TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

中秋の名月

2012年09月28日 | SUWV
もうすぐ、中秋の名月。



 中秋の名月が近づくと、朔太郎ではないが、月に吠えなければならない。このブログでは文が長くならないように気をつけているのだが、今回は少し長くなりそうである。

 大学1年の時。
 中秋の名月と月食が重なった。教養学部の屋上でワンゲル有志が集まり月見をした。ブスにコッフエル。水炊きとサッポロジャイアント。オレンジの食器で酒を酌み交わしながら西に傾くまでの月を見た。次の日が前期の試験というのに…。

注1:「ブス」とは登山用語で、登山用ガソリンコンロ「ホエブス」の略である。
注2:あの頃の大学には、自由と自治の精神が多く残っており、校舎に鍵はかからずいつでも学生に開放されていた。夜の屋上にも勝手に行けた古きよき時代である。

 
 大学3年。中秋の名月、ボックス横でファイヤーの火を囲みながら月を愛でた。酔いがまわり、山の歌を歌い、ワンゲル論議で夜もふけた。誰かの提案で、早朝の天山に登ることになった。車で八合目まで行きそこから歩く。(今なら飲酒運転。なんの、当時も飲酒運転!)
 はたして早朝の天山山頂。 先客がいて驚いた。傘を差し、シュラフを敷いている横には一升瓶。その人曰く、「山頂で月を見ながら酒を飲み、一晩あかした」と。傘は夜露をしのぐためのものだという。なんと風流な。私もそれに憧れいつかはするぞと思いながら30数年…。

 10年ちょっと前かな、中秋の名月と皆既月食が重なった。この夜は気合い入りまくりで、女房子供と一緒に期待に胸をふくらませながら世紀の天体ショーを見守った。満月が少しずつ欠けていき、いよいよクライマックス。最後は消えると思っていたら不気味な色の月の残像が漆黒の夜空に残った。(薄気味悪いあの色は「赤銅色」と言うらしい)


 月や星を見るという楽しみ方はワンゲルに入るまで知らなかった。空気の澄んだ山の上からの星空はとても美しく下界(ワンゲルではよく使っていた言葉。苦労して山の上にいるという特権意識からだろう)のそれとは比べものにならない。夏の大三角形「白鳥座」は小学生でも知っているが、あれが白鳥に見えることはまずない。ところが大学2年の秋、北アルプス穂高から仰ぎ見たそれは、羽と称せられるところに、下界からは見ることのできない無数の小さな星がちりばめられていた。さながら羽である。白鳥の羽である。太古の昔は空気が澄んでいて、下界からもあの羽が見えたのだろう。

 今年の中秋の名月はたぶん台風の影響で見れないだろう。2日早い月見と勝手に決め込んで酒を飲み、団子を食している。

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