文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

この証言内容は、もっと日本人の知識として広まるべきであるということを、ここに言っておきたい。

2017年06月17日 09時24分38秒 | 日記

以下は前章の続きである。 

天皇に戦争の意思がなかったことは、開戦の詔勅に「豈朕が志ナラムヤ」と入れたことでも明らかだった。

この修正文言には周囲の反対があったとされる。

天皇は戦争をやる気がないのか、それでは士気が下がってしまうと。

しかし、これは天皇の「聖旨」の体現だった。 

と同時に「皇道ノ大義ヲ中外二宣揚センコトヲ期ス」という文言を「帝国ノ光栄ヲ保全センコトヲ期ス」と修正した。 

これは日本国の面子を棄ててはいけない、膝を屈して無条件降伏はできないという意思のあらわれでもあった。 

この「供述書」の最後で、東條はあの戦争が国家自衛戦だったことを縷々述べている。

これが奇しくもマッカーサー元帥が、米上院軍事外交合同委員会(一九五一年五月三日~五日)で発言した証言とまったく論旨が同じなのである。 

マッカーサーは、「日本には固有の原材料がない。石油も産出しないし、錫・ゴムといった多くの原料がない。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万人以上の失業者が発生する。だから、彼らが戦争に突入した主たる動機は、自衛のためだった」と言っているのである。 

この証言内容は、もっと日本人の知識として広まるべきであるということを、ここに言っておきたい。

そして「供述書」の締めくくりとして、東條は、日本帝国の戦争は侵略でも搾取でもないと言い、自分は日本があの戦争に負けた責任こそ負うべきであっても、東京裁判で問われている「共同謀議」「平和に対する罪」といった「戦争犯罪」を犯してはいないと喝破している。 

その毅然として論理的な東條の姿にたいして、イギリス外交官の良き伝統の資質―それは一流の学者にして著述家であることだがーを、日本人として持っておられる岡崎久彦氏は、戦争の勝ち負けは別として、対外的には日露戦争勝利時の首相だった桂太郎よりは、東條英機のほうが立派だったのではないか、と指摘されている。 

蓋し名言であろう。 

(『歴史通』二〇〇五年九月号初出)


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