。上の四つは哲学ですね。

 『イベントの仕事で働く』

  イベントが社会を変える要素であることは、乃木坂のライブで痛感している。バラバラなモノをつなげる技術と運営は素晴らしい。料金と場所の問題が大きいけど、それはネット放送の進化で変わるでしょう。

  それを実現するのは、ベビメタルの公演なんでしょう。全てがコンパクトに表現されている。実際に映画館などを対象にし始めている。イベントに未来の技術が集約される。

 『ホーキング、自らを語る』

  ホーキングは35年ぐらい前に、東フジから京都まで出掛けていって、聴いたことがある。今にもなくなりそう人が宇宙を語っていた。未だに存在しているのが不思議です。ヨーダかよ。

  ホーキングの若かった頃のボート部での写真があった。虚数時間で「人類の存在理由」と締め括っていた。彼なら言えるような気がする。
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無境界条件は宇宙創成の鍵であり、人類の存在理由

『ホーキング、自らを語る』より 虚数時間 ⇒ こんなところに人類の存在理由があったんだ

カルテック時代にはよく海岸沿いに車で二時間のサンタバーバラを訪ね、親しい研究家仲間のジム・ハートルと共同で、ブラックホールからどのようにして粒子が放出されるか計算する技法を編み出した。粒子がブラックホールから脱出する可能な限りの経路を合算する方式だ。そこで私たちは、ブラックホールが粒子を放出する確率は粒子がブラックホールに落ち込む確率と相関することを突き止めた。高温の天体で熱放射と吸収の確率が相関関係を保っているのと同じにだ。これはブラックホールが地平面積に比例する温度とエントロピーを持つかのようにふるまうことをも明かした。

この計算には虚数時間の概念を取り入れている。方向が通常の実時間と直交する時間と考えればいい。ケンブリッジヘ戻ってから、かつての教え子ゲイリー・ギボンズとマルカム・ぺリーの協力を得て、この考えをさらに発展させた。実時間を虚数時間に置き換えると時間が空間の第四の方向になるところから、これをユークリッド方式と言う。当初はさんざんな抵抗に遭ったが、今では量子重力の研究に最良の手段と広く認められている方式である。ブラックホール時間のユークリッド空間は平滑で、物理学の方程式が破綻する特異点を含まない。ペンローズと私が提起した特異点定理の根本的な問題、つまり、特異点のせいで予測可能性が断たれる問題は虚数時間を考えることで解決した。ユークリッド方式の採用によって、ブラックホールがエントロピーのある高温の天体のようにふるまう理由も究明できた。これに加えてゲイリーと私は、絶えず加速しながら膨張する宇宙にブラックホールと同様の有効温度を予測した。はじめは観測不能と考えたが、十四年後にこの温度の持つ重大な意味が明らかとなった。

私はブラックホールの研究に軸足を置いていたが、宇宙は誕生直後、小売物価が短時日で急騰するインフレーションにも似た加速的膨張の時期を経ているという説に刺激されて、宇宙論に新たな関心が湧いた。そこで、一九八二年にユークリッド方式に即して、そのように膨張する宇宙はいくらか不均一であろうことを論じた。奇しくも相前後してロシアの宇宙科学者ヴィアチェスラフ・ムハーノフが同じことを言ったが、それが西側に伝わったのはやや後の話だ。

初期宇宙の密度の斑は、ゲイリー・ギボンズと私が八年前に発見した急激に膨張する宇宙の有効温度の揺らぎから生じるものと考えていい。ほかにも何人かこれを予測した研究者がいる。ケンブリッジで私が主宰した研究集会には斯界の鈴鈴たる顔ぶれがそろい、今ではインフレーションと呼ばれる初期の宇宙像をほぼ確立した。なかでも銀河の形成を促し、ひいては人類の誕生につながった密度の揺らぎは何にもまして重要な論題だった。

これはCOBE、宇宙背景放射探査衛星が密度の揺らぎによるマイクロ波放射の異なる方向に温度差を観測する十年前のことである。このように、重力の研究においてもまた理論は実験の先を越していた。密度の揺らぎはさらにその後、WMAP、ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査体とブランク衛星によって確認され、観測値は予測と正確に一致した。

インフレーション理論は宇宙がビッグバン特異点からはじまった前提に立っている。膨張につれて宇宙はやがてインフレーション状態になるという考えである。この説明に私は釈然としなかった。くり返し述べている通り、物理方程式はすべて特異点で破綻するからだ。だが、特異点で何が起こるかわからない限り、宇宙がどのように発展するか計算できない。予知しようにも宇宙論は無力だろう。そこで必要とされるのは、ユークリッド空間におけるブラックホールのように特異点のない時空である。

ケンブリッジの研究集会の後、発足して間もないサンタバーバラの理論物理学研究所で一夏を過ごし、ユークリッド方式を宇宙論にどう応用するかについてジム・ハートルと話し合った。ユークリッド方式に従えば、ファインマンの歴史総和法によって虚数時間の歴史の形状に宇宙の量子的性質が付加される。虚数時間を空間のもう一つの方向と見なすなら、虚数時間の歴史は地球の表面と同じ、はじまりも終わりもない閉じた曲面となろう。

ジムと私は、これが最も自然な、いや唯一自然な形状の選択であるという考えで一致し、無境界仮説を提起した。無境界仮説では、宇宙は地球の南極に当たる一点から出発し、緯度が虚時間を表す。南極点を後に北へ移動するにつれて宇宙の規模を示す緯度線の円は大きくなる。南極より南には何もないのだから、宇宙のはじまり以前に何が起きたかを問うのは無意味である。

緯度で示される時間の始点は南極だが、南極は地球のどことも変わらないただの一点にすぎず、自然の法則はほかと同じに成立する。このことが、宇宙にははじまりがあって、そこでは通常の法則が働かないという古来の異論を排除する。宇宙の起源も科学の法則に従わなくてはならない。無境界仮説は時間の始点を空間の方向に置き換えることで科学的、かつ哲学的な問題を回避した。

無境界条件は宇宙が無から有を生ずる体に自然発生するであろうことを暗示している。はじめ私は無境界仮説が宇宙の加速度的膨張を予見していないように思ったが、ややあって、宇宙がある形態を取る確率は、その形態の規模を考慮に入れて算出しなくてはならないことに気づいた。最近、ジム・ハートルと、同じくかつての教え子、トマス・ハートグと私は、急膨張する宇宙と負の曲率を持つ空間のあいだに二重性があることを発見した。これによって無境界仮説を新しい形で提唱し、そのような空間のために開発された高度に巧緻な手法を使うことも可能になった。無境界仮説は宇宙がほぼ均質ながら、わずかに密度の斑がある状態ではじまると予測している。その斑は宇宙の膨張とともに拡大して、やがては銀河や星を形成し、生物も含めて宇宙の全構造を作り出す。無境界条件は宇宙創成の鍵であり、人類の存在理由である。
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ホーキング、ブラックホールを語る

『ホーキング、自らを語る』より ⇒ 特異点としてのブラックホールが在って、始めて安定する

ブラックホールの発想は二百年以上前に遡る。一七八三年にケンブリッジの学監、ジョン・ミッチェルは『ロンドン王立学士院哲学紀要』に、自ら「暗黒星」と名付けた天体について一文を寄せ、大質量高密度の星は光が脱出できないほどの強い重力場を持つはずだと論じた。星の表面から放射された光はすべて、遠くまで達することなく、たちまちにして星の重力に引き戻されてしまうだろうという解釈だった。

ミッチェルはそのような星が多数あるであろうことも予言した。光が届かないせいで目には見えないが、重力は感知できる天体を今ではブラックホールと呼んでいる。その名の通り、ブラックホールは宇宙の黒い穴である。数年後、フランスの科学者、ラプラス侯爵がミッチェルの論とは関係なく独自にほぼ同じ説を唱えた。不思議なことに、ラプラスはその著『世界の体系』初版と第二版に自説を述べておきながら、以後は削除している。あるいは、顧みて奇想の論と思い直したのかもしれない。

ミッチェルもラプラスも、光は粒子で、あたかも砲弾のように重力に引かれて遅くなり、やがては星に落下すると考えていた。この理解はマイケルソン-モーリーの実験と矛盾する。一八八七年の実験によって、光の速度は一定不変であることが判明している。重力が光にどう影響するかについて筋の通った理論は一九一五年、アインシュタインが一般相対性理論を定式化するまで待たなくてはならなかった。一般相対性理論に基づいて、一九三九年、ロバート・オッペンハイマーと門下の二人、ジョージ・ヴォルコフ、ハートランド・スナイダーは、核燃料の尽きた星は質量がある限界を超えていると重力に抗し得ないことを論証した。その限界とは太陽に相当する質量である。これを上回る質量の星が燃え尽きると、崩壊して超密度の特異点を持つブラックホールを形成する。このことは一般相対性理論の予測するところだったにもかかわらず、アインシュタインは最後までブラックホールを認めず、物体が超密度に収縮することはないと論じた。

そこへ第二次大戦で、オッペンハイマーはやむなく横道へそれて原爆の開発に携わった。戦後、研究者の関心は原子物理、核物理に向かい、重力崩壊とブラックホールの問題は忘れられたまま二十余年が過ぎた。

重力崩壊への関心は一九六〇年代のはじめ、恒星状天体(クエーサー)の発見で再燃した。クエーサーは非常に遠い天体で、決して大きくはないものの、極めて明るく強力な電波源である。ブラックホールに落ち込む物質は、空間の微小な領域から膨大なエネルギーが生じる仕組みを説明するのに、唯一、当てにできそうな手がかりだった。オッペンハイマーの業績が再評価されて、研究者たちは挙げてブラックホール論の検証に乗り出した。

一九六七年にウェルナー・イスラエルが重要な問題を提起した。回転していない崩壊星の残骸が厳密な球形でない限り、ブラックホールの中心にある特異点は剥き出しになって外部の観測者の目に見えるはずだと言ったのだ。これは崩壊星の特異点で一般相対性理論が破綻を来たし、宇宙の未来を予測する可能性はいっさい断たれることを意味している。

イスラエル自身を含めて研究者の多くはそもそものはじめから、厳密に真球の星はあり得ない以上、その崩壊は裸の特異点を露にして予測可能性の喪失を来すと考えていた。だが、口ジャー・ペンローズとジョン・ホイーラーは別の解釈を示した。回転していない星が重力崩壊すれば、残骸はただちに球状に落ち着くという考え方である。すなわち宇宙検閲官仮説で、自然は慎み深い女たるにふさわしく、特異点は人目につかぬよう、ブラックホールの奥に隠す想定だ。

ケンブリッジの応用数学理論物理学科で、私は研究室のドアに「ブラックホールは目に見えない」というバンパーステッカーを掲げていた。学科長は何としてもこれが神経に障り、私をルーカス記念講座教授に選任する工作をした上、私をもっと良い別の部屋に移して、手ずからステッカーを破り捨てた。

私のブラックホール研究は一九七〇年に娘のルーシーが生まれて数日後、考えが閃いて、そうか! と叫んだことからはじまった。就寝を控えて、特異点定理のために展開した因果構造論はそのままブラックホールに応用できると気づいたのがそのきっかけだった。とりわけ事象の地平、つまりブラックホールの境界の面積が常に拡大するであろうことは見逃せない。二つのブラックホールが衝突合体すると、そこに生じた事象の地平の面積はもとの境界面積の和より大きくなる。このことと、ジム・バーディーン、ブランドンーカーターと私が発見したもろもろの要因は事象の地平がブラックホールのエントロピーと似たようなものであることを示唆している。これは、見かけが同じブラックホールの内部に幾通りの状態があり得るかを知る尺度となるだろう。ただ、事象の地平がすなわちエントロピーだとは言えない。何となれば、エントロピーがあれば温度も高く、ブラックホールは熱い天体のように輝くはずだからだ。ブラックホールは漆黒で、光も何もいっさい放射しないと、かつては誰しもが考えていた。

議論は過熱して、一九七二年、レズーシュの夏期講座で頂点に達したが、デイヴィッド・ロビンソンと私が提起した無毛定理によってブラックホールにまつわる大きな問題はあらかた解決を見た。これは、星が重力崩壊して生まれるブラックホールは二つの数値、質量と回転速度だけで表される状態に落ち着くことを言ったものである。無毛定理はまた、ブラックホールにエントロピーがあることをも暗示している。多くの異なる星が崩壊して、質量と回転速度が同じブラックホールを作るかもしれない。

この理論はすべて、観測に裏付けられたブラックホールの証拠一つないままに完結した。その意味で、先端分野の研究はあくまでも実験的に進めなくてはならないと言ったファインマンは間違っていた。唯一、未解決で残された問題は宇宙検閲官仮説の立証だった。反証を挙げる試みはことごとく失敗に終わっている。これはブラックホール研究の根本課題である。仮説は正しいとする私の確信は揺るぎなかった。そこで、私はこの問題の結末についてキップ・ソーンとジョン・プレスキルを相手に賭けをした。楽観は許されない。裸の特異点に関して誰かが反証を見出して賭けに負ける可能性は大いにある。それどころか、議論の前段で言葉遣いに注意を怠ったために私は負けた。ソーンもプレスキルも、結着のしるしに贈ったTシャツを喜ばなかった。

一般相対性理論の検証に成果を挙げて、一九七三年に『時空の大規模構造』を発表した私はいくらか手持ち無沙汰だった。ペンローズと私は一般相対性理論が特異点で破綻することを証明した。となると、当然ながら次の課題は巨視的な理論である一般相対性理論と、微視的な量子論の統一である。量子論に関しては下地がない私に、特異点問題を正面から攻めるのはいささか荷が勝ちすぎる。そこで、準備運動の意味で、量子論に支配される粒子と場がブラックホール近辺でどのようにふるまうか考えることにした。とりわけ、宇宙の初期に形成された小さな原始ブラックホールを核に持つ原子があるかどうかが関心の要だった。

答えを求めて、量子場がブラックホールからどう拡散するか計算した。入射波の一部は吸収されて、残りが拡散する予想だった。ところが、驚いたことに、どうやらブラックホールから粒子の放射があるらしいことがわかった。はじめは計算の間違いと思ったが、この放射はまさに事象の地平面積とブラックホールのエントロピーを同定するのに必要な物理量だと知れて、疑念は確信に変わった。これは次の簡単な式で表すことができる。

 S=Ac**3/4hG

Sはエントロピー、Aは事象の地平である。この式には三つの基本定数が含まれている。cは光速、Gはニュートンの万有引力定数、hバーはブランク定数で、これによって従来まったく問題にされなかった重力と熱力学の深い関係が見えてくる。

放射は熱を奪うから、ブラックホールは質量を失って収縮し、やがては蒸発して跡形もなく消え失せると思われる。すると、ここに物理学の根幹にかかわる問題が持ち上がる。私の計算では、放射はまさしく熱放射で無秩序だが、事象の地平がブラックホールのエントロピーだとすれば、そうなくてはならないはずである。ならば、名残の放射は何かブラックホールを作ったかに関する厖大な情報をどうして保存できようか。だが、情報が失われるとしたら、それは量子力学と矛盾する。

この逆説は、さしたる進展もないまま、三十年にわたって論議されてきたが、挙げ句の果てに、私は決定的と思える解を見出した。情報が失われることはない。ただ、手に取るようには回収できないだけだ。言うなれば、百科事典を燃やすにほぼ等しい。煙と灰を逃さずにおけば、事典に記載された情報は消滅しない理屈だが、読むとなると極めて難しい。実を言うと、この情報の逆説についてキップ・ソーンと私はジョン・プレスキルを相手に賭けをした。賭けはジョンの勝ちで、私は野球百科事典を贈ったが、どうせなら燃やした灰を渡せばよかったかもしれない。
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イベントにも問われる人権、環境、そして未来

『イベントの仕事で働く』より イベントにも問われる人権、環境、そして未来 ⇒ イベントが社会を変える要素であることは、乃木坂のライブで痛感している。一番インパクトがあるのが、ひめたんの妹のすぅのベビメタルの公演なんでしょう。

今の社会は粉末?

 『繋ぎあい』、『学びあい』、『広めあい』など、機会財としてのコミュニティー機能の向上が大切である」としています。

 少し難しい表現だったでしょうが、現代は個人個人が〝粉末″のようにばらばらと存在し、仲間といっしょに食事をとらずに〝ぼっち席″にぽつんといたり、〝おひとりさま″の旅行が流行ったりすることを憂いているのです。もちろん時には一人で食事をすることも、個人旅行もいいことですが、いつもみんながばらばらでは、学校でも地域でも会社でも、助け合ったりコミュニケーションを深めたりできません。

 そんな現代社会の課題に有効なのが、イベントです。イベントは、人と人とを結びつけ交流をさせ、同じ体験をして感動を共有することで、理解を促進し絆を深めてくれます。

 最近全国で「隣人祭り」というイベントが話題になっています。聞いたことがない人も多いでしょう。その名の通り、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集まり、食事をしながら語り合います。都会のマンションなどの集合住宅に暮らす人たちが、1年に一度顔を合わせますが、今やヨーロッパを中心に29力国、800万人が参加する世界的なイベントなのです。

 「隣人祭り」の発祥はフランス。パリ17区の助役アタナーズ・ペリファンさんが提唱者です。きっかけは、パリのアパートで独り暮らしの女性が孤独死し、1ヵ月後に発見されたことでした。ペリファンさんが駆けつけると、部屋には老女の変わり果てた姿がありました。同じ階に住む住民たちに話を聞くと、「一度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。大きなショックを受けたペリファンさんは、「もう少し住民のあいだにふれあいがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか?」と考えました。そして、NPO活動を通じて1999年に「隣人祭り」の開催を人びとに呼びかけたのです。

 第1回目の「隣人祭り」は、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催し、多くの住民が参加し、語り合いました。このイベントは大きな共感を呼び、今や日本をはじめ、世界中で開催されています。

 「隣人祭り」のようなイベントが求められる背景には、先はどの〝粉末社会″問題、行きすぎた個人主義に危機感を感じている人がたくさんいるということでしょう。

 みなさんのイメージするイベント(夏フエスや世界的なスポーツ大会など)とは、大きくイメージが異なるのではないでしょうか? イベント領域の広さ、社会に貢献する可能性など、まだまだイベントは進化していくことでしょう。

みんなに優しいイベントを

 イベントは、日常にアクセントを、生活にスパイスを加えてくれます。それを、みんなが楽しみにしています。

 小さな子どもからシニア圭で、全世代を対象とした市民コンサートがあったとします。ファミリー全員でコンサートへ出かけましたが、ちょっと足が弱いおじいさんの車椅子では、客席までの道のりが大変……。お母さんはおなかに赤ちやんがいましたが、会場の椅子はすでに満席で座る場所がない……。お父さんはみんなの荷物を持つ係でしたが、クロークやロッカーがなかったのでくたくた……などなど。すべての人が楽しい、楽しめるイベントであればよいのですが、一部の人には優しくない、つらいイベントがまだまだ行われています。

  〝すべての人に優しいデザイン″として、「ユニバーサルデザイン」があります。「ユニバーサルデザイン「UD = Universal Design)」とは、文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障がい・能力を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン) のことです。

 1985年、ノースカロライナ州立大学のュニバーサルデザインセンター所長であったロナルド・メイスさんが提唱したもので、「できるだけ多くの人が利用可能であるようなデザインにすること」が基本の考え方です。デザイン対象を、障がい者に限定していない点が、一般にいわれる「バリアフリー」とぱ異なります。「バリアフリー」は、「バリアを除く(フリーにする)」ということで、今あるバリア、たとえば入り口に階段があれば、それをスロープにするという考えですが、「ュニバーサルデザイン」は、はじめからバリアをつくらない、もともとバリアのない考え方という点が特徴です。この「ュニバーサルデザイン」の考え方をイベントに適用したのが、「ュニバーサルイベント」です。

 イベントは本来、参加を希望するすべての人が、困難なく快適に参加でき、充実したコミュニケーションが実現できる空間であるべきでしょう。当然、高齢者や障がいのある人も楽しく参加できなくてはなりません。これまでも、博覧会や展示会などでは、障がい者用トイレや導線ぱ考えられていましたが、しかし、それはあくまでも「障がい者対策」としてであり、基本は健常者中心の会場構成でした。

 これからは、すべての人が特別扱いでなく、ふつうに参加できるイベントを考える必要があるのではないでしょうか。「身障者対応」「高齢者対応」を特別に考えるのではなく、企画・計画・会場設計・運営すべてにわたって、誰もが参加できるという前提で考えるイベントが、当然のこととして求められてくるはずです。

 これからのイベント人は、すべての人が参加できるイベントには、どのような視点や配慮が必要なのか、どのような技術の開発が求められているのかを考えていかねばならない時代となることでしょう。

 高齢者も障がい者も子どもも女性も男性も外国の人も、すべての人びとが、人種や年齢、身体的条件にかかわりなく自分らしく生きたいところで生き、したい仕事や社会参加ができ、そうしたチャンスを平等に与えられる〝みんながいっしょに″活動できる社会をめざす考え方=「ノーマライゼーションと、多様性を受け入れ、さまざまな人が集まることのできる新しい社会をつくる力を秘めている考え方=「ダイバーシティ」。

 イベントにも、新しい思想と哲学が求められています。

イベントも取り組む環境問題

 イベント業界も社会の構成員として、今後取り組んでいかなくてはならない重大なテーマに、地球規模での大きな問題、環境問題があります。

 今や若い人に圧倒的な支持を受けている、日本の野外音楽フェスティバルの草分け、「フジロックフェスティバル」。ロックと環境問題、一見無縁に見えますが、実ぱ、そこには大きな接点があります。年に一度、真夏の苗場に3日間で延べ10万人もの人が訪れます。10万人といえば、東京ドーム2個分の入場者数のスケールです。

 大自然の中で音楽を快適に楽しむには、さまざまなルールが必要となります。周辺の地域住民に迷惑をかけない、自然を傷つけない、ゴミを持ち帰るなどなど。これらのことがクリアされなければ、このようなイベントは継続できません。「自己責任」、自分でできることは自分でやる、人任せにしない、この「フジロック」にテントを持って参加した多くの人びとは、そのことを学んで帰ります。

 環境への対策として、多くのボランティアと連携したゴミ対策や、NGOの環境活動を紹介するビレッジの設置、35万食におよぶエコ対策をほどこした紙食器の導入を決めました。さらには、国際環境団体フューチャーフオレストに参加。「フジロック」の会期中に排出されるCO2を換算、412トン分を吸収できる樹木562本を購入し世界各地で植林する、日本初のカーポンニュートラルヘの参加となりました。

 大小複数のステージを点在させ、世界中から訪れた大物アーティストから無名のミュージシヤンに至るまで、自分の好みに合わせて各自が思い思いに楽しむことができるロックフエスティバル。それを可能にするためには、〝人や自然に迷惑をかけないこと″という約束と、それを守ること。自然と音楽の共生という理念に賛同してくれるスポンサーとしかタイアップしないという主催者の強い意思。「フジロック」は、決して大上段に〝環境イベント″であることをうたっているわけでぱありません。しかし、快適な音楽シーンを野外で創造していこうとする過程の中で、クリアしていかなくてはならない事態がつぎつぎと発生し、知恵を絞った結果として環境イベントに育っていったのです。
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社会を考える視点 他者との関係

『「今、ここ」から考える社会学』より 社会を考える6つの視点 ⇒ ジンメルの中の記述から「中間の存在」を確認できた。それ以来、未唯空間のキーワードになっている。中間の場で市民は覚醒する。

「関係性」:人と人の間にあるものとは

 ゲオルグ・ジンメル。行為の社会性に注目したウェーバーとは対照的に、ジンメルは相互行為に焦点をあてます。世の中には政治や経済、家族などさまざまに異なる内容の領域が存在していますが、それらが社会として機能していくためには、固有の「社会化の形式」というものが存在します。その形式を探求する営みが社会学だとジンメルは考えています。彼は社会学史では「形式社会学」を構想した巨人と位置づけられています。

 ただ「形式」と言われても、ピンと来ないと思います。言い方を変えれば、社会は相互行為のなかで、相互行為をとおしてできあがるのです。それは個人間の関係性や相互行為のありよう、つまり人と人の間にある微視的なさまざまな関係性をダイナミックに捉え、そのなかに社会を見出していく社会学の方法なのです。

 たとえば、二人の人間から成る相互行為と三人以上の相互行為とでは、どのように異なるのでしょうか。上位と下位という人間相互の関係性、闘争、孤独、秘密といった状態はどのような関係性のことなのでしょうか。ジンメルはさまざまに人と人の間に構成される「形式」をめぐる思索を重ねていきます。支配という現象を考えてみても、権力は、それを持つ人間によって一方向的に行使されるのではなく、常に権力に服従する人々の自発性や協力性による相互行為の過程だと考えるのです。つまり、支配は支配する側だけでなく、支配される人々が何を感じどのように考えて行動しているのかを同時に見なければ、その現象の本質は見えません。

 このように微視的な相互行為のありようを詳細に読み解くことから社会がみえてくるとジンメルは考えました。私たちの日常を超越したところで社会が構成されるとともに、社会は、まさに普段私たちが他者と共に生きて在る「細部」に宿っているのです。現代社会学の微視的な社会理論や質的研究にとって基本となるこうした社会の捉え方は、いまではよく知られたものになりました。それは、人と人の間にある「形式」「関係性」を読み解く営みこそ社会学的であるというジンメルの考え方に強い影響を受けてきたといえます。

 ところでジンメルを読むと、私は『醒めたネジ』こかしら斜に構えたい印象を受けます。ウェーバーや後述するデュルケームは、近代社会の「合理化」の様相を語り、社会を維持するうえでいかに秩序や道徳が大切かをいわば直球勝負で語るのですが、変化球やスローカーブでいつの間にか三振をとられてしまう驚きというか、どこか人を食ったような冷徹なまなざしを感じてしまいます。でもこれはジンメルを読む人にとって楽しい驚きではないでしょうか。

 人と人の間にある〝何か〟を、相互行為を詳細に検討することから明らかにするとして、それは他者を完璧に理解できる、あるいは理解したいという強い思いが背後にあるからでしょうか。確かに他者理解への思いはあるのですが、それと同時に、完璧な他者理解などできはしないし、はたして完璧な他者理解を希求し続けるとして、それは私たちが日常生きていくうえで、いつでもどこでも必要なことで、幸せなことなのでしょうか。それよりも人と人との間にある〝距離〟のようなものを、きちんと認識したうえで、〝距離〟とつきあっていける人間同士の関係性を静かに穏やかに、しかし冷徹なまなざしを持って、見抜いていく営みのほうが、より社会学的ではないでしょうか。私個人の勝手な印象なのかもしれないのですが、このようにジンメルが語りかけてくるように思えるのです。

 ジンメルは、社会が高度に分化していき、貨幣というメディアが日常を支配していくにつれ、人間疎外は避けがたいものであり、常態化していくことを論じています。簡単に言えば、私たち人間の価値や生きる目的がすべてお金に換算され、〝換算できない〟価値や目的が何かを見失ってしまい、個人や相互行為のなかから〝人間性〟がかき消されてしまうというのです。

 疎外とは、端的に言えば、私という人間が人でなくなることであり、他者を人としてみなさずに、道具か何かを扱うような他者との関係に落ち込んでしまうことです。ジンメルは、こうした疎外は、個人の心理、人間関係、社会集団、生活様式、文化など私たちが生きる世界のあらゆるところで多次元的に生起すると述べています。

 片時もスマートフォンを手放さず、一心に指を滑らせ、周囲の人々が何をしているのかなど一切気にすることなく、前から歩いてくる人と肩がぶつかるぎりぎりのところでよけて通り過ぎていく人々の姿が、いま私たちの日常の光景となっています。ジンメルがタイムワープしてやってきたら、どう感じるでしょうか。私は、おそらくは小躍りし喜んだのではないだろうかと思います。スマートフォンに飼い慣らされた私たちは、疎外の典型的な姿だからです。こうした姿をみて、ジンメルは生活全域に惨みわたっていく疎外のありようをさらに読み解ける面白さを感じるだろうし、滲みわたる疎外のなかで、人間がどのようにそれとつきあい、新たな「社会化の形式」をどのように創造するか、その可能性を考察することでしょう。

 人間は、常に〝人間性、人間らしさ〟を奪われるリスクに直面して生きざるを得ないことを前提に、リスクを考え、リスクとむきあうために重要な視点、考えるための拠りどころをジンメルは語ってくれていると思います。それは人と人との間にある〝距離〟であり、〝距離〟がもつ意味を〝腑に落とす〟ことで読み解くことがより面白くなる「関係性」という社会の見方なのです。

「自己」:社会に生き、自分を生きるために

 ジョージ・ハーバート・ミード。ミードはアメリカのシカゴ大学で哲学と社会心理学を教えていました。当時のシカゴには、ヨーロッパから大量の人々が移り住み、仕事を求めて労働者たちも集まっていました。多様な人種や民族が集住し、シカゴという都市で懸命に生きていたのです。

 「人種の坩堝(るつぼ)」という言葉があります。「るつぼ」とは何でしょうか。社会学史の講義で学生に聞いても、最近は知らない人がかなり多くなっています。「るつぼ」とは化学実験などでいろいろな物質を溶かすのに使う白い陶器のことです。私たちの世代では、小学校や中学校であたりまえのように使っていた道具でした。多様な人種や民族を溶かしてしまう器、それはミードが生きたシカゴそのものの姿でした。都市社会学の原点であるシカゴを語る時、この言葉は象徴的に使われます。

 語る言葉も生活習慣も文化も異なる人々が同じ街で暮らすとして、そこには当然のようにさまざまな社会問題が発生します。こうした問題をどのように考え、どのように解決すればいいでしょうか。実践的な問題関心のもと、シカゴ大学に初めて社会学部ができたのです。そして個別の問題について、具体的に調査し、質的にせよ量的にせよ経験的なデータを収集し、分析するという社会学という知的実践の基本が、シカゴ大学で創造されていきます。

 ミードも、社会学の創造に大きな貢献をしたのですが、ここで私が伝えておきたい彼のテーマは「社会的自己」論です。さまざまな「ちがい」をもつ人々があふれかえり、さまざまな問題も沸騰している日常を生きるなかで、数え切れないくらいの刺激を受けながら、人間はどのようにして「社会的な存在」となるのでしょうか。ミードはこの問いに対して、他者の態度を内面化することによる社会化と「I」と「me」のダイナミクスによる自己の形成という答えを出しました。

 「I」とは、主我とも訳されていますが、私という人間がもつ創発的で創造的な営みの源とでもいえる側面です。他方「me」は、客我とも訳されますが、私という人間が他者の態度を引き受け、状況に適切なようにふるまうためにもつ規範的な部分です。そしてミードは、「I」と「me」が絶えずダイナミックに交流することで初めて、私という人間が「社会的自己」として無数の他者に対して立ち現われることができると語っています。

 少し考えればわかるのですが、生まれてから死ぬまで、どの人間にも共通し避けられない端的な事実があります。それは「他者と出会うこと」です。母親や父親のような最も親密な他者との出会いから始まり、学校での友人や部活仲間、同じ職場で働く仕事仲間、コンサートやイベントで共に盛り上がる人々、街ですれ違う人々、老いて自らの介護をしてくれる人、そして自分が生きている間で一度も出会うことがない圧倒的多数の他者の存在など、まさに私という人間は、多様な他者とさまざまなグラデーションがある出会いを繰り返しながら成長し、社会化し、老いていくのです。

 圧倒的な量と質がある「他者との出会い」を私が生きていくとき、他者の態度を引き受け、期待される役割をその場で判断し、適切に役割を演じ、上手に他者との関係性を維持していくことは、とても重要だと思います。たとえばこうした「出会い」をうまく乗り切るためのマニュアル本がこんなに売れていますと私たちに訴えかける通勤通学電車で見かける広告が、そのことを象徴しているでしょう。

 ミードの「自己」論で、私がとても興味深く思うのは、「I」という「自己」がもつ側面です。ミードの説明を読んでいても、「E」に比べ、「I」は、はっきりこうだと理解しづらいことは確かです。しかし、社会を生き、自分を生きていくために、私たち人間はつねに新しい何かを生み出す可能性を秘めています。「社会性」を守ること以上に、私たちが「自己」をつくりあげ、「自己」を生きるうえで、新しい何かを創造するその力が大切だと唱えるミードの考えは、確実に伝わってきます。

 「自己」は「社会性」を盛るためだけの器ではありません。それは「社会性」をどのように受容するか、その検討ができる力をもった人間存在の重要な側面なのです。またそれは「社会性」がもつさまざまな問題や歪みをいったん受容し、そのうえでより気持ちよい「社会性」を実現するために、その中身を修正し変革し、あらたな形として、他者へと示していける力をもった「生きていくプロセス」にもなり得るのです。

 「自己」の創発性や創造性という主張はまた、私たちが社会や日常を批判する力を持っていることを考えるうえで、導きの糸であり、魅力的なものです。
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