今年もおわりです。
どんな年だったか・・・いろいろありましたが、済んでしまえばそこそこの年といえましょうか。
赤帽仕事の一年はどなかなぁ~
- 仕事量はさして変わりなし。水揚げは大きい変化はないようだ。仕事があっても体がセーブするようになりました。
- 事故・故障・違反はなし。
- 荷物の損傷が一件ありました。引っ越しの際、液晶TVを倒して荷物保険を使いました。免責一万円の損金でした。
- 仕事上での誤配、トラブルもなし。
- 仕事での怪我はなし。散歩にてひどい捻挫、一月ばかりグズグズはしましたが。
今年もおわりです。
どんな年だったか・・・いろいろありましたが、済んでしまえばそこそこの年といえましょうか。
赤帽仕事の一年はどなかなぁ~
やっと先月末よりのイロイロが小康状態となり、仕事をせねば・・・ということになる。
日常のことがありがたく思うことは誰でもありますね。なんのわだかまりのない日々は、愚痴が多くでます。問題が起き、伏してしまう日々があり、その暗雲が過ぎ去ると、愚痴を言いっぱなしだった日々は、実は輝いていたんだと・・・それに気づかなかっただけだったと。
ほぼ同年の赤帽仲間が倒れ、数日の間に亡くなった。先日まじかで話した彼は、香典返しのお茶と、お茶漬になり替わってしまいました。あのワイワイとだべってた時は、じつに二度とはない稀有な時のながれだったんでしょう。
どうも私たちはこのことに気づくことなくぼんやり生きているようだ。チコチャンに「ぼ~っと生きてんじゃないよョー!」とカツを入れられる思いです。
それから、ただいま現在をありがたく思っても、この小康状態もたちまちに粉砕されるであろうことも・・・これは「諸行無常」・・すべてのもの・現象はとどまることはない・・・とお釈迦さんがしるしています。
仕事がないことをよろこぶこともあるんです。
先月下旬よりイロイロありまして、仲間の依頼や組合の仕事を断っている。自社仕事で短いコロ仕事のみに専念してる。
このところ調子よく仕事のコールがない日が続きありがたい。逆にアレコレ入ってくると、全て仲間に依頼せねばならんので、腹の虫が歯ぎしりするだろうからだ。
ヒトは自分の都合の虫です。あれば喜び、なければ愚痴る。しかしこれが簡単に真逆となるのを自分の中に見つける。ひとのモノサシのメモリはあてにならない。こんなモノサシをあてにして生きていくのはあほらしい。
お釈迦さんの問答です・・・
「子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ・・・」と悪魔がいった。
師(釈迦)は答えた、「子ある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」と。
牛は当時インドでは財産の一つでした。人は執着するものに喜びを求める。私が仕事に対するように。師は執着するものがない人は憂いがないと説く。
・・・フムフム・・・なるほどですが、執着のモノサシは握りっぱなしのワタシです。
昼過ぎ作業中にTEL。赤帽Hさん亡くなったと。今夜通夜式。明日昼に葬儀式。いづれも私用・仕事で参列ならず。Hさんとは仕事のやり取りはないが、仕事先でよく会い、先月末にも雑談したばかりです。また、今年の夏、組合配車の引っ越しをともにした時、オレのほうが一歳若いぞと、階段を軽やかにこなしてたんですが・・・
Hさんと仕事を常にしている赤帽さんにTELして、彼に香典を持参し、通夜式に代参してもらうことにした。
ブログが連続して訃報の話です・・・気持ちが萎えます。
今年も喪中はがきが多く来ました。ここ数年多い。
本日カミさんが風邪でいつものかかりつけの内科へいく。メールがカミさんから入る。医院の先生が亡くなった!58歳です。詳しくはわかりません。・・・こんな時には
蓮如さんの「白骨のおふみ」が浮かんでくる。
一生すぎやすし・・我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝(あした)にの紅顔有りて夕べには白骨となれる身なり。・・・人間のはかなき事は、老小不定のさかいなれば・・・(略)・・そして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり・・・と結んでいる。
短い人生を空過(むなしく過ごす)してはならない。という励ましです。人はむさぼりと瞋り(いかり)そして自分は正しく賢いという痴毒(三毒)からはなれられない・・・そんなわれを目当てに、阿弥陀はおいかけるように救ってくださる。弥陀の名を称え、自分は三毒で生きておるものと時々に気づくならば・・・