北海道と九州の風来旅とマイ道楽

マイ故郷の北海道観光旅と、毎年春にマイワイフ実家へ帰省ついでの九州観光旅と、マイ道楽「気ままなモクモク工房」のご案内!

宇佐市の戦争遺構Ⅱ 掩体壕と一体化したメモリアルパークが出来るゾ!

2018-05-29 | 風来旅
前出Ⅰの中でも紹介したが、数年前に訪れた「城井一号掩体壕」は、宇佐市の維持管理の元できれいにされていたが、
平成32年には隣接地に「宇佐市平和資料館(仮称)」がH32開館予定で、位置的には現「城井一号掩体壕」の左側に
建設される。
「永遠の0」撮影用のゼロ戦や桜花(含レプリカ)にも対応の格納庫のような展示空間で、戦争の歴史資料等が
たくさん展示されるようだ。


位置的にはこの写真の左側一帯のようだ。




床の白セメントはゼロ戦機体を表し、国東沖で引き揚げられたエンジンは機首部分に配置。




「城井一号掩体壕」を時計回りで、滑走路跡からスタート。


付近には農家の倉庫として現存する掩体壕が幾つか見られる。


唯一残る現存最大の「中型掩体壕」。一式陸上攻撃機のような中型機を入れていたようだ。






「無蓋掩体壕」は農家の田園風景と一体化?しているようで、田舎道に迷ってあきらめた・・・。

その足で、現「柳ヶ浦小学校」に残る戦禍を見に行くことにした。小学校の塀に機銃掃射の弾痕がたくさん残る。




そのすぐ近くに、破壊されて横たわる門柱が、そのまま70年の時を刻んでいる。




これは基地内配置図で見ると裏門に当たるのかナ? 後ろの建物は「柳ヶ浦小学校」。

宇佐市の戦争遺構Ⅰ 「宇佐市平和資料館のゼロ戦と桜花」

2018-05-25 | 風来旅
鹿児島県指宿をスタートして、4日間の”お急ぎ風来旅”も無事に実家のゴールに入り、一段落したのもつかの間で、
札幌に戻るまでの一週間を、国東半島の田舎でいかに快適に過ごすかを思案した結果、未取材のある大事なことに
ハタっと気が付いた。

このブログの来訪者一番人気記事が、2014.8.13にUPした「国東半島 宇佐市の戦争遺跡」の記事が、今も毎週の
ようにベスト1~5番の順位を競っている。
再度現地に赴いたのを機会に、興味ある読者諸兄から背中を押され、来訪御礼と更なる取材情報を兼ねて、地図に
残されている「宇佐海軍航空隊」の足跡や、軍事施設の現在を廻ってみる。

宇佐市大字閤440-5 に、「宇佐市平和資料館」があり、戦争資料の収集を続け本格的な平和ミュージアムの建設を
目指す施設がある。ここ宇佐はハワイ真珠湾攻撃に参加の航空母艦艦上攻撃隊が訓練された。
また、沖縄への特攻出撃の基地にもなり、110名が特攻訓練開始とある。

平成32年には「宇佐市平和資料館(仮称 平和ミュージアム」がH32開館予定で、位置的には現「城井一号掩体壕」の
左側に建設される。
「永遠の0」撮影用のゼロ戦や、一式陸上攻撃機に吊るして出撃する「桜花(レプリカ)」にも対応の格納庫のような
展示空間で、戦争の歴史資料がたくさん展示されるようだ。








ゼロ戦操縦席




人間爆弾「桜花(レプリカ)」




当時の基地内配置図


手に入れた(平和ミュージアム完成予想図)はコレ!




以後、次の地図に従い、数回にわたって戦争遺構巡りをしてみよう。新しい発見があるかも?

南九州ぶらり旅 十字架の入江 「願いが叶うクルスの海」に寄り道

2018-05-22 | 風来旅
宮崎での飛び込みホテルの一夜を明け、覗いてみたかった日向「願いが叶うクルスの海」へ東九州自動車道を
北に向けて車を走らせる。実家までの風来旅四日目最後の旅程。
日向インターから細島灯台に向かって10分程で道案内があったので、右折し小高い山道に入っていく。

訪れると願いが叶うという伝説があるクルスの海。その岩の形状が「叶」という文字に見えるという。




ここを訪れた者の心を清め、願いや希望を天に託すため、その象徴として「クルスの鐘」を設置したとの事。




岩を含めて「叶」の文字になるか?写真を横にしてみた??


あちこちで「旅の無事をお願い三連チャン」が叶い、夕方に豊後高田の実家に到着。

九州に上陸後は、この四日間で約800㌔の寄り道ドライブをしたので、これまでの疲れを癒すのに早速ながら
晩酌前に、くにさき六郷温泉の名湯「真玉温泉 山翠荘」の炭酸水素温泉に飛び込んだ。
ここは640年前に真玉五郎が開いたと伝えられる国東随一の古湯。


川辺の庭に咲く桜(一昨年)。今年はサクラの満開が早すぎて置いて行かれた・・・。


真玉温泉帰りは、潮汐表によると小潮で80㎝程の干潮で、干潟と夕日が見れる数少ないチャンスだったので、
少し回り道をして「夕日百選 真玉海岸」を通ってみた。もう少し晴れていたら最高だけどなぁー・・。




瀬戸内海の向うに見える山々は山口県。近くに感じる。


「真玉海岸」から車で2分程の海岸に近いところに、温泉マニア絶賛の、金気を含んだ濃厚な塩化物泉が湧く、
くにさき六郷温泉の一つ、昨年にも紹介した民家風の珍しい「海門温泉」がある。




建物の目の前にはがけをくりぬいた防空壕。今は、物置替わり。


風呂のはしごはパスして早々に帰宅し、城下カレイや関サバの刺身を肴に地元の麦焼酎で長旅の疲れを癒そう!。

南九州ぶらり旅 「青島神社へ参拝と、鬼の洗濯岩を散策」

2018-05-18 | 風来旅
小林市の陰陽石神社への参拝を済ませ、まだ陽が高いので、宮崎県第二の観光名所「青島神社と鬼の洗濯岩」に
高速道路で向かった。神社のハシゴ??

青島の周りには「鬼の洗濯板」と呼ばれる珍しい波状岩が広がっている。正式には「隆起海床と奇形波蝕痕」だそうで、
青島の周囲と日南海岸の海岸線に見られる。大昔に海面下にあった岩が地質変動によって水面上に現れ、波や海水に
浸食されて現在のような形が出来上がったとある。


干潮時には海岸線に沿って沖合100mに及ぶ自然の不思議を思わせる岩肌が出現し、見事な景観を楽しむ事ができる。
昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定された。
到着時は一日に2度目の干潮時に出合い、運が良く見事に洗濯岩が出現していた。










青島神社への参拝を忘れずに。












今晩の宿は、宮崎市内ビジネスホテルに飛び込み、広々ツインで取れた。夕食は郷土料理と地鶏と地酒の有名居酒屋で。
明日からはいよいよ帰札までの一週間、実家での生活が始まる。

南九州ぶらり旅 「宮崎県自然遺産指定 小林市 陰陽石神社」を参拝

2018-05-15 | 風来旅
宮崎県小林市の町はずれに、神聖なる「陰陽石神社」という珍妙な神社がある。

「陰陽石神社」    陰陽石神社の由緒について以下のように書かれている。
祭神 皇産霊神(むすびのかみ)   
天下の奇石陰陽石は昇天の竜がこの地に居合わせた妙齢の美人に見惚れて降り、そのまま化石となり名勝陰陽石に
なったと言われる。
この地には古来より縁結び、安産、工産、商産とあらゆる生産の開運の神である皇産霊神(むすびのかみ)が
祭祀されており、どんなことでも一言を祈願すれば必ず霊験あらたかにして、遠路わざわざ参拝され祈願される
人も多く、旧藩時代には藩主が神司を遺し多くの領民を集めて生成化育護国豊穣と領民の幸福を祈願されたという。
この神社は何時の世からか陰陽石神社と呼ばれるようになった。

我夫婦、新婚旅行以来45年超の再訪問であり何となく懐かしいが、当時とは少し様子が変わっていた。
子供二人を含め我家の家族4人が平穏無事に過ごせたお礼参りを済ませ、雨も上がったので散策開始。







岩瀬川の支流浜の瀬川にある陰陽石は、霧島火山帯の火山活動による溶岩が川の流れ等によって出来たものと
言われている。(自然造化説)  何しろリアルでデッカイ!!
陽石(男石)高さ17.5m、頭廻り19m。
陰石(女石)縦割り9m、潤いの舌3mの岩。(もっと詳しく知りたい方は、ネットで調べると良い。)
このように対になって男女の性器をかたどっている岩は世界でも珍しいそうで、稀に見る天然の奇岩。
日本には古来から各地に【生殖器崇拝】生殖器によって象徴される生産力・豊饒(ほうじょう)力に対する信仰がある。






今回は、陰石(女石)への入口は時間外閉鎖されていたので、陽石(男石)だけの参拝となった。


南九州ぶらり旅 「雨の小京都 飫肥城跡と武家屋敷を散策」

2018-05-11 | 風来旅
鹿児島県の知覧と共に南九州の小京都といわれ、一度は行ってみたい町だが、余程のついでがない限りは、
なかなか立ち寄れない町であるが、旅程の中で少し余裕ができたので寄り道散策をしてみることにした。
都井岬から一路、日南市飫肥(おび)の町へ。途中から小雨も降りだし、旅情豊かな小京都見物となった。




飫肥は、天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えたところ。
武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀が残り江戸時代を彷彿とさせる町並みが楽しめる町並みは、
昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

駐車場からは、小雨の中を雰囲気のある大手門まではゆっくり歩いて10分程。






ここでも中国系の言葉が賑やかに飛び交っているのには少々驚いたが、今の時代は全国津々浦々までが、
国際的になっており、我々も認識を新たにしなければ・・・。




飫肥服部亭














小雨も上がったので、次の目的地小林市に向かおう。

南九州ぶらり旅 「都井岬の天然記念物 御崎馬とゆっくりズム」

2018-05-08 | 風来旅
宮崎県の日南海岸最南端の地、串間市「都井岬」。岬は長さ4キロの芝生に覆われたなだらかな台地が続く。
この都井岬には、江戸時代にその地を治めていた高鍋藩の軍馬藩営牧場があったそうだ。
今でも、「御崎馬」と呼ばれる当時の馬たちが野生のまま自由に暮らしている。


国民宿舎で一夜を明かし、朝食後すぐに灯台までの岬の道をドライブ。途中、御崎馬が道路で休憩したり、道端の
草を食べていたりして車を怖がらないが、時速30㌔に制限あり。何しろ相手は300年の歴史を誇る天然記念物!
この時期はあちこちで可愛い若駒を連れ、連れ添って草を食べている親子馬を見かける。


無心に草を食べ続ける馬の姿には、思わずほっこり・・、時間的には朝食の時間かな?










カラスも馬と遊んでいるわけではなく、馬に付いた虫をエサとして食べている。時には馬のご機嫌を損ねることも・・。


宮崎県南端の都井岬灯台からの太平洋。










急な山肌で無心に食事中のお馬さんたち。






雄大な都井岬の絶景と、緑の山肌で懸命に生きる御崎馬たちに、45年ぶりの心癒される旅になった。
爽やかさを感じた後、小京都「飫肥」の町に向かった。

南九州ぶらり旅 「桜島山頂目前に迫り、埋没鳥居へ寄り道して都井岬へ」

2018-05-04 | 風来旅
過去に17回の大噴火を繰り返し、大正3年の大噴火で大隅半島と陸続きになった桜島。
今なお噴煙をたなびかせる活火山の大地に足を踏み入れた。取り急ぎ、桜島で人が行けて火山に近い一番高い
場所、標高373mの「湯之平展望所」に立ち寄り、大迫力の山肌を目の当たりにする。






都井岬に向かう途中の最終立ち寄りヶ所の「黒神埋没鳥居(鹿児島県文化財)」へ。
大正3年の大噴火で火山灰に埋まった腹五社神社の鳥居で、3mあった鳥居が2m埋まり、笠木部分の1mが出ている。






埋没鳥居の辺りから、鹿児島側からは見えない噴火口が見えた。モクモクと煙を上げ続けている。迫力満点!!






ここからいよいよ宮崎県に入り都井岬に向ったが、ここでナビに遊ばれてしまった!
以前にも、宮崎県高千穂から熊本県通潤橋に向かう際に、まるで獣道のような急こう配で砂利の山道、尚且つ
鬱蒼と生い茂る木の枝が車にぶつかり、車の片側は深い谷・・という山道に誘導された。
ナビは状況にかまわずに最短距離で誘導するようだ。結果、国道や県道を走るよりも1時間程遅れた・・・!
畜生!ポンコツナビめ!!

ようやく到着した都井岬の「駒止めの門」(放牧の天然記念物 岬馬が逃げないように開閉の門)は、定刻を過ぎ
閉まっていたが、一ヶ所の門が開錠されているので、通過後元通りにし、通り抜けて宿に滑り込む。
45年余前の新婚旅行の頃には立派なホテルが数軒あったが、時代が変わって今は残骸と廃屋だらけ。
国民宿舎と民宿のみになってしまった。この日は疲れもあって早めにZZ・・。明日は岬の灯台まで行ってみよう。

南九州ぶらり旅 「城山展望台からの錦江湾と桜島の眺め」

2018-05-01 | 風来旅
NHK大河ドラマ「西郷どん」の影響か、今の鹿児島は観光ブームのようだ。
ここ「城山展望台」は、西南戦争の激戦地・城山の山頂107mにある。
桜島が真正面から眺められるビュースポット。










デートかな? シルエットが風景に溶け込んでいる・・・


我輩は売り物ではありませんが・・売店のアイドル。枕替わりがたくさんあって昼寝にはちょうどいい休憩場所!


西郷洞窟・・政府軍に追い詰められた西郷と桐野ら側近たちが最後の5日間立てこもった洞窟。
ここから700m下った場所で自刃した終焉の場所があるそうだ。西郷像は別人のようなので立ち寄らず。




時間の都合で取り急ぎ名所を回ったところで、鹿児島港フェリーターミナルから飛び乗った15分の船旅で対岸の
桜島港フェリーターミナルに到着。
途中の船上では、噴煙を上げ次第にデッカク迫る桜島や行き交うフェリーを眺めていると、アッという間に下船。




素通りで都井岬に行くのももったいないので、これを機会に火山に近い一番高い、標高373mの「湯之平展望所」に
立ち寄って、大迫力を見てみよう。