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13世紀の飢饉・疫病

2021年01月10日 | 仏法
 疫病が流行ったのは今だけではない。
遠く鎌倉時代・13世紀の半ばにも台風・凶作にて窮民が食い物を求めて諸国を流浪した。正嘉の大飢饉という。この原因はインドネシア・ロンボク島の大噴火による日照不足による。英国でも多数の死者があったという。
時の鎌倉幕府は、地頭に命じて食を求める流浪を認めたと年表にあります。

 この翌年、親鸞聖人88歳の消息(手紙)に京都・諸国の飢饉、疫病にて多くの人が亡くなったことを記している。

 「なによりも、こぞことし(昨年今年)、老若男女おおくのひとびとのしにあい(死合)てそうろうらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常(しょうじむじょう)のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろうえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう・・・」
・・・・と書いてます。
疫病も餓死も驚くことではないのです・・・と。この生まれて死んでいく道理は、すでにお釈迦様がくわしく説いてくださっていることです・・・と。
疫病の猛威に医学の智慧もなく、生死は天まかせです。累々たる屍という状況の時代でした。
 現代は「死」に向き合うことを忌避しますが、親鸞聖人の時代は日常茶飯事です。しかばねゴロゴロは「おどろきおぼしめすべからずそうろう」なのです。臨終が苦悶の悪相だとか、穏やかだとかの善し悪しは問わないと。信心定まったものは、阿弥陀仏の誓い(おまえを救うぞ)を疑うことがないので必ず往生する身と決まっている。だから愚かな無智のものでも何の心配もなく臨終を迎えることができる・・・と。この信心ならば、だだいまここにて生きていかれる。