Tabi-taroの言葉の旅

何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない

【八仙過海(八福神海を渡る)】~その3~

2014年03月02日 | 中国
世界遺産、黄山の絶景(イメージ)


4月22日(月)
 黄山は幾つかの山々が連なっており、今夜は丹霞峰、仙桃峰、始信峰の三峰に囲まれたホテル「北海賓館」に投宿する予定になっている。麓からはロープウェイを利用する。黄山の標高は1800メートル。ジュオジンが過去に自力踏破したことがある泰山よりほんのちょっとだけ高いだけだ。しかし、当時、ジュオジンもまだ五十代前で、まだ体力があった。それにしてもむちゃな行動だった。麓から山頂までほぼすべて階段がついていて、総段数7700段強。健脚な若者の最短登頂時間は三時間と言われている。当初、ジュオジンは中間地点まで徒歩で登って中天門からロープウェイを使って山頂まで行くつもりだった。だから午後3時から登り始めたのだけれど、中天門までの歩き時間を入れても5時過ぎには十分到着する予定だった。ところが、中天門から先をも黙々と登り続けるお婆ちゃんやお爺ちゃんを見て、つい発奮して彼らの後を追ってしまったのが大きな過ちだった。中天門から先はそれまでよりも一層険峻になった。おおよそ三分の一ほど登ったと思う頃、あまりの苦しさに戻ろうとも思った。しかし、中天門からしばらく登った頃から田中邦衛に似たおじさんとぴったり歩調が合い、意気投合してしまった。どちらかがくじけそうになると片方が励まして、励まし合って戻りたいという欲望を叩き潰した。そして陽が沈みかける頃にとうとう踏破した。6時半。記録達成とは行かなかったものの、階段にして約7,700段。何と三時間半で登ってしまったのだ。しかし、十年たった今、同じまねは出来ない。五十代後半の健康診断では、そのたび毎に不整脈があると指摘されてもいる。黄山での午後は健脚向けのチャレンジコースと体力に自信のない楽々コースに分かれるという。もちろん、ジュオジンはチャレンジコースを選ぶ積もりでる。62歳、老いたと雖も山下チームの中では最年少だ。年齢不詳の関本ちゃんを除いては・・・。

 旅も第一コーナーを回って第二コーナーに差し掛かるところだが、ここで山下チームのメンバー紹介をしておこう。先ずはチームリーダー、山下太郎。昭和25年、寅年生まれ。昭和26年生まれのジュオジンとは一つ違い。兎など歯牙にもかけない強い寅年だ。定年まではJPトラベルという旅行会社の管理職だった。JP・・・つまり《ジャパンポリス》警察署御用達の旅行会社だ。充実した企画を打つ敏腕管理職だったようだ。 以前、千葉県警がストーカー被害者の訴えを後回しにして社内旅行に出かけている間に被害者の母親と祖母が殺害されるという不祥事があったが、県警がこのような挙に出た背景にはMr.太郎の卓抜で魅力的な旅行企画につい引き込まれてしまったという事情があったのではないかとジュオジンはにらんでいる。後にも語るが、それ程旅行者を魅了してしまうテクニックを持っている人物だ。

 次に紹介するのは我等がマッちゃんこと松本誠氏。チーム最年長の七十歳。良きにつけ悪しきにつけ、目立ち、センセーショナルを引き起こすムードメーカーだ。ジュオジンとはテニスを通じて四十年近い付き合いだ。海外旅行にも三回同道している。同じく永い付き合いをしているDr.山中はマッちゃんの誘いに乗って投資話に手を出して痛い目にあったり、殆ど情報無しの旅行話に無理やり乗せられたりと、あまりいい思いをさせられていない。にもかかわらず悪女に魅入られた男のように関係を断ち切れないでいる。マッちゃんという人間は多少のことは犠牲にしてもつき合いを続けて行きたい魅力を持っている存在なのだ。一見したところおそ松くんに出てくるチビ太に似た、ただの禿げたおっちゃんにしか見えないのだが、一体どこにそんな魅力が隠されているのか?マッちゃんは兎に角誰とでも仲良くなれる。英語も喋れないのにスキンシップとアイコンタクトで意思疎通が出来て、すぐに仲良くなってしまう。好奇心旺盛で、何にでも首を突っ込む。ほとんどが中途半端で終わっているようなところが残念と言えば残念だ。結構面倒見も良く、正義感も強い。そんなことでつい魅了されてしまうのだ。途中でほっぽりだすことが多く、Dr.山中は何度もその被害に遭っている。不思議なことにジュオジンはマッちゃんの良い部分にだけ接して、殆ど被害に遭ったことはない。そしてセンセーショナルマンのマッちゃんは今回も色々と見せ場を造ってくれた。

 さて、そのマッちゃんとは相部屋で常に行動を共にしているのがDr.山中だ。マッちゃんとはやはり二十年以上の付き合いをしている。マルチ商法まがいのビジネスに無理やり投資させられ、数十万円を失った話をはじめ、相当痛い目に遭っている。今回の旅も内容をほとんど告げられないまま参加をOKしてしまう人の良さと鷹揚さを兼ね備えている。ついこの間まで現役の歯科医だった。今は息子に後を譲って優雅に過ごしている。
 次なるは黒ちゃん。ジュオジンの会社での一年先輩だ。この人物も癖のある個性派だ。細かい気遣いが抜群な反面(特にオナゴには至ってマメ)、口うるさくて、何事につけクレームをつけるのを至上の喜びとして得意にしている厄介な人物だ。そんな人間とジュオジンはもう何度も海外旅行を共にしている。ジュオジンという男の度量の広さを物語っている。他のメンバーはそれ程寛容な心を持っているとは思えないので、ジュオジンは何とか8日間、トラブルなく過ぎることを心から祈った。

 男はこれで終わり。残る三人は山下チームが誇る三大美人。とは言ってもチームに女性は三人しかいないのだか。いずれがアヤメかカキツバタ。最初に紹介するのはアヤメならぬ薔薇。しかも真紅の薔薇だ。その名を河野笑子。《エミコ》と読むのが正しいのだが、難しくて誰もまともに呼んでくれる人はいない。《ショウコ》とか《ワラコ》とか。その名の通りよく笑う。大口開けて堂々と笑うので何時しか《ゲラコ》と命名されてしまった。年齢不詳。六十代後半にしてなお妖艶。着付けを本職としているようだが、茶道や書道もこなすと言う才色兼備。容姿は若かりしデビ婦人を彷彿とさせる。何人の男を泣かせてきたことか?どうやらバツイチ、子供?孫もいるらしいとのこと。ジュオジンは身を堅くして亡き妻への操を誓った。

 次こそ真にアヤメの阿部ちゃん。Mr.太郎の同級生というからジュオジンより一つ年上なのだが、まるで可愛らしい少女そのもの。女子高生がそのまま大人になったような雰囲気を持っている。ところが彼女が屯渓(とんけい)の街で買ったスリットの入った紫紺のチャイナドレスなど着て、同じようなチャイナドレスを纏ったゲラちゃんと寄り添って立つ姿は正に華麗と妖艶の大人同士の競演と言ったところだ。ちょっと気になるのはMr.太郎と阿部ちゃんの関係だ。何時もMr.太郎が阿部ちゃんに寄り添い、何かにつけてサポートしてあげている。単なる同級生以上の親密さだ。ジュオジンは密かに推理した。二人は互いに初恋同士だったが、故(ゆえ)有って別々の相手と結ばれた。今回はそれぞれ女房、亭主に偽って密かにこのツアーに参加し、メンバー六人の前で公然と密会しているのではないかと。判っていても人生何時も見て見ぬ振りして無難に切り抜けてきたジュオジンだ。今更事を荒立てて楽しい旅を台無しにしたくはない。と言うことで知らぬ半兵衛を決め込むことにした。

 可哀想なのはカキツバタ関本ちゃん。阿部ちゃんとは同じ静岡在住で仲良し同士。旅行中もずっと同室。そこへ割って入ったのがMr.太郎。阿部ちゃんばかりをチヤホヤするものだから最初の内は耐えていたもののついにはいたたまらなくなって、イベントが有りさえすれば、そこで孤独を癒すように飛び込んで行くようになるのだった。お誂え向きに後半の船の旅では関本ちゃんの孤独感を紛らわしてくれる催しが山ほど用意されていた。関本ちゃんはさしずめ水を得た魚のごとくに泳ぎまくった。とにかく生き方が前向きで積極的なカキツバタである。話を戻そう。365日中、265日が雨かガスが掛かっていると言われる黄山。見晴らしが良い時に当たれば幸運と言われている。普段の行いがいいのか、正にその三分の一の幸運に遭遇できたのだ。しかし、見晴らしが良いことが幸運だったのかどうか?

 一行の乗ったバスは麓のロープウェイ乗り場に横付けされた。バスを降りたメンバー目指して盗賊のような一団が武器らしきものを抱え、ワッと押し寄せてくる。こんな所で落命するのか?落胆しながらも良く目を凝らして見ると武器と思われた棒は杖だった。彼らは登山者向けに杖を売っている商人だった。一本5元(80円)の木でできた使い捨てタイプの物から20元(320円)の立派なスチール製の物まである。ツアー客の殆どが何らかの杖を買っていた。ジュオジンはしばし迷っていたが、買わないことにした。高い方のを買うとケチなジュオジンのことだから必要なくなったときでも棄てられず、持ち歩くことになる。ものすごく邪魔だ。かと言って安い方を買うのも抵抗がある。もともとケチなくせにケチに見られることが嫌いなのだ。こういう場合はケチに徹して買わないことにするのがジュオジンの原則だ。何せチームの最年少だ。杖が無くても大丈夫なところを見せなくては。



 手に手に杖を持った人々はロープウェイ改札口に向かった。ロープウェイのワゴンは思いの外大きく、1輌3、40人は乗れる大きさだ。一回でツアーメンバーの殆どが乗り切れたと思う。総重量はどのぐらいになるのか?一人平均60Kgとして40人で2,400Kg、それにワゴン自体の重さが少なく見ても1tは有るだろうから、都合3t以上の重量をそこそこの太さは有るとはいえ、たった一本のワイヤーに委ねる心細さ。中国人を信用しないわけではないが、心底から信頼もしていない。兎に角、表だけ体裁が整っていれば良いと云う発想で、中はぼろぼろという中国人気質を知り抜いているジュオジンにとってはこのロープウェイに乗ることは命懸けの賭けに相当する。それでも歩いて山頂には到底行けない。一人だけ脱落するわけにも行かないので運を天に任せて乗る決意をした。他のメンバーはジェットコースターにでも乗るように恐怖の予感を楽しんでいる。ジュオジンは神に祈りながらゴンドラに一歩足を踏み入れた。約40人のメンバーが乗り込んだ。心なしかゴンドラが沈んだように感じる。ロープウェイは何のシグナルも発せずゆっくりと動き出した。支柱と支柱の間隔が日本のと比べずっと長い。真ん中辺りでグッとたわむ。それでも高い峰と峰を繋ぐロープは地上の谷間からは数十メートルはある。見下ろすと遙か彼方に地面が見える。足が震え、竦む。ロープが切れたら間違い無く40人ともどもあの世行きだ。今になってあっちこっちの女性陣から「怖いよ!」と悲鳴が上がる。ゴンドラはすでに幾つかの支柱を越え、中間辺りまできている。もう引き返せない。ジェットコースターと違って登って行くだけなのに恐怖心が増していく。ゴンドラは早くなったり遅くなったりとリズムをつけて登っていく。半分以上来てしまうとまな板の上の鯉同様、どうにでもなれという気持ちと相まって肝も据わって次第に恐怖感も収まってくる。そうなると景色を愛(め)でるゆとりも生まれてくる。周りを見渡せば断崖絶壁に松をたたえ、そそり立つ山々がパノラマのように周囲を包みこんでいる。奇岩、奇松、雲海。仙人が棲んでいると言う伝説もうなずける。恐怖感をいだくほどの高みからの眺望は正に絶景そのものだ。


金では買えない・・・いや、このツアーのお陰でこんなに素晴らしい眺めを金で買うことができたのだ。景色を楽しむゆとりがでると時間の経つのも早い。気がつくと終着点に着いていた。ゴンドラを降りて地に足を着けるとさすがにホットした。終着点に着いたとはいえ目的のホテルまではまだ歩かなければならない。ここまで来たらもう少しだろうと思いきや、ここからがまたかなりの急勾配を登らなければならない。チャレンジコース選択者としては根を上げるわけには行かないが、ツアー客の中には八十を超える老夫婦がいて、ご主人の方が心臓手術をした経歴を持っているとのこと。列をなして登っていた一行の先頭と最後尾の距離が伸びた。意気が上がって苦しがっていると言う情報が先頭を歩いていた黒埼団長やジュオジンのもとに届いた。さすがに歴戦のツワモノ、黒埼団長の判断は早い。あちこちにたむろしていた駕籠屋に声をかけ、ご主人をそれに乗せて運び上げる事にした。料金は数分運び上げるだけで一万円とのこと。登らずに下に留まる案も有ったが、ここまで来て少々の金をケチって観られるべき絶景を観ずして帰るのは徒然草に出てくる仁和寺の和尚が大本命の石清水八幡宮を拝まずに引き返して来てしまうのと同じぐらい悔いが残る。墓に金は持っていけない。と言うことでご主人のみならず、ご夫婦共々担がれて登ってきた。他のメンバーもうっすら額に汗を滲ませていた程だから結構ハードな登りだった。昼食はよくこんな高いところにこれほど立派なホテルを建てたものだと感心するような重厚で真新しいホテルの中のレストランだ。ツアー客以外にも客がいたが、みんな品の良さそうな上流の客のように見えた。


午後はガイドの周さんの案内で観光スポット始信峰や奇石の飛来石等を見学。ロープウェイでもさんざん恐怖感を味わったが、断崖絶壁から覗き込む谷底また恐ろしい。落ちればほとんど遮るものがなく、真っ逆様に数百メートル落下し、堕ちる途中で恐怖感で絶命するであろう。唯一の頼りは赤錆だチェーンだ。頼り無げな細い支柱に繋がれている。それに掴まって下をのぞき込むことは「あなたは中国人を信頼していますか」と問われ、その真偽を試す踏み絵のようなもので、ほとんどの日本人は恐怖心から「ノー」と答える。中国贔屓のジュオジンにして日中友好の為に身を捧げる気にはならなかった。

 しばらくすると今にも泣き出さんばかりだった空がとうとう我慢しきれずぽつりぽつりと降り出した。クロちゃんを除いて殆どがチャレンジコースに挑もうと意気込んでいたが、いや、見栄で手を挙げた人間もいたと思うが、一斉にエントリーを取り消し始めた。少々のことでは引き下がらないと並々ならぬ決意を見せていたジュオジンも殆どが撤回してしまったコースに意地を張って残るわけにもいかない。しぶしぶ(内心はホットして)挑戦を諦めた。雨は次第に本降りととなり、そそり立った山々の中腹より上は雨雲に覆われ、全く見えなくなってしまった。黄山は三分の二がこのような天候なのだ。数時間だけでも素晴らしい景観を楽しめたことは幸運と言わなければならない。主だった観光ポイントを間引きながら見終わった一行は早々にホテルに引き返した。

 戻って来るなりマッちゃんがトイレに行きたい、我慢できないと騒ぎ出す。マッちゃんは前立腺肥大症なのか、二時間に一回程度膀胱を空にしないと我慢できないらしい。膀胱と言うものは本来ゴム鞠のように柔らかく、伸縮性のあるものなのだが、年とともにゴムが硬くなって許容量が極端に減ると言われている。従って回数が増えたり、出し切ったと思ってパンツの中にしまい込んだ後にちょろっと漏らしてしまうという事態が発生する。マッちゃんの場合はそれに加え前立腺肥大もあって限界値にすぐに達してしまうようだ。もちろんジュオジンはそのような段階までに達してはいない。とは言え、酒を飲むとこの状態になる。まだ大丈夫と思って会計を済ませて店を出た途端、尿意を催す。そうなると五分が限度だ。一度、若い女性連れの時にこの状態に陥り、飛び込んだコンビニにトイレが無く、仕方なく路地で男の特権、立ち〇ョンの挙に及んだことがある。今回はもちろんそういう切羽詰まった状態ではなく、単なる連れ〇ョンでマッちゃんに付き合った。ジュオジンはさっさと用を足して出て来てマッちゃんを待った。マッちゃんは一旦は出て来たものの今度は大がしたいと再突入していった。待つている間に集合写真の号令が掛かった。でも、ジュオジンはマッちゃんが出て来るのをひたすら待った。「マッちゃんや自分程のVIPの到着を待たずに集合写真をとるはずなど無い」と高をくくっていたのだ。しばらくして出て来たマッちゃんを促して集合場所に行ってみると、なんとみんなは既に散開態勢に入っていた。ジュオジンはマッちゃんを見捨てて集合場所に駆けつけなかった自分の人の良さを悔いた。貴重な集合写真に自分の姿が入っていないのだ。良いにつけ悪いにつけ引き金はマッちゃんということが多い。


 その後、夕食までの予定はキャンセルとなり、自由行動となった。部屋に戻る者、喫茶室でお茶を飲む者、それぞれ勝手に時間を潰していた。ジュオジンはクロちゃんと喫茶室でビールを飲み、しばし過ごしていたが、そこへマッちゃんから集合の呼び出しが掛かった。またまた松本、山中の部屋で食前酒を飲もうと言う誘いだ。外は雨でやることは無し、ついつい誘い話に乗って八人が集まってきた。蛇の道は蛇でマッちゃんとDr.はどこやらから酒とおつまみを調達してきていた。食前酒は何時しか本格的宴会となってそのまま夕食へ突入していった。その日は夕刻から飲み始め、夜に突入してからの記憶はかすかにしか残っていない。

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