以下は前章の続きである。
「元寇」が消された理由
百田
日本の歴史教科書では、文禄・慶長の役を「侵略」と書いているケースが多いんです。
これを侵略と定義するのではあれば、アレキサンダー大王の東方遠征も元寇も侵略であり、世界中の紛争や戦争は全て侵略ということになります。
有本
いま、日本の歴史教育では、元寇は「モンゴル襲来」と教えるようになっているそうです。
百田
蒙古襲来も、「蒙古」が差別的表現だからとの理由で使わない傾向になっていますね。
有本
元寇について言えば、「寇」の字に侵略の意味合いがあり、中国やモンゴルの人たちが気分を害するといけないからといった配慮で「元寇」という用語が消されていたと聞いています。
にもかかわらず、「倭寇」という用語はしっかりと書かれているんですね(笑)。
百歩譲って、そうした配慮から書き換えるのであれば両方ともそうすべきです。
ところが、日本人に対する用語なら許可する。誰が考えても明らかにおかしいですよ。
百田
『日本国紀』ではこれらの問題にも触れており、「歴史に対する冒涜である」と厳しく批判しています。
有本
元寇に関する歴史的記述も、近年の既存の歴史関連の本では時の若き執権、満年齢16歳の北条時宗に対して批判的な内容が少なくないですね。
北条時宗は、終戦後の割合早い時期までは講談の人気演目の一つだった。
演目では、蒙古襲来に際して「18歳の若き執権、北条時宗が登場」というくだりになると、劇場がワッと湧いたといいます。
ところが、これがいつの間にか上演されなくなってしまった。
この稿続く。