以下は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之が今週号の週刊新潮に掲載している論文からである。
吉野デマ作造
南方軍の航空輸送隊操縦士森和人は昭和20年8月6日、バタビアからスカルノとハッタを乗せて仏印ダラトに飛んだ。
スカルノは静養中の寺内寿一と会談することになっていた。
日本側に制空権はなかった。
安全を期して敵機の影が薄い薄暮と未明を選んで2日かけてダラトに入った。
寺内はスカルノの独立を認めてその繁栄を祝した。
8月10日、森は同じ航路でバタビアに戻った。
スカルノは「我が国の独立の記念に」とシェーファーの万年筆を森にくれた。
そして終戦。
森はサイゴンの南カプサンジャックの収容所に入れられた。
ベトナム人は人懐こかった。
森が地引網の作り方を教え、彼らは獲れた魚をいつも夕餉に届けに来た。
帰還船が来ると村人は一杯果物を持ってきた。
セレベス島では引き揚げる日本兵を村人が日本の軍歌を歌って見送った。
この前、海軍落下傘部隊が降りたメナドを訪ねたとき老婆がきて「海行かば」を歌ってくれた。
見送ったときと同じ歌だと言った。
負けた日本軍に外地の人は親切だったが、例外はある。
朝鮮半島だ。
北の羅南にいた11歳のヨーコ・カワシマ・ワトキンズは日本の負けが伝わると人々の態度が急変したのを見た。
日本人の家が荒らされ、「日本人をやれ」と徘徊する足音が聞こえた。
赤十字の帰還列車にやっと乗り込めたのに、十字のマークを無視した米軍機に掃射され列車は止まった。
あとは徒歩。
落ちゆく引き揚げ者を朝鮮人の群れが襲って金めのものを奪い、女は犯し、男は殺した。
酸鼻の現場を踏み越えてきたヨーコはそれを「竹林はるか遠く」にまとめた。
今、米国の中学生の副読本に指定されている。
故国に戻った女性が博多港で麻酔なしの中絶手術を受ける様が上坪隆「水子の譜」にある。
犯したのは大方が朝鮮人。
「鮮人強姦者はソ連兵の4倍」とある。
朝鮮人と支那人が共同で引き揚げ日本人を襲った吉林省・通化の事件は言葉を失う。
中でも八路軍は酷い。
零下20度の酷寒の下、裸足に寝間着姿のまま家々から引きずり出して15キロの道を歩かせ、倒れた者はその場で射殺した。
無警察状態になると即座に略奪暴行に走る彼らの姿をニューヨーク・タイムズの二コラス・クリストフが阪神淡路大震災の折に目撃している。
彼は「人の本性は略奪と強姦」と信じている。
非キリスト教徒の日本人はなおさらと思って大震災の現場で日本人の略奪を探した。
たった1件、パン屋の主が見ている前で商品を漁る一団を見つけた。
彼らが去ったあと主に「悪い日本人」を確認したら「ちゃうちゃう。あっちの連中や」と言った。
彼はこの話を16年後の東日本大震災のルポの中で初めて明かした。
日本人とあっちの連中は違うと。
先日の大阪地震を受けて朝日新聞が「ヘイトデマを許さない」といった趣旨の社説を載せた。
ツィッターなどSNSを通して「在日外国人が犯罪に走るから気を付けろ」など「根拠のない情報が広がった」と指摘する。
クリストフが認めるように決して根拠はなくはないように思うが、それは措いて社説はさらに「関東大震災ではデマを信じた民衆が大勢の朝鮮人を虐殺した史実を忘れてはならない」と偉そうに説教する。
それはどうか。
だいたい朝日の言う虐殺された犠牲者数は史実と一桁違う。
それだけで立派なデマだ。
加藤康男の著作にあるようにあのとき本性を現して略奪殺人に走った朝鮮人が多数捕まっている。
朝鮮人大虐殺は「吉野作造のデマ」と見るべきだろう。
社説は「虚偽の情報(デマ)を流す行為は許されない」と書き出している。
その通りだ。
いい例が慰安婦強制連行だ。
朝日は虚偽情報を飽きるほど流した。
毒ガス写真も珊瑚落書きもみな虚偽の情報だった。
デマばかり流してきた新聞が偉そうにデマを論じたりして。
恥じない心根がいやだ。