文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

韓国人が全羅南道の出身者を差別しているのは全羅南道とは日本人が統治していた地域…倭国の領土だったからなのである…これが私が気がついた事。

2019年03月12日 15時32分57秒 | 日記

読書家の友人が「先日あなたが閃いた事を証明する論文が掲載されているよ」と言って月刊誌WiLL4月号別冊、歴史通…202X年「韓国」消滅へのカウントダウンを購入してきてくれた。
この号は日本国民全員が必読の書である…今すぐに最寄りの書店に購読に向かわなければならない…誰もが確かに、と頷くだろう。知らなかった人は大変な感謝の念を抱くだろう。
古代朝鮮半島を支配していたのが日本人だった
*それが朝鮮半島人の反日思想の原点なのである。つまり朝鮮人は「底知れぬ悪」と「まことしやかな嘘」を実証しているのである。
韓国人が全羅南道の出身者を差別しているのは全羅南道とは日本人が統治していた地域…倭国の領土だったからなのである。…これが私が気がついた事。韓国人は知っているのである…つまり彼らは徹頭徹尾、嘘をついているのである…この事は歴然たる事実=歴史であって変えようがない事を韓国人が知る事から始まらなければ真の日韓友好はあり得ないのである。歴史を否定し続ける限り韓国人は永遠に異常な国民であり続ける事になる…韓国人は、そんな愚か者で生きて行くのだろう。
私たちは、もうこれ以上、この愚か者たちが日本を貶める為に世界に拡散する嘘を傍観したり座視していてはいけない事は論を待たない。
私が大江健三郎達を人間の屑とまで酷評するのが当然であるだけではなく、彼らに対しても日本国は莫大な損害金を請求しなければならないのである。*
佐藤洋二郎 作家・日大芸術学部教授
韓国人の虚言癖にヘキエキしながらも、古代朝鮮経由で多くの文化が列島に伝わってきたと思い込んでいる日本人はまだ少なくない。「渡来人」などという新造語にユメ惑わされるなかれ。
新羅王家に流れる倭人の血 
今日、わたしたちが使っている多くの日本語は、明治以降、この国に新しい文化が入り、西周や中江兆民、福沢諭吉ら当時の知識人が、全体の意味やニュアンスを考慮して翻訳・意訳したものだ。
それゆえに本来の言葉の意味と合致していないものもある。
そして言葉は時代とともに変容するし変質もする。 
歴史という言葉がある。
その歴史の「歴」という文字は物事を歴然と、つまりはっきりさせることであり、「史」は文章のことだ。
だから歴史とは、文章で物事をはっきりさせるということになる。 
そして文字が残されていなければ歴史は遡っていけない。
だが、神話や民話、伝承や伝説となると、書き残された文字があるとしても、それは即歴史となるわけではない。
歴史となるには物的証拠が必要なのだ。 
歴史は勝者が書き残すし、それらの行為はわたしたち人間が行う。
その上、人間の感情は一筋縄ではいかない。
そこには自分たちの正統性の主張や誇張も入るだろう。 
だが年月が経ては、そのことを知っている者もいなくなるし、確認する手立ても少なくなってくる。
それは警察官の取り調べに似ていて、容疑者が自白してもすぐに犯人とはならない。自白した通りに殺人現場に行き、物的証拠が出てきて、それらが合致してはじめて犯人となる。 
わたしは歴史認識をそのように考えているので、書き残された文字から探って行き、なおかつその場所を訪ねるというのが正鵠を射ていると考える。 
そんな気持ちで三十年以上神社を歩いている。
そこには「正史」と違う伝説や伝承があり、それを探っていくのが愉しい。
朝鮮半島と日本の関係も、「正史」とは違う別の角度から歴史が見えてくる。 
朝鮮半島と日本は地理的に近いこともあり、あるときは親しくなったり、齟齬したりしてお互いの歴史を構築しているが、昨今の日韓の歴史認識は著しく乖離している。 
民主主義の基本は公明、公正、公平だと考えているが、それは歴史認識にも言えることだ。
それぞれの国家としての面子や自尊心もあるだろうから、勢い相手の言い分を認めようとせず、認めれば自国の歴史を歪めてしまうこともある。 
行きすぎれば民族主義に走るし、差別感も芽生える。
民主主義と同じように、重なる歴史は公明に公平に公正に見ることが、真の歴史を知ることにつながる。
ちなみに「公」という文字は、人が両肘を上げている格好だといわれている。
肘を上げればものをたくさん持つことができない。つまり欲張りではないということだ。 
逆に「私」という文字は禾編だ。それは穀物を表す。転じて財産の意味になる。その財産を持ち、人に肘鉄を食らわすのが「私」という文字だ。つまり欲張りということだ。
私利私欲に走る人間は公人というわけにはいかない。
今日の政治家は汚職や不法献金を繰り返す私人ばかりで、政治がうまく機能しないのはそのためではないか。そういう施政者が歴史をつくっていくのも事実だ。
万民のためにいい政治を行うという志のある人物もいたのだろうが、世の中が安寧で穏やかであれば、歴史もまた落ち着き、書き残すことも少ない。 
日本史でも世界史でも、そこに列記されているのは社会の異常なことばかりだ。
大化改新、鎌倉幕府成立、明治維新などと羅列していけば、政治や世の中が反転したことがわかる。
それらのことが書き継がれてきたのが歴史ということになる。 
さて、今日わたしたちが歴史を語ることができるのも、「記紀」をはじめ、さまざまな書物が残っているからだ。 
朝鮮の正史として「三国史記』がある。
高麗17代仁宗の勅命で、金富軾たちが三国時代から統一新羅末期までのことを編纂した朝鮮半島の最古の歴史書だ。
1143年に編纂が開始され、2年後に完成したものである。
初めて編まれた正史としては実に年代が新しい。
720年成立の『日本書紀』より400年以上も後のことだ。
それより以前に古い書物があって、それに依拠して書かれたのかもしれないが、それは現存しないようだ。 
「三国史」の新羅本紀第一の第四代脱解尼師今(だっかいにしきん)(在位57-80)の部分に、「脱解が王位に即いたとき、その年は62歳であった。姓は昔氏で、王妃は阿考夫人である。脱解はむかし多婆邦国で生まれた。その国は倭国の束北一千里のところにある」と記されている。
原文は「女王国東渡海千余里 復有国皆倭種」で、「女王国から東に千余里の海を渡って行くと、また国があり、彼らは皆倭種である」ということだが、その国にいた人間が新羅の第四代の王になり、その血脈が代々新羅の王家に流れている。 
また当時の政治の最高指揮官である瓠公(ここう)という人物は「もともと倭人で、むかし瓢(ひさご)を腰にさげ、新羅にきた。それで瓠公と称した」とある。
その男を脱解が登用して政治を行ったのだが、すると、新羅の国の土台は日本人がつくったということになる。 
今日の韓国の大もとは日本人がつくったという記述を、韓国の人々はどう説明するのだろう。
「天皇は百済人だ、日本は韓国がつくった」などと言うが、その根拠はどこにあるのか。
この稿続く。


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