じょいフルデイズ

おいしいとか、いい匂いとか、手作りとか、覚悟とか

試験を受けました

2013-10-29 23:02:17 | お仕事ですよっ

(続き)

セミナーの参加費やらそのための宿泊やら、もちろん高い受験料やら、
このために今までずいぶんお金を使ってしまったので、
試験を受けに行く航空券とホテルは、楽天でセットで割引きになったものを買いました。
(同じフライトとホテルのセットでも、じゃらんより楽天の方が安かったです!)
同じ試験を受けに来ている先輩女医さん達は、
試験会場に直結したホテルを取ったりしたらしいのだけど、
じょいフルはそんなわけで、朝会場までシャトルバスで向かわないといけなくて、
でもそのお陰で、試験の点を少し上げることが出来たというラッキーな偶然もありました。
羽田から、聞き慣れない電車を乗り継いで大都会を1人で移動するというのは、
方向音痴のじょいフルには何とも心細いものだったけど、
朝の10時に倉敷を出て、夕方4時ごろには無事に会場近くのホテルに辿り着きました。
同門の先輩女医さんとか、同期もたくさんこの近くに泊まってるはずだけど、
さすがに試験の前の晩にご飯食べに行こーという気分にもなれず、
こんな大都会ではどんな物騒なことがあるか分からんと、
田舎者的警戒心で丸出しで、暗くなる前に
ホテルの近くのお弁当屋さんで晩ごはんを済ませました。
部屋に戻って、過去問を見返したりしてたけど、
起きていれば起きているだけ勉強しなくちゃいけないし、
もうこれ以上何をしても変わらない気もしてきて、
さっさと寝てしまえばいいんだわと、お風呂に入ることにしたら、
全然期待してなかったこのホテルの、最上階にジャグジー風呂があるという。
部屋の狭いユニットよりそっちがよかろうとブラッと上がってみたら、
広くて明るい大浴場は誰もいなくて、貸し切りのジャグジーは
今までのプレッシャーを全部なかったことにしてくれそうな気持ちよさで、
たっぷりの泡の中にブクブク浸かりながら、
あーこれが終わったら家族で旅行行きたいなーと、明日の試験をすっ飛ばして
早々とその先のことをポヤンと考えていました。

試験当日の朝は、シャトルバスで会場まで向かいました。
何もしないのも落ち着かなくて、
バスの中でセミナーの講義の資料をパラパラ眺めていたら、
ふーん…と読んでいた中の一文が、ちょうど試験の選択肢に出ていて、
おかげで貴重な一問を解答することが出来ました。
(一問が貴重という事は、それだけ際どいということです!)
会場ではすでに何百人という受験者が席について、
びっしり書き込まれたノートを見ている人もいれば(ひえ~)
タブレットでゲームをしてるような人もいて(ある意味ひえ~)、
入試とか国試と違って、同年代っぽい人からどこぞの院長クラスのベテラン系まで、
色んな世代の人が混ざっているので、自分の立ち位置がどの辺りなのか
全く読めない雰囲気でした。
肝心の試験はと言うと、これで受かるだろうか、いややっぱりダメかも…という感じ。
他の人を見ても、みんな苦笑い気味の微妙な表情で、
同じような手応えだったんじゃないかと思います。

試験のあと合流した先輩女医さんお2人は、すでに去年受験をして
明日の面接試験は免除になっているので、もうこの筆記試験で終了です。
晴れ晴れと東京駅に向かうお2人をお見送りした後、
1人トボトボとホテルに戻りました。
ブリちゃんから、「明日に備えてご馳走食べて下さい」
とメールをもらったので、さて、こんな見知らぬ大都会でご馳走って何だろうと考えた結果、
初体験の松屋で牛定を食べました。
主婦が1人で外で夜ごはんを食べることなんて滅多にあることじゃないし、
まして牛丼屋とか、そうそう行けるものじゃないですから。
それから、またあのジャグジー風呂でブクブクしながら
明日で全部終わるのかーとひとしきり感慨にふけってから、
部屋で面接の練習(1人ブツブツと受け答えのシュミレーション)をしてたけど、
何となくアホらしくなってきて、ええい出たとこ勝負じゃと
早々と布団に入りました。

面接は、あらかじめ与えられた症例について、
患者役の審査員と話をする形式で行われます。
去年受けた先輩女医さんの話では、
優しめでこちらが言葉に詰まると助け舟を出してくれる審査員もいれば、
わざと重箱の隅を突く質問をする患者さんに扮する審査員もいるという。
はたして、じょいフルの面接室に入ってきたのは、
橋爪功風の、前にセミナーで講師もされていた、多分すごく偉い先生と、
穏やかそうな女の先生でした。
女の先生が、いかにも不安を抱えて来院した患者さという雰囲気を熱演して下さったので、
医師役としては話がしやすく、時々橋爪先生に鋭く質問されるのに平静を装って答えつつ、
どうにか30分の面接が終わりました。
あの必死感が、どうか審査員に一所懸命な感じに映りますように。
誰かがお疲れさまでした~!と騒いでくれるわけでもなく、
名札を受付の箱に返して、ひっそりと会場をあとにして試験は終わりました。
出来はともあれ、今年の1月から抱えていた、と言っても、自分の思い付きで抱えることにした
自分への負荷から解放されて、すっきり岡山に帰りました。

日々の仕事をしながら自発的に勉強をするにはマニアックな内容だったし、
でも診療するに当たっては知っておかないといけないこともたくさんあって、
結果的にこういう形ででも勉強を出来たことはよかったと思います。
久々にプレッシャーやら緊張やらを味わうのも、なかなか刺激的なことだったし。
試験の結果は、ある日突然郵送されてくるのだそう。
受かっていても落ちていても、そんなもんかなーと思える出来だったので、
粛々と結果発表を待とうと思います。
もし筆記試験だけがダメだったら、来年もう一度受けることが出来ます。
勉強できたことはよかったし、刺激的なことでもあったけど、
じゃぁ来年もう一度受けるかと言われたら、
言われたら、言われたら…
どうするかなー。









勉強してました

2013-10-26 22:42:48 | お仕事ですよっ
しばらくこれを書く手も止まってましたが、
何をしてたのかと言うと、勉強してました。
専門医試験なるものを受けていました。

普通は医者になって5~6年目くらい経った頃に
自分の科の専門医試験を受けて、
晴れて○○科専門医として一人前扱いされるようになります。
これはまぁ、ほとんどの医者が受ける専門医試験で、
じょいフルも結婚の前の年に試験を受けました
そこから先は、超音波専門医とか漢方専門医とかリハビリ専門医とか、
自分の興味とか仕事内容に必要があれば専門医の資格を取ることになります。
どうして大して勤勉でもないじょいフルが
柄にもなく専門医試験を受けようと思ったかと言うと、
外科系の道を選んだじょいフルは、仕事は体を張ってナンボであり、
もしもこの先怪我や病気で半身不随とか片麻痺とかになったとしたら、
診察や手術が出来ない以上、働けなくなってしまう。
そのための保険の意味も込めて、将来どんなことで困るか分からないから、
仕事の幅を広げられるよう、別の世界の専門医も取っておこう。
というのが表向きでカッコいい話で、
実際のところは、主婦業と母業と仕事と、ありがたいことにつつがなく日々を過ごして、
ここらで何かちょっと自分に負荷のかかることをやってみるのもいいんじゃないかと、
久々の勉強をする生活というのも刺激的でいいんじゃないかと、
そういう、興味本位半分の思いつき企画だったわけでもあります。

準備を始めたのが今年の1月。
願書を出すために、症例のレポートが必要なのだけど、
今の仕事ではとても専門医の願書に出せるような症例がなくて、
かれこれもう10年も前に働いていた病院に赴いて
当時のカルテを出してもらいました。
まさか10年後に子育て主婦になった自分が読み返すなんて思いもしていなかったし、
研修医の自分が書いたしゃちほこばったカルテを見るのは
気恥ずかしいと言うか、かたはらいたいと言うか。
ようやく症例をまとめて、願書が無事に受理されたのが5月。
この頃から並行して勉強も始めたわけだけど、
まずは大学病院の向かいの医学書専門の書店行って、
電話帳ほどの厚みのある教科書を買いました。
お値段も一万円超と、主婦の小遣いには痛い出費。
重たい教科書を抱えて、こんなもので勉強するのかと青ざめていたら、
予想は的中というか、予想以上というか、
ほとんど知識も経験もない状態から専門医と呼ばれるレベルまで
知識を付けるには、その電話帳的教科書を読破するしかなく、
それに、臨床の医学雑誌とは違って、
教科書というのは基礎医学から書かれてあります。
基礎だから簡単というわけではなくて、
ミトコンドリア内のエネルギー経路がどうとか
がん抑制細胞のアポトーシスがどうとか、医学書は基礎であればあるほど難しい。
大学では2~3年の頃に基礎医学を学ぶのだけど、
毎年留年者が一番多いのもその学年でした。

学生の時にしろ、独身の時に受けた専門医試験にしろ、
ひたすら勉強さえしておけばよかった頃とは違って、
今は仕事中の診察の合間か、夜子ども達が寝た後の、
ちょっとした時間を勉強に充てないといけないし、
明日の朝ごはんの用意しとかなくちゃとか、幼稚園で使う小物を作らなくちゃとか、
子育て主婦が勉強をしようとすると、現状はなかなか厳しいのです。
興味本位の思い付きを軽く後悔し始めた頃には、
高い学会費を払って学会員にもなっていたし、
専門医を目指す人が全国から集まるセミナーに泊まりで参加したり、
そのためにブリちゃんに無理を言って子ども達のことを頼んだり、
もうここまで来たら後には引けない状況なっていて、
果たして自分は試験に受かるレベルまで到達するんだろうかという
プレッシャーが日に日に迫ってくる、なかなか刺激的な毎日でした。
嵐も月9も観なくなった頃、試験前最後のセミナーに参加しました。
3日間缶詰めで朝から晩まで講義を聞いて、
夜はビジネスホテルの部屋で一人宿題をするという強化合宿の最終日、
筆記試験の模擬テストで自己採点4割(推定合格ライン6割)いう
笑えない結果で帰って来ました。

笑っても笑ってなくても、
時が経てば試験の日が訪れます。
この頃には興味本位とかいうノリではすっかりなくなって、
ここまでやったことを無駄にするわけにはいかないと
バリバリの受験生の気分で、東京行きの飛行機に乗り込みました。

(続く)