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ホーキング、ブラックホールを語る

『ホーキング、自らを語る』より ⇒ 特異点としてのブラックホールが在って、始めて安定する

ブラックホールの発想は二百年以上前に遡る。一七八三年にケンブリッジの学監、ジョン・ミッチェルは『ロンドン王立学士院哲学紀要』に、自ら「暗黒星」と名付けた天体について一文を寄せ、大質量高密度の星は光が脱出できないほどの強い重力場を持つはずだと論じた。星の表面から放射された光はすべて、遠くまで達することなく、たちまちにして星の重力に引き戻されてしまうだろうという解釈だった。

ミッチェルはそのような星が多数あるであろうことも予言した。光が届かないせいで目には見えないが、重力は感知できる天体を今ではブラックホールと呼んでいる。その名の通り、ブラックホールは宇宙の黒い穴である。数年後、フランスの科学者、ラプラス侯爵がミッチェルの論とは関係なく独自にほぼ同じ説を唱えた。不思議なことに、ラプラスはその著『世界の体系』初版と第二版に自説を述べておきながら、以後は削除している。あるいは、顧みて奇想の論と思い直したのかもしれない。

ミッチェルもラプラスも、光は粒子で、あたかも砲弾のように重力に引かれて遅くなり、やがては星に落下すると考えていた。この理解はマイケルソン-モーリーの実験と矛盾する。一八八七年の実験によって、光の速度は一定不変であることが判明している。重力が光にどう影響するかについて筋の通った理論は一九一五年、アインシュタインが一般相対性理論を定式化するまで待たなくてはならなかった。一般相対性理論に基づいて、一九三九年、ロバート・オッペンハイマーと門下の二人、ジョージ・ヴォルコフ、ハートランド・スナイダーは、核燃料の尽きた星は質量がある限界を超えていると重力に抗し得ないことを論証した。その限界とは太陽に相当する質量である。これを上回る質量の星が燃え尽きると、崩壊して超密度の特異点を持つブラックホールを形成する。このことは一般相対性理論の予測するところだったにもかかわらず、アインシュタインは最後までブラックホールを認めず、物体が超密度に収縮することはないと論じた。

そこへ第二次大戦で、オッペンハイマーはやむなく横道へそれて原爆の開発に携わった。戦後、研究者の関心は原子物理、核物理に向かい、重力崩壊とブラックホールの問題は忘れられたまま二十余年が過ぎた。

重力崩壊への関心は一九六〇年代のはじめ、恒星状天体(クエーサー)の発見で再燃した。クエーサーは非常に遠い天体で、決して大きくはないものの、極めて明るく強力な電波源である。ブラックホールに落ち込む物質は、空間の微小な領域から膨大なエネルギーが生じる仕組みを説明するのに、唯一、当てにできそうな手がかりだった。オッペンハイマーの業績が再評価されて、研究者たちは挙げてブラックホール論の検証に乗り出した。

一九六七年にウェルナー・イスラエルが重要な問題を提起した。回転していない崩壊星の残骸が厳密な球形でない限り、ブラックホールの中心にある特異点は剥き出しになって外部の観測者の目に見えるはずだと言ったのだ。これは崩壊星の特異点で一般相対性理論が破綻を来たし、宇宙の未来を予測する可能性はいっさい断たれることを意味している。

イスラエル自身を含めて研究者の多くはそもそものはじめから、厳密に真球の星はあり得ない以上、その崩壊は裸の特異点を露にして予測可能性の喪失を来すと考えていた。だが、口ジャー・ペンローズとジョン・ホイーラーは別の解釈を示した。回転していない星が重力崩壊すれば、残骸はただちに球状に落ち着くという考え方である。すなわち宇宙検閲官仮説で、自然は慎み深い女たるにふさわしく、特異点は人目につかぬよう、ブラックホールの奥に隠す想定だ。

ケンブリッジの応用数学理論物理学科で、私は研究室のドアに「ブラックホールは目に見えない」というバンパーステッカーを掲げていた。学科長は何としてもこれが神経に障り、私をルーカス記念講座教授に選任する工作をした上、私をもっと良い別の部屋に移して、手ずからステッカーを破り捨てた。

私のブラックホール研究は一九七〇年に娘のルーシーが生まれて数日後、考えが閃いて、そうか! と叫んだことからはじまった。就寝を控えて、特異点定理のために展開した因果構造論はそのままブラックホールに応用できると気づいたのがそのきっかけだった。とりわけ事象の地平、つまりブラックホールの境界の面積が常に拡大するであろうことは見逃せない。二つのブラックホールが衝突合体すると、そこに生じた事象の地平の面積はもとの境界面積の和より大きくなる。このことと、ジム・バーディーン、ブランドンーカーターと私が発見したもろもろの要因は事象の地平がブラックホールのエントロピーと似たようなものであることを示唆している。これは、見かけが同じブラックホールの内部に幾通りの状態があり得るかを知る尺度となるだろう。ただ、事象の地平がすなわちエントロピーだとは言えない。何となれば、エントロピーがあれば温度も高く、ブラックホールは熱い天体のように輝くはずだからだ。ブラックホールは漆黒で、光も何もいっさい放射しないと、かつては誰しもが考えていた。

議論は過熱して、一九七二年、レズーシュの夏期講座で頂点に達したが、デイヴィッド・ロビンソンと私が提起した無毛定理によってブラックホールにまつわる大きな問題はあらかた解決を見た。これは、星が重力崩壊して生まれるブラックホールは二つの数値、質量と回転速度だけで表される状態に落ち着くことを言ったものである。無毛定理はまた、ブラックホールにエントロピーがあることをも暗示している。多くの異なる星が崩壊して、質量と回転速度が同じブラックホールを作るかもしれない。

この理論はすべて、観測に裏付けられたブラックホールの証拠一つないままに完結した。その意味で、先端分野の研究はあくまでも実験的に進めなくてはならないと言ったファインマンは間違っていた。唯一、未解決で残された問題は宇宙検閲官仮説の立証だった。反証を挙げる試みはことごとく失敗に終わっている。これはブラックホール研究の根本課題である。仮説は正しいとする私の確信は揺るぎなかった。そこで、私はこの問題の結末についてキップ・ソーンとジョン・プレスキルを相手に賭けをした。楽観は許されない。裸の特異点に関して誰かが反証を見出して賭けに負ける可能性は大いにある。それどころか、議論の前段で言葉遣いに注意を怠ったために私は負けた。ソーンもプレスキルも、結着のしるしに贈ったTシャツを喜ばなかった。

一般相対性理論の検証に成果を挙げて、一九七三年に『時空の大規模構造』を発表した私はいくらか手持ち無沙汰だった。ペンローズと私は一般相対性理論が特異点で破綻することを証明した。となると、当然ながら次の課題は巨視的な理論である一般相対性理論と、微視的な量子論の統一である。量子論に関しては下地がない私に、特異点問題を正面から攻めるのはいささか荷が勝ちすぎる。そこで、準備運動の意味で、量子論に支配される粒子と場がブラックホール近辺でどのようにふるまうか考えることにした。とりわけ、宇宙の初期に形成された小さな原始ブラックホールを核に持つ原子があるかどうかが関心の要だった。

答えを求めて、量子場がブラックホールからどう拡散するか計算した。入射波の一部は吸収されて、残りが拡散する予想だった。ところが、驚いたことに、どうやらブラックホールから粒子の放射があるらしいことがわかった。はじめは計算の間違いと思ったが、この放射はまさに事象の地平面積とブラックホールのエントロピーを同定するのに必要な物理量だと知れて、疑念は確信に変わった。これは次の簡単な式で表すことができる。

 S=Ac**3/4hG

Sはエントロピー、Aは事象の地平である。この式には三つの基本定数が含まれている。cは光速、Gはニュートンの万有引力定数、hバーはブランク定数で、これによって従来まったく問題にされなかった重力と熱力学の深い関係が見えてくる。

放射は熱を奪うから、ブラックホールは質量を失って収縮し、やがては蒸発して跡形もなく消え失せると思われる。すると、ここに物理学の根幹にかかわる問題が持ち上がる。私の計算では、放射はまさしく熱放射で無秩序だが、事象の地平がブラックホールのエントロピーだとすれば、そうなくてはならないはずである。ならば、名残の放射は何かブラックホールを作ったかに関する厖大な情報をどうして保存できようか。だが、情報が失われるとしたら、それは量子力学と矛盾する。

この逆説は、さしたる進展もないまま、三十年にわたって論議されてきたが、挙げ句の果てに、私は決定的と思える解を見出した。情報が失われることはない。ただ、手に取るようには回収できないだけだ。言うなれば、百科事典を燃やすにほぼ等しい。煙と灰を逃さずにおけば、事典に記載された情報は消滅しない理屈だが、読むとなると極めて難しい。実を言うと、この情報の逆説についてキップ・ソーンと私はジョン・プレスキルを相手に賭けをした。賭けはジョンの勝ちで、私は野球百科事典を贈ったが、どうせなら燃やした灰を渡せばよかったかもしれない。
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