文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

それを詐欺師孫文が清王朝の版図、つまり満洲もモンゴルもウイグル、チベットまで支那人のものと言い出した。 

2018年07月05日 18時44分56秒 | 日記

以下は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之が先週号の週刊新潮に掲載した論文からである。

総一朗の読み方

渡辺惣樹訳の「フーバー回顧録」(訳書名『裏切られた自由』)はすごく分厚い。 

上下各700ページもあって各8800円。

半端ない分量で、だから「わたし上下を通して読みました」という人はほんの数人しか知らない。 

一人は宮崎正弘。こちらも加わって渡辺惣樹と三人で「吉田松陰の下田」を旅したこともある。

惣樹の本のファンでハミルトン・フイッシユの『ルーズベルトの開戦責任』などの書評もしている。 

宮崎はこの本を読んでフランクリン・ルーズベルト(FDR)が日本を嵌めた背景を読み解く第一級の資料と評している。 

異存はない。

ただフーバーの日本についての知識は極めて浅い。

その辺はハミルトン・フイッシユの本を併せ読むといい。 

そうするとFDRが日本を挑発しながら、なぜ西海岸にいた米太平洋艦隊を丸裸の真珠湾に移したかの作意が見える。 

FDRはその上で日本に「支那満洲から即刻出ていけ」というハル・ノートを突き付ける。 

パル博士が「ルクセンブルクでも宣戦した」と評した最後通牒だが、FDRは実はそれを米国民の目から最後まで隠し通した。

ズルを自ら認めている。

もう一人、オレも読んだと田原総一朗が言う。 

彼は国宝彦根城を仰いで育った。

国宝の理由は米軍の空襲で焼かれずに往時のまま残ったからだ。 

空襲を免れたのは大阪や名古屋を空襲する米軍機にとって格好の目印になったからと言われる。 

それでも終戦直前、B29が単機、彦根城を空爆にきたことがあった。 

残った爆弾をお城の上にばらまく気だった。 

もうダメかと思われたとき、I機の戦闘機が駆け上がって体当たりした。 

よろめくB29から爆弾が数発だけ転げ落ち、小学校近くの畑に落ちた。

被害は最小限で済んだ。 

軍国少年なら感激の場面だが、11歳の田原少年の思い出にその話はない。

終戦で価値観がひっくり返ったとか、手垢のついた反戦文化人の台詞しかない。 

それでテレビ局に入って新郎新婦から参会者まで全裸の結婚式を撮った。

新婦が感激して参会者みんなと交合する様子も撮った。 

今や独り左翼論壇を担う人は回顧録を読んで「日本人の常識、すなわち日本は侵略戦争を行い、米国は正しい戦争を遂行したという歴史観をひっくり返すものだ」と言っている。 

それは朝日新聞の常識であって日本人の常識じゃないような気がするが、それは措く。 

で、新鮮な見方に接した左翼人はどう思ったか。 

「これは正しくない」と断じる。

なぜなら「信頼する坂野潤治東大名誉教授」が対支那政策の誤りが原因と言っているからだと。 

知らない坂野が出てきて戸惑うが、その言い分は東京裁判での米国の主張と同じに聞こえる。

日本が支那の領土、満洲を侵したのが悪いと決めつける。 

果たしてそうか。 

支那の領土は秦の昔から長城の内側だった。

それを詐欺師孫文が清王朝の版図、つまり満洲もモンゴルもウイグル、チベットまで支那人のものと言い出した。 

それを米国が「満洲も支那のもの」(スチムソン・ドクトリン)と認めた。 

支那を日本にけしかけて戦わせるためだ。

アパッチとチェロキーを戦わせたのと同じ手法。

それで日本を消耗させて仕上げは米国がやっつける。

太平洋に覇者は独りでいい。 

ために今、中共がチベット、ウイグルを侵略してもスチムソンが支那領と認めたから文句も言えない。 

そういう流れを回顧録が示唆しているのに左翼の論客は理解できていない。 

坂野は、近衛が蒋介石を「相手にせず」と言ったことが悪かった、日支戦争が泥沼化して日米戦争になったと言うが、それがまさにFDRの目論見そのものだと回顧録は言っている。 

坂野はよほど不勉強の人か、GHQに阿った横田喜三郎と同じ穴の人か。 

信頼する人はよく選んだ方がいいと思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。