「硫黄島からの手紙」
以前に一度観ているが、なぜか急に観たくなり、DVDを借りてきた。
イーストウッドは、何故こんなにも心に残る作品を作れるのだろうか・・。
しかし、この作品の評価は、結構分かれているようだ。まぁ、観る人それぞれなのであろう。
この映画は、1944(昭和19)年に硫黄島にやって来た栗林中将(渡辺謙)と、一兵士である西郷(二宮和也)の視線から、この島で起こった壮絶な戦いを描いている。
「父親たちの星条旗」がアメリカ側から硫黄島について描かれているのに対して、
本作は“日本側”からこの島での戦いを描いているのである。
栗林は、それまでの古旧な作戦を大幅に転換し、黒い火山岩の中に迷路のようなトンネルを掘って、張り巡らせた。
栗林はかつてアメリカに留学した経験があり、アメリカの戦力の膨大さを知っていたのである。
西郷の視線から、末端の兵士たちの戦いが描かれる。
まず、この島は水が無い。
おそらく、雨水を貯めて飲んでいたのであろう。
西郷の戦友は疫痢にかかり、敵と戦うまえにこの世を去った。
清水(加瀬亮)が西郷の隊に入ってきた。憲兵隊をクビになり、戦場へ送られたのである。
ロス五輪馬術競技金メダリストの西中佐(伊原剛志)が新しく着任してきた。栗林中将のよき理解者である。
1945年2月19日。アメリカ軍が上陸開始。
当初5日もあれば終わるであろうと言われていた戦闘が、日本軍のしぶとい抵抗に遭い、36日間に及ぶ激戦となった。
「米軍の本土上陸を一日でも遅らせることが、我々の使命である。自害せずに最後の一兵になっても戦い続けよ。」
栗林中将は言った。
何年か前、NHKのドキュメンタリーに、硫黄島の戦いの数少ない生き残りの方が何名か出ておられた。
食べる物がなくなり、最後は「炭」を食べたそうである。
この硫黄島の戦いで、米軍7000人、日本軍約2万人の死者が出たという。
以前に一度観ているが、なぜか急に観たくなり、DVDを借りてきた。
イーストウッドは、何故こんなにも心に残る作品を作れるのだろうか・・。
しかし、この作品の評価は、結構分かれているようだ。まぁ、観る人それぞれなのであろう。
この映画は、1944(昭和19)年に硫黄島にやって来た栗林中将(渡辺謙)と、一兵士である西郷(二宮和也)の視線から、この島で起こった壮絶な戦いを描いている。
「父親たちの星条旗」がアメリカ側から硫黄島について描かれているのに対して、
本作は“日本側”からこの島での戦いを描いているのである。
栗林は、それまでの古旧な作戦を大幅に転換し、黒い火山岩の中に迷路のようなトンネルを掘って、張り巡らせた。
栗林はかつてアメリカに留学した経験があり、アメリカの戦力の膨大さを知っていたのである。
西郷の視線から、末端の兵士たちの戦いが描かれる。
まず、この島は水が無い。
おそらく、雨水を貯めて飲んでいたのであろう。
西郷の戦友は疫痢にかかり、敵と戦うまえにこの世を去った。
清水(加瀬亮)が西郷の隊に入ってきた。憲兵隊をクビになり、戦場へ送られたのである。
ロス五輪馬術競技金メダリストの西中佐(伊原剛志)が新しく着任してきた。栗林中将のよき理解者である。
1945年2月19日。アメリカ軍が上陸開始。
当初5日もあれば終わるであろうと言われていた戦闘が、日本軍のしぶとい抵抗に遭い、36日間に及ぶ激戦となった。
「米軍の本土上陸を一日でも遅らせることが、我々の使命である。自害せずに最後の一兵になっても戦い続けよ。」
栗林中将は言った。
何年か前、NHKのドキュメンタリーに、硫黄島の戦いの数少ない生き残りの方が何名か出ておられた。
食べる物がなくなり、最後は「炭」を食べたそうである。
この硫黄島の戦いで、米軍7000人、日本軍約2万人の死者が出たという。
梯久美子さんの書かれた「散るぞ悲しき」という本は素晴らしくておススメです。
「散るぞ悲しき」読んでみます。
それにしても、イーストウッドの作品は懐が深いですね。
TBありがとうございました
テンプレのウィスキーの画像,とっても美味しそう~~
と,へんなところに反応してしまった私ですが
この映画は,作品の質の高さもさることながら
「硫黄島の戦い」について世に知らしめた,ということの功績が大きいと思います。
映画では描かれてなかった実際の日本兵の惨状を調べるにつけ
「知らなかった」自分が愚かしく思えてなりません。
きっかけをくれたのがアメリカの監督だった,ということも
複雑な思いにはなりますね・・・。
日本は戦争に負けました。
ゆえに、当時の日本兵がみな否定されるような描き方をされがちですが、
イーストウッドは、事実は事実として、そこに、一人一人の兵士の“尊厳”を見出し、作品にしてくれた・・・そんな気がします。