以下は前章の続きである。
*タイトル以外の黒字強調は私・
金嬉老事件の背景は本当に「差別問題」だったのだろうか。
一般に日本人が朝鮮人を蔑視してきたように言われてきたが、大日本帝国(以下帝国)解体後の戦後日本では、米占領軍(連合国軍総司令部=GHQ)が朝鮮人優遇政策を執った。
日本人よりも朝鮮人を優遇することで民族間対立を煽り、日本人の占領政策に対する反発への防波堤に使い、軍事占領を円滑に統治しようとしたのだ。
これは西欧諸国の植民地経営によく見られる、民族間対立を助長させることで統治を円滑に図る彼らの常套手段である。
私は、この煽られた「民族間摩擦」が、金嬉老の言い分を助長したと考えている。
帝国解体時、それまで約200万人近くいた日本在住の朝鮮人の内、ほぼ160万人が帰った。
昭和21(1946)年末時点で大凡40万人しか在日朝鮮人はいなかった。
それが北朝鮮への「帰国運動(帰還事業)」が始まった昭和34(1959)年には60万人に増えた。
むろん、これは表に出た数字である。
民族間の対立を助長させるGHQの朝鮮人優遇政策は、朝鮮半島への帰国を目指した朝鮮人の足止めを招くどころか、むしろ逆流するきっかけを作ったのだ。
僅かな期間で人口が1.5倍に増えるなどあり得ない。
この間、密入国で摘発された者は約6万人である。
6万人の3倍は逮捕されなかった密入国者がいたことが指摘されている。
約20万人であり、60万人から40万人を引けば20万人と数字的には合っている。
しかし、この「在日朝鮮人60万人の内、20万人の密入国者」が持つ意味は、これまで余り問題にされて来なかった。
この稿続く