正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」“余剰農産物小麦を売り込め”―「PL480」の成立

2010-08-25 | 食事教育
「日本侵攻 アメリカの小麦戦略」“余剰農産物小麦を売り込め”―「PL480」の成立

ボールズ氏たちの提言を受けてPL480は、1954年7月16日、アメリカ弟3議会で可決、成立する。正式名称は「農業貿易促進援助法(The Agricultural Trade Development and Assistance Act)と言ったが、人びとは「余剰農産物処理法」とズバリの名称で呼んだ。
 同法は3つの条項から成っていた。
1,余剰農産物の外国通貨による売却。販売代金はアメリカが当事国内で現地調達などに一部使用するが、残りは当事国の経済強化のための借款とする。
2,災害の救済などのための余剰農産物の無償贈与。
3,貧窮者への援助および学校給食に使用することを目的とした贈与。外国産の戦略物質・サービスとのバーターも含む。

この中で最も重要なのは第1条項である。平たく言えば、この法律によって受け入れ国はドルを使わなくても農案物が買えることになった。例えば日本なら円で支払えばいい。しかも、代金の一部はアメリカが日本国内での買い付けなどに落としてくれるし、残りの代金は後払いで、さしあたり日本国内の経済開発に使えると言うところがミソである。“必要は発明の母”と言うが、うまいことを考えたものである。
 このPL480は、余剰農産物の重荷に耐えかねたアイゼンハワー農政の切り札であった。大統領は、この法律を誕生させるまでに、海外使節団を送り出したほか、60以上の農業団体、500人以上の農業指導者から意見を聞いたという。また、この第83議会には、これと似たような趣旨の法案が87も提出されたと言うから、いかに官民こぞって余剰農産物処理に懸命であったかがうかがわれよう。
 この頃、国際小麦市場では、主要輸出国同士が、価格ダンピングの泥仕合を演じ始めていた。2月にカナダがブッシェル当たり7セントの値下げを発表すると、アメリカ政府も輸出補助金を追加してこれに対抗し、さらにオーストラリアも参戦してきた。小麦の国債カルテル的存在であった国際小麦協会からは、大輸入国であるイギリスがすでに脱退していた。
 PL480は、こうしたダンピング合戦から余剰農産物を守る防衛的な狙いも持っていた。一方、余剰処理で生まれた資金をアメリカの世界政策に利用しようとするのが、積極面での狙いであった。したがって、相手国への借款とはいっても、その使途については両国政府が「自由陣営の経済強化」につながるように前もって話し合って取り決めるという但し書きをつけた。“冷たい戦争”のさなかである。PL480の運用は、「共産国の封じ込め」という大目的のための枠の下にあった。その前のMSA(Mutual Security Act-相互安全保障)援助でも、アメリカはイタリアで現地買い付けを行うにあたって、ある、精密機械工業にいったん発注したにもかかわらず、工場内に共産主義者がいるというだけの理由でこれを停止したことがあった。また1949年、大不作のインドが食糧援助を求めた時も、インドの親中国政策を理由に、アメリカはすぐにその要請に応えなかったのである。

 そしてもう一つPL480には重要な狙いがあった。余剰農産物の販売代金の一部は、アメリカが受け入れ国の中で現地買い付けなどに使うほかに、アメリカ農産物の市場を開拓するためにも使うことが決められていた。
 アメリカは一時的に余剰農産物をさばくだけでなく、その処理で得た資金を使って、先ざきの農産物需要を喚起する手がかりを作ろうと考えたのである。いわば将来のために、相手国内に「市場開拓」の種を播いていくことが狙いであったが、これがあとで物を言うことになる。バウム氏や曽根氏が話していた農務相資金は、ここから捻出されることがPL480で権威づけられたのである。
 PL480で処理される余剰農産物は総額で10億ドル(当時の3600億円)。これが向こう3年に分けて使われることになった。外国通貨による売却の他にも、無償で支給される贈与の条項もある。この年の秋、各国政府からワシントン詣でがあいついだ。もちろん、その中に日本国代表団もいた。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿