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イベントにも問われる人権、環境、そして未来

『イベントの仕事で働く』より イベントにも問われる人権、環境、そして未来 ⇒ イベントが社会を変える要素であることは、乃木坂のライブで痛感している。一番インパクトがあるのが、ひめたんの妹のすぅのベビメタルの公演なんでしょう。

今の社会は粉末?

 『繋ぎあい』、『学びあい』、『広めあい』など、機会財としてのコミュニティー機能の向上が大切である」としています。

 少し難しい表現だったでしょうが、現代は個人個人が〝粉末″のようにばらばらと存在し、仲間といっしょに食事をとらずに〝ぼっち席″にぽつんといたり、〝おひとりさま″の旅行が流行ったりすることを憂いているのです。もちろん時には一人で食事をすることも、個人旅行もいいことですが、いつもみんながばらばらでは、学校でも地域でも会社でも、助け合ったりコミュニケーションを深めたりできません。

 そんな現代社会の課題に有効なのが、イベントです。イベントは、人と人とを結びつけ交流をさせ、同じ体験をして感動を共有することで、理解を促進し絆を深めてくれます。

 最近全国で「隣人祭り」というイベントが話題になっています。聞いたことがない人も多いでしょう。その名の通り、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集まり、食事をしながら語り合います。都会のマンションなどの集合住宅に暮らす人たちが、1年に一度顔を合わせますが、今やヨーロッパを中心に29力国、800万人が参加する世界的なイベントなのです。

 「隣人祭り」の発祥はフランス。パリ17区の助役アタナーズ・ペリファンさんが提唱者です。きっかけは、パリのアパートで独り暮らしの女性が孤独死し、1ヵ月後に発見されたことでした。ペリファンさんが駆けつけると、部屋には老女の変わり果てた姿がありました。同じ階に住む住民たちに話を聞くと、「一度も姿を見かけたことがなかった」と答えました。大きなショックを受けたペリファンさんは、「もう少し住民のあいだにふれあいがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか?」と考えました。そして、NPO活動を通じて1999年に「隣人祭り」の開催を人びとに呼びかけたのです。

 第1回目の「隣人祭り」は、悲劇の起こったアパートに住む青年が中庭でパーティーを開催し、多くの住民が参加し、語り合いました。このイベントは大きな共感を呼び、今や日本をはじめ、世界中で開催されています。

 「隣人祭り」のようなイベントが求められる背景には、先はどの〝粉末社会″問題、行きすぎた個人主義に危機感を感じている人がたくさんいるということでしょう。

 みなさんのイメージするイベント(夏フエスや世界的なスポーツ大会など)とは、大きくイメージが異なるのではないでしょうか? イベント領域の広さ、社会に貢献する可能性など、まだまだイベントは進化していくことでしょう。

みんなに優しいイベントを

 イベントは、日常にアクセントを、生活にスパイスを加えてくれます。それを、みんなが楽しみにしています。

 小さな子どもからシニア圭で、全世代を対象とした市民コンサートがあったとします。ファミリー全員でコンサートへ出かけましたが、ちょっと足が弱いおじいさんの車椅子では、客席までの道のりが大変……。お母さんはおなかに赤ちやんがいましたが、会場の椅子はすでに満席で座る場所がない……。お父さんはみんなの荷物を持つ係でしたが、クロークやロッカーがなかったのでくたくた……などなど。すべての人が楽しい、楽しめるイベントであればよいのですが、一部の人には優しくない、つらいイベントがまだまだ行われています。

  〝すべての人に優しいデザイン″として、「ユニバーサルデザイン」があります。「ユニバーサルデザイン「UD = Universal Design)」とは、文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障がい・能力を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン) のことです。

 1985年、ノースカロライナ州立大学のュニバーサルデザインセンター所長であったロナルド・メイスさんが提唱したもので、「できるだけ多くの人が利用可能であるようなデザインにすること」が基本の考え方です。デザイン対象を、障がい者に限定していない点が、一般にいわれる「バリアフリー」とぱ異なります。「バリアフリー」は、「バリアを除く(フリーにする)」ということで、今あるバリア、たとえば入り口に階段があれば、それをスロープにするという考えですが、「ュニバーサルデザイン」は、はじめからバリアをつくらない、もともとバリアのない考え方という点が特徴です。この「ュニバーサルデザイン」の考え方をイベントに適用したのが、「ュニバーサルイベント」です。

 イベントは本来、参加を希望するすべての人が、困難なく快適に参加でき、充実したコミュニケーションが実現できる空間であるべきでしょう。当然、高齢者や障がいのある人も楽しく参加できなくてはなりません。これまでも、博覧会や展示会などでは、障がい者用トイレや導線ぱ考えられていましたが、しかし、それはあくまでも「障がい者対策」としてであり、基本は健常者中心の会場構成でした。

 これからは、すべての人が特別扱いでなく、ふつうに参加できるイベントを考える必要があるのではないでしょうか。「身障者対応」「高齢者対応」を特別に考えるのではなく、企画・計画・会場設計・運営すべてにわたって、誰もが参加できるという前提で考えるイベントが、当然のこととして求められてくるはずです。

 これからのイベント人は、すべての人が参加できるイベントには、どのような視点や配慮が必要なのか、どのような技術の開発が求められているのかを考えていかねばならない時代となることでしょう。

 高齢者も障がい者も子どもも女性も男性も外国の人も、すべての人びとが、人種や年齢、身体的条件にかかわりなく自分らしく生きたいところで生き、したい仕事や社会参加ができ、そうしたチャンスを平等に与えられる〝みんながいっしょに″活動できる社会をめざす考え方=「ノーマライゼーションと、多様性を受け入れ、さまざまな人が集まることのできる新しい社会をつくる力を秘めている考え方=「ダイバーシティ」。

 イベントにも、新しい思想と哲学が求められています。

イベントも取り組む環境問題

 イベント業界も社会の構成員として、今後取り組んでいかなくてはならない重大なテーマに、地球規模での大きな問題、環境問題があります。

 今や若い人に圧倒的な支持を受けている、日本の野外音楽フェスティバルの草分け、「フジロックフェスティバル」。ロックと環境問題、一見無縁に見えますが、実ぱ、そこには大きな接点があります。年に一度、真夏の苗場に3日間で延べ10万人もの人が訪れます。10万人といえば、東京ドーム2個分の入場者数のスケールです。

 大自然の中で音楽を快適に楽しむには、さまざまなルールが必要となります。周辺の地域住民に迷惑をかけない、自然を傷つけない、ゴミを持ち帰るなどなど。これらのことがクリアされなければ、このようなイベントは継続できません。「自己責任」、自分でできることは自分でやる、人任せにしない、この「フジロック」にテントを持って参加した多くの人びとは、そのことを学んで帰ります。

 環境への対策として、多くのボランティアと連携したゴミ対策や、NGOの環境活動を紹介するビレッジの設置、35万食におよぶエコ対策をほどこした紙食器の導入を決めました。さらには、国際環境団体フューチャーフオレストに参加。「フジロック」の会期中に排出されるCO2を換算、412トン分を吸収できる樹木562本を購入し世界各地で植林する、日本初のカーポンニュートラルヘの参加となりました。

 大小複数のステージを点在させ、世界中から訪れた大物アーティストから無名のミュージシヤンに至るまで、自分の好みに合わせて各自が思い思いに楽しむことができるロックフエスティバル。それを可能にするためには、〝人や自然に迷惑をかけないこと″という約束と、それを守ること。自然と音楽の共生という理念に賛同してくれるスポンサーとしかタイアップしないという主催者の強い意思。「フジロック」は、決して大上段に〝環境イベント″であることをうたっているわけでぱありません。しかし、快適な音楽シーンを野外で創造していこうとする過程の中で、クリアしていかなくてはならない事態がつぎつぎと発生し、知恵を絞った結果として環境イベントに育っていったのです。
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