1991年のザ・森高ツアーの再現ライブを観に行った。
このような再現ライブ企画は森高自身も初めてだったので、どこまで忠実に
再現するか悩んだのだろう、最終的にはサプライズなく、再現しつくした感がある。
1991年といえば、ジョージとクラプトンが来日した年。私が大学生の時で、そのころは
パソコンも携帯もなかった時代。スポーツ新聞、少年ジャンプ、固定電話の留守番電話の
時代。
終始ライブを観ながら思ったことは、同い年の森高がなんであんなに元気なんだろうという
こと。自らをパッケージ商品化しブレイクした彼女は、その時の衣装そのままで、歌い踊り
きった。そこには26年の時間を感じることが出来ないほど。
一方、自分自身はこの26年で、いろいろなものを身につけ、いろいろなものを無くし、
26年という月日を無性に感じてしまった。色褪せたっていうべきか。
26年前、雨が大好きだった。曲の雨じゃなくて本当の雨。バイトと麻雀、飲み会の連続で
体が疲れていても、昼間に雨の音を聞きながら昼寝すると元気になった。
今も雨は好きだけど、雨の日の昼寝なんてできないし、きっと昼寝をしても元気いっぱいには
ならない。
パッケージ商品となった森高千里は、26年後も色褪せていなかった。言い切れないけど、
そういっていいレベルだった。私を含め、オーディエンスの多くは色褪せてしまっていたのに。
でも、私だって色褪せても今もあのころと本質は変わってないと思う。
ずっと探していたポールのMemory Almost Fullの限定盤再発CDが帰宅後に届いていた。
新品なのにジャケットがすごく色が退色していた。色褪せた「追憶の彼方に」。
そして1991年、大学の頃の、追憶の彼方の、雨。
いつだってやっぱり心は同じかも。
このような再現ライブ企画は森高自身も初めてだったので、どこまで忠実に
再現するか悩んだのだろう、最終的にはサプライズなく、再現しつくした感がある。
1991年といえば、ジョージとクラプトンが来日した年。私が大学生の時で、そのころは
パソコンも携帯もなかった時代。スポーツ新聞、少年ジャンプ、固定電話の留守番電話の
時代。
終始ライブを観ながら思ったことは、同い年の森高がなんであんなに元気なんだろうという
こと。自らをパッケージ商品化しブレイクした彼女は、その時の衣装そのままで、歌い踊り
きった。そこには26年の時間を感じることが出来ないほど。
一方、自分自身はこの26年で、いろいろなものを身につけ、いろいろなものを無くし、
26年という月日を無性に感じてしまった。色褪せたっていうべきか。
26年前、雨が大好きだった。曲の雨じゃなくて本当の雨。バイトと麻雀、飲み会の連続で
体が疲れていても、昼間に雨の音を聞きながら昼寝すると元気になった。
今も雨は好きだけど、雨の日の昼寝なんてできないし、きっと昼寝をしても元気いっぱいには
ならない。
パッケージ商品となった森高千里は、26年後も色褪せていなかった。言い切れないけど、
そういっていいレベルだった。私を含め、オーディエンスの多くは色褪せてしまっていたのに。
でも、私だって色褪せても今もあのころと本質は変わってないと思う。
ずっと探していたポールのMemory Almost Fullの限定盤再発CDが帰宅後に届いていた。
新品なのにジャケットがすごく色が退色していた。色褪せた「追憶の彼方に」。
そして1991年、大学の頃の、追憶の彼方の、雨。
いつだってやっぱり心は同じかも。