文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを

2015年12月26日 08時57分03秒 | 日記

友人が、昨日の産経新聞の特集もとても良いよ、と言って、手渡してくれたのが、以下の本文である。

朝日や毎日を購読している世帯に育った人たちは、全く知らなかった事実である。

朝日や毎日の人間たちにとっては、正に不都合な真実だろう。

報道とは、簡単に言えば、事実を伝える事である。

その観点からも、今の産経新聞は、日本で最もまともな新聞社だと言えるだろう。

「日本は自衛の戦争だった」

「老兵は死なず。ただ消えゆくのみ。神が示すところに従い自己の任務を果たさんと試みた一人の老兵として。さようなら」 

1951年4月19日。米上下院合同会議で、連合国軍最高司令官(SCAP)として日本を占領統治した陸軍元帥のダグラス・マッカーサーは半時間の退任演説をこう締めくくった。 

後に第37代大統領となる共和党上院議員のリチャード・ニクソンは演説を聴き、その感激は自著「指導者とは」にこう記した。  

「マッカーサーは古代神話の英雄のようだった。彼は力強く議場全体が魔術にしびれ、演説は何度も拍手で中断された。ある上院議員は『共和党員は感激でまぶたを濡らし、民主党員は恐怖でパンツを濡らした』と語った。

8日前の11日、マッカーサーは第33代米大統領、ハリー・トルーマンに全ての役職を解任され、帰国した。

人生の黄昏を感じさせる演説だが、心中は闘争心でみなぎっていた。 

マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを完膚なきまでにたたき潰す腹づもりだったのだ。

演説でも「私の朝鮮政策だけが勝利をもたらす。現政権の政策は長く終わりのない戦争を継続するだけだ」とトルーマンを批判した。 

米国内のマッカーサー人気は絶大だった。

愛機」「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まった。

逆に「英雄」を解任したトルーマンに世論は冷ややかで、マッカーサーの第二の人生は順風満帆に見えた。 

この稿続く。


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