北海道と九州の風来旅とマイ道楽

マイ故郷の北海道観光旅と、毎年春にマイワイフ実家へ帰省ついでの九州観光旅と、マイ道楽「気ままなモクモク工房」のご案内!

寄り道旅 京都 世界文化遺産 「二条城」

2015-06-13 | 関西編
京都見物も、そろそろ疲れてきた?ので、勝手ながら、この「二条城」の案内で、京都を離れて一休みとしましょう。
二条城のある場所は、かつて平安京の大内裏だった位置の南東端と、そこから南にあった神泉苑という、天皇の庭園の跡にまたがる位置にあり、徳川家康が京にいる間の宿として作ったのが京都の二条城。徳川家康が征夷大将軍に任命された将軍宣下と、江戸幕府の終わりを告げる大政奉還が発表された場所でもある。・・と、公式資料に書いてある。その昔、ここは修学旅行で立ち寄ったハズが、なかなかよみがえってこなく、むしろ、新鮮さが目に映る。





























現在の本丸御殿は、旧桂宮邸御殿を京都御苑今出川御門内から、明治26年から1年かけて移築したもので、京都御所にあった当時は、第14代将軍家茂の正室であった皇女和宮が1年8ヶ月暮らしていたという邸宅でもある。









寄り道旅 京都 世界文化遺産 「清水寺」

2015-06-09 | 関西編
清水寺(きよみずでら)は、京都東山の音羽山の中腹に建つ歴史ある寺院で、創建は平安京遷都よりも古く778年に開山されたと伝えられている。清水寺は始め「北観音寺」と呼ばれていたが、境内にわき出る清水が観音信仰の黄金延命水として神聖化されて、一般にも清めの水として「清水」が知られるようになり、後に名称を「清水寺」に改められたそう。そんな清水寺の由来となった清水が、現在でも「音羽の滝」の名水として、親しまれている。 三筋の水それぞれにご利益が伝わっていて、滝に向かって左が学問成就、真ん中が恋愛成就、右が延命長寿の水。どれかひとつだけ選んで、一口だけ口にするのが正しい作法なのだとか。いくつも選ぶと、どの願い事も叶わなくなってしまう。何口も飲むとそのご利益は、2分の1、3分の1になるとも‥‥。何事も欲張ってはいけないですよ、という戒めがこめられているようです。清水寺を訪れる観光客は、年間で400万人を超えるそう。



長い五条坂や清水坂を登り、たどり着いた最初に目にするのが仁王門


境内案内図


三重塔






清水寺の一番の見所は「清水の舞台」で有名な本堂。崖下からの高さは18mあり、舞台からは京都市内が一望できる。清水寺のご本尊は「十一面千手千眼観世音菩薩」。十一のお顔と千の手、千の眼をもった観音さま。

清水の舞台から京都市内遠望




これぞ見慣れた清水寺の美景






この「清水の舞台」、釘を一本も使わずに建てられていることは、よく知られている話。高さはビル4階に相当する約12mある。
「懸造り(かけづくり)」という技法で組まれた欅の支柱は、見るからに頑丈堅固そのもの。本堂の再建当時の柱組みをいまに残す
貴重な工法。











H13.11.28の紅葉時 (古い35万画素の画像が悪くてご勘弁!)





寄り道旅 京都 世界文化遺産 「三十三間堂」

2015-06-05 | 関西編
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都市東山区にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)で、妙法院の境外仏堂。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音。堂内中央にこの丈六坐像の本尊をまつり、左右の内陣にはそれぞれ十段の階段に50体ずつの千手観音立像、計千体が並ぶ。本堂(国宝に指定)の柱の間数が33あるので三十三間堂と呼ばれるようになったそうで、観音像のなかには、必ず会いたい人が見つかると言われている。1001体の千手観音の中に、1体だけ「口を開けて笑っている観音様」がいるらしい?
また、ここ三十三間堂では毎年「通し矢」という行事が行われている。一昼夜に南端から北端に射通した矢の数を競うもので、江戸時代に弓道者たちが百二十メートルも離れた的を射抜く本数を競ったもので、優勝者には「天下一」の称号が与えられた。ちなみにこれまでの最高記録は一回に八一三三!・・とか?





収まり切れないので、パノラマ撮影をすると真ん中が膨らむ。


正面左側


正面右側


内部は撮影禁止にて、この写真のみ別途公式HPの写真を借用しました。










裏側に廻って



寄り道旅 京都 世界文化遺産「龍安寺の石庭」

2015-06-02 | 関西編
龍安寺は、枯山水の方丈庭園(史跡・特別名勝)で有名。南側には広大な鏡容池(きょうようち)があり、周囲は回遊式庭園になっていて年間を通じて四季それぞれの花を楽しめる(国の名勝)。境内北側には庫裡、方丈(本堂ともいう)、仏殿などが建ち、これらの西側には「西の庭」がある。西の庭には開基細川勝元の木像を祀る細川廟がある。有名な石庭は方丈南側にある。なお、寺の背後には第66代一条天皇を含め5人の天皇の陵墓がある。その昔、鏡容池はオシドリの名所として知られ、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であった・・・とある。
石庭は、どの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えないように配置されているそうだ。

幸運のタクシー・・京都の三つ葉クローバー、某タクシー会社の所有車1400台余の内、四つ葉クローバーは4台しかなく、出会うと幸運が訪れるという・・。乗車すると「記念乗車証」をもらえる。流し専門のタクシーだそうで、この龍安寺駐車場で見つけた。良いことがありそう!


国の名勝、鏡容池(きょうようち)





























寄り道旅 京都 世界文化遺産「南禅寺京都疎水 水路閣 」

2015-05-30 | 関西編
琵琶湖疎水は明治期に京都の産業振興を計る為に建設された水路で、琵琶湖と加茂川を結ぶ。疎水は明治18年着工、明治23年に一期工事が竣工した。南禅寺の境内に立つエキゾチックなレンガ造りの疎水橋。水路閣の美しいアーチを描く全長93mの橋。琵琶湖疏水設計者は田辺朔郎氏。古代ローマの水道橋が手本とか。
近年、TVサスペンスやドラマの舞台によく目にするが、四季折々に変化があり、飽きの来ない大好きな場所である。近くには、競馬騎手の武豊氏の邸宅があるそうだ。

最初は、秋が深まるH13年11月末に立ち寄った際の4画像。デジカメもまだ35万画素の頃で、画像が荒くてご勘弁を!・・








ここからはH27.5.15、新緑の「青もみじ」などに囲まれる水路閣の魅力風景。








どこかに凶悪犯人が隠れていそうな・・アノ黒い影は??








少し手振れでピンボケ・・




水路閣の上に上ると、琵琶湖方向の上流はこのような水路が伸びている。


下流方向への散策は、ここで通行止め!


下流の奥は、こんな感じで流れている。


柵の向こう側。4枚目の写真の夏バージョン

寄り道旅 京都 世界文化遺産「南禅寺 」

2015-05-27 | 関西編
南禅寺は京都でも格式の高い禅寺であり臨済宗南禅寺派の大本山。名庭や三門など重文・国宝級の伽藍がある。黒っぽく変色した太い円柱の柱に支えられた三門は、荘厳な重みを感じさせてくれる。まずは厳粛なる雰囲気の境内を散策してみよう。





大きな三門を、遠くから次第に大きく










この上に上がると、皆、「絶景かな、絶景かな」と、叫びそうになる様だ。








2001.11.29紅葉の頃の三門。このころのデジカメは35万画素が最先端の頃だった。


京都疎水の水路閣が南禅寺の敷地を横切って伸びている。水路下を潜り階段を上り切った右側には、疎水の流れが直に見れ、
水路の上に出れる階段があるが、あまり知られていない。次回は、TVドラマでおなじみの「京都疎水」を特集してみよう。

寄り道旅 京都 世界文化遺産「金閣寺 」

2015-05-24 | 関西編
正式名称を「鹿苑寺」といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため 一般的に金閣寺と呼ばれている。 元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町 幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされているとか。
小生が20代の頃だから、今から40年ほど前の大阪在住時や、近年ではH13にも訪れているが、何度来ても心が和む特別の場所であります。

もみじといえば「季節は秋、色は赤…」と思い浮かべる方も多いが、その赤くなる準備に入る初夏、青々としたもみじの美しさもまた素晴らしいことをご存じか?初夏の風物詩「青もみじ」と、池の向うに金閣。










鳳凰は想像上の霊鳥で、体は、前は麟(りん)、後ろは鹿(しか)、頸(くび)は蛇、尾は魚、背は亀、あごは燕(つばめ)、くちばしは鶏に似るといわれる。鳳は雄、凰は雌と、ものの本に書いてあった。










順路後半で後ろを振り向くと、ワォーッ!


前もこの混雑


2001.11.末の頃


2009.8の真夏頃




ついでに近くの「銀閣 2001.11」 カメラの性能が・・・?





寄り道旅 京都 平安絵巻「葵祭」

2015-05-22 | 関西編
毎年5月15日は世界文化遺産の 《賀茂御祖神社(下鴨神社)》 《賀茂別雷神社(上賀茂神社)》を主な舞台に繰り広げられる京都三大祭りの一つで、AM10:30に京都御所を出発し、700mの行列が下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう。平安時代以来、国家的な行事として行われてきた歴史があり、日本の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されている。葵の花を飾った平安後期の装束で行列が続く貴族の祭「葵祭(正式には賀茂祭)」。
小生は今回、このギャラリーの中に紛れていた!せっかくの機会なのでカメラ片手に、同行メンバーと二人で、祭の追っかけと待ち伏せで分担し、二手に分かれて祭を捉えてきた!
この前後の旅程で名所名跡の探訪はあるが、まずは開催日が固定されているお祭の雰囲気がまだ覚めやらぬ内に、なかなか見る機会が少ない葵祭ショットを、他のスポットよりも真っ先に公開しよう。
本来は、滝ノ上町から北上して稚内の美景を案内する予定が、急遽、京都に変更した。ここしばらくは、ザ京都の有名な寺社仏閣を案内して楽しんでいただきます。

まずは世界文化遺産の 《賀茂御祖神社(下鴨神社)》 ※追っかけ担当










上賀茂神社へ向けて700mの行列の行進






ギャラリーがいっぱいの賀茂川沿いを行く ※待ち伏せ担当








馬も疲れたのか?チョット拗ねてみた・・・







徳島「大塚国際美術館」 

2014-07-25 | 関西編

7月17日から、またまた、この前の所用延長で淡路島に往復することになったものの、本州の学校は夏休み突入と三連休で帰りのチケットが確保できず、20日までの3泊4日で行くことに! 帰路丸二日間は帰札へのチケット調整日! なので、少し足を延ばして「大塚国際美術館」を見てくることにした。館内一回りが4㌔m程あるそうですが、小生の体力が3㌔m程で限界・・・。髪はないけど・・!後ろ髪をひかれる思いで後にしたものの、いつかもう一度チャレンジしてみようと心に誓って帰路についた。一度は見ておく価値がありますヨ。本当に素晴らしかった。

「大塚国際美術館」は、大塚グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本 最大級の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」です。館内には、6名の選定委員によ って厳選された古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を大塚 オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製しています。それらは美術書や教科書と 違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。
また、元来オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などか らの退色劣化を免れないものですが、陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの 文化財の記録保存のあり方に大いに貢献するものです。門外不出の「ゲルニカ」をはじめ戦争で分散していたエル・ グレコの大祭壇 衝立の復元など画期的な試みもなされ、1,000余点の検品のために、ピカソの子息や各国の美術館館 長、館員の方々が来日されたおりには美術館や作品に対して大きな賛同、賛辞を頂きました。このように「大塚国際 美術館」は、技術はもとより構想においても世界初のそして唯一の美術館といえます。






































鳴門海峡のうずしお

2014-07-14 | 関西編
7月12-13日に急な所用があり、急遽、新千歳空港から神戸空港に降り立ち淡路島を縦断して大鳴門橋横の「道の駅 うずしお」にて用事を済ませて、少しの間、物見の時間が出来たので岬の先端まで散策。
タイミング良く夕方の潮が動き始める頃に出会い、渦潮の片鱗を丘の上から望遠レンズ越しに見ることができた。ラッキーだった!何枚かを掲載します。
(鳴門市孫崎と淡路島との間の鳴門海峡では、潮の干満によって渦潮が発生します。春と秋の大潮時に最大となり、潮流時速20km、最大直径20mにも及ぶものがあります。百雷のごとくすさまじい轟音を立てて渦潮が交錯しながら流れていくさまは壮観です。満潮と干潮は1日2回ずつあり、鳴門海峡ではこの満潮時と干潮時に渦潮が発生します。満潮時と干潮時の前後約1時間半が渦潮の見ごろといわれています。大鳴門橋の真下はV字型に深く落ち込み、最深部は約90mにも達します。鳴門海峡の南側(太平洋側)には水深140m、北側(瀬戸内海側)には200mの海釜(かいふ)と呼ばれる深いくぼみがあり、この独特の海底の地形が潮の干満にともなう海水の流れと合わさり、鳴門の渦を発生させます。 その大きさは直径最大20mにもおよび、世界でも最大規模と言われ、この激しい潮流から発生する轟音から鳴門(鳴る瀬戸)の名が生まれたと言われています。)

明石海峡大橋を進行中


淡路島最南端「道の駅 うずしお」から四国・徳島方面を望む




橋の真下が潮流の絶好位置。橋桁の向うの船舶は、渦潮観光船。


渦の見物特等席はやはり船上からが一番!