名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

北陸もあったかい

2020年01月30日 | 朝な夕なのこと
 半年ぶりの3百キロ走りでした。夕方引き取りで石川県・かほく市まで。
今年は暖冬であるのでタイヤがそのまま…これは怠慢です。
白川郷にも雪はなし・・・とTVで昨日みてたんですが、やはりなにが起きるかわかりませんのでスタッドレスタイヤを積んどきました。
北陸道経由にて走る。雨がふってましたが寒さはなし。21時終了。帰りは東海北陸道にて・・ひるがの高原にも雪ナシ・・・通常ならば、この季節この道は避けるんですが・・・なにか「異常」を感じてしまいます。
江戸時代天保(1830年代)には冷夏による凶作が続いた。夏の米作時期に、寒さで袷・綿入れの着物を着た・・・と。そして飢饉となる。
これからの気候がどうなるか・・・なんでもありの地球となってしまいました。



めんどくせ~確定申告・・・

2020年01月27日 | 私のなりわい・運送のこと
 めんどくせ~確定申告の時期となりました。31回目?です。
往年に比すれば、伝票も少なく、計算は簡単なはずなんですが・・・こちらの計算能力が落ちておりますので、ややこしくなってます。
日常の経理は、売り上げと、経費の領収書と金銭出納だけです。
売り上げの集計は済む。思い通りショボい13%減でした。
仕事一本槍ではなく、体調もバリバリではなく、家での介護に時間がとられるし・・・なによりも自分の経年劣化が順調ですから・・・



代わる者あることなし

2020年01月19日 | 仏法

 新年になってから旧友2人を尋ねる。いづれも仕事人生を引退し気楽に過ごしてると思ったんですが・・・
一人はその通り、趣味を十分に楽しんでいました・・・も一人は・・・入院してました。リハビリでした。

対面したとき、「がんばれよ」「大丈夫治るから」・・・などとはとても言えませんでした。ただ手を握り、「つらいなぁ~」と言えただけ。
彼のカミさんの言では、昨年11月から病んでいると。
当然私は知らぬこととて、その間ノンキ?に喜怒哀楽の暮らしでした。人は他者の苦しみを担うことはできない・・・

「無量寿経」に・・・・人は愛欲の中に生まれ、独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る・・・身みずからこれをうけ、代わるものあることなし・・・・「独生独死独去独来 身自当之 無有代者」とあるにうなずくばかり。


暖冬なんです

2020年01月16日 | 世間のこと
 暖冬です。異常気象なのでしょうか。それも世界中・・・オーストラリアでは、アッチコッチの森林火災。すでに北海道の面積を焼いてしまった。ニューヨークでは桜咲き、昨年フランスでは46度にもなったとか。アフリカでは深刻な干ばつにての飢餓。
地球の気候変動には、剣が峰があるそうだ。少しづつの変化がある域に達すると、激変に至るトリガー(引き鉄)です。それが引かれてしまうと、もう引き返すことはできない。そうなれば、ケイザイどころのハナシではなく、荒涼の地球となる。
しかしヒトはノンキです。わたしも・・・この暖冬で、スタッドレスタイヤに交換する時期を逃し、今に至りどうしよか・・・くらいのことしか考えてないんですから・・・
地球の再生能力をひどく侵し食いつぶしてる一人であるという思いはあるんですが、そこまでのことですし・・・

廃業の葉書

2020年01月10日 | 私のなりわい・運送のこと
 「軽貨物運送業 廃業のお知らせ」の葉書が来る。
赤帽の看板を下ろしてからも、自社仕事の運送を続けてきた仲間でした。
年賀状もありましたし、昨年末にはコロ仕事をしてもらってもいたんです。
ほぼ同年配ですので、チョイと淋しい思いをする。
TELをしてみた。あと二三年やろか…と本人も考えいたそうだ。昨年の秋頃には、定期仕事を二つ取り込んで、やる気を見せてましたが。
理由はともあれ、思い通りにゆかぬのが人生。スパッと次の人生路を歩みだす意と汲みたい。

  廃業の 文字清々と初便り

初仕事…早々に

2020年01月07日 | 私のなりわい・運送のこと
 赤帽開業して32回目の正月も終わりました。さて…初仕事は5日からでした。
今年は、ホテルの正月飾りの撤去仕事でした。仲間の依頼で2台口です。ある華道の大がかりなものでした。2時間程度で終わるかな…と思ってましたが30分程オーバーしましたが無事終了。
相棒の赤帽さんは、5時半からの仕事があるようで、すっ飛んでいきました。私はこれにてオシマイ・・・で、帰る。

・・・今年は、また戦争の気配で始まる。米のイラン軍司令官殺害を受けて、イランが報復を公言している。
1991年(平成3)の正月明けもよく似た状況でした。湾岸戦争の口火が切られた1月17日を覚えてます。その夜は、ある予備校の仕事で三重県の熊野市へ深夜走りしていました。一晩中ラジオで戦争の状況を聞いてたことを覚えてます。
 また赤帽車のラジオから辛くて悲惨なニュースは聞きたくはないんですが・・・


「お帰り 寅さん」

2020年01月05日 | 朝な夕なのこと
 久しぶりの映画、「お帰り寅さん」を見る。
1969年放映より50年目の49作目です。最終48作は、阪神大震災にて焼き尽くされた長田区の商店街での、復興のしるしであろうか、朝鮮舞楽の中で終わった。
あれから二十数年を経ての物語でした。
さくらの子、滿夫も高校生の娘の親となっていた。滿夫の妻の七回忌の法要から始まる。そして彼の高校時代の恋人「泉ちゃん」との再会から展開する。
物語は、寅の過去のシーンを交えて展開される。二十数年の年月は、「老い」というテーマも持たざるを得ない。
さくらの物忘れ・・源公の鐘を一つ撞いてはヘタリ・・滿夫の恋人であった泉ちゃんの実父の施設での姿・・その介護と亡くなった時のこと・・泉の仕事、国連UNHCRの難民問題などの今日的問題も描かれてました。
終始、滿夫のこころには寅が姿が流れていました。
 寅はやはりお正月映画でした。