文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

解りにくい文章だから、何度も読み返す。そうするうちに、洗脳されていく自分に気付くのだ。

2018年04月23日 09時17分04秒 | 日記

以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに掲載された室谷克実氏の正に労作からである。

戦時社説で分かる朝日の戦争責任

「戦中」の朝日新聞 

戦前の朝日新聞に関する書籍は少なくない。

今日の朝日新聞に関しては、鋭いウォッチャーがたくさんいる。

ところが「戦中」の朝日新聞については、エアポケット状態だ。

朝日新聞の戦時社説がどんな内容だったか、ぜひ知っておいてもらいたい。 

最初に「頭のトレーニング」をかねて、いささか読みづらい文章を見ていただこう。

昨年十二月八日開戦劈頭(へきとう)、特殊潜航艇をもって布哇(ハワイ)真珠湾に突入し、赫々たる偉勲を樹てた特別攻撃隊、岩佐直治中佐以下九勇士の合同海軍葬儀はその四たび目の命日たる本日、日比谷公園において厳かに挙行せられる。特別攻撃隊の武勲は改めて説くまでもなく、連合艦隊司令長官より感状を授与せられ、帝国海軍軍人の忠烈を克く中外に宣揚し、全軍の士気を顕揚し、抜群なるものとして畏くも上聞に達したところである。曩に大本営から公表せられた特別攻撃隊に関する発表に接し、何人かその至誠純忠に対して粛然襟を正し、その崇高無比なる精神に泣かざるものがあったろう。 

海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、征途に出でたつものは一人としてその身を顧みることなく、唯一死殉国の烈々たる赤心に燃え立っていることは申すまでもないことである。否征途に立つと立たざるに拘らず、国民の一人一人が君国のためには身を鴻毛の軽きに比すること、古来わが国民精神の精華である。発しては万朶の桜となる神州の正気は、実に国民各自のうちに深く宿っているのである。特別攻撃隊九勇士は実に身をもってこの国民の血管に脈うっている至誠純忠の心を振起し、鼓舞したのである。 

九勇士は皆二十歳を僅かに上に出た弱冠の人達であった。九勇士は生死を超越し、最初から一意攻撃効果に専念するほか帰還のごときは敢て念頭になかったのである。則天去私、任務遂行のほか生もなければ死もないという至純至高の心境は一にその精忠の一念に発したものである。その崇高なる精神は誠に神として尊崇し、永遠に国民の亀鑑たるべきものである。茲に合同葬儀の挙行せられるに当り、謹んで不朽の遺烈を欽仰し、英霊の冥福を祈る次第である―(以下、引用紙面のなかのルビと注は、すべて筆者による) 

これは「不朽の遺烈を祭る」と題する朝日新聞(昭和十七年四月八日)の社説だ。 

ハワイ真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇で特別攻撃をした九人の四回目の月命日を前にして書かれたものだ。 

昭和年代の文語調は、現代の若者には読みづらい。

漢字検定準一級ぐらいの知識がないと、読みこなせない漢字が多い。

ルビを付けなかったなら、冒頭の「劈頭」「布哇」でお手上げする若者が多いことだろう。

若者に念のため、「畏くも上聞に達した」とは「陛下のお耳に届いた」の意味だ。 

一センテンスが長く、改行がほとんどない。

これも読みづらさの一因。 

ニパラグラフ目の最初のセンテンスの中ほどに、「唯一死殉国の」とある。

現代人であれば「ゆいいつ、シジユンコクの」と読んでしまい、「?」となる。

頭をひねって、ようやく「ただ、イッシ殉国の」と解るのではあるまいか。

洗脳されていく 

私は『朝日新聞「戦時社説」を読む』(毎日ワンズ、2014年11月)を書き上げるのを前に、朝日新聞のこの種の社説を、およそ百編読んだ。 

まさに苦痛の日々だった。

しかし読み進めるうちに、不思議なことに気付いた。 

解りにくい文章だから、何度も読み返す。

そうするうちに、洗脳されていく自分に気付くのだ。

こんな社説、同じような論調の社会記事を毎日のように読んでいたら、当時の日本人が「鬼畜欧米と戦わなくてはならない」「お国のために我慢するぐらいは当然だ」と心の底から考えるようになったのは自然だったのではないかと、私なりに理解した。 

さらに読み進めると、「お国のために死ぬのは当たり前のことだ。

それは恐ろしいことではない」とさえ思えてくる。 

そして百編近い社説を読み終える頃には、清々しい気分で思った。 

「そうだ、この先、日本を占領支配するような外国勢力があったなら、私も靖国にいる英霊に応えて“老人テロリスト”あるいは”都市ゲリラの老兵”として、国のために命を投げ出さなくてはならない」と。

私の大学の恩師である中村菊男慶應大学教授(当時)は、論文指導の際は常に「誰にでも理解できるように、できるだけ平易に書かなくてはいけない」と述べていた。 

常日頃、「左翼の学者が書く学術的な装いの論文が解りにくいのはなぜか」と言い、ある時は著名な哲学者の名前を挙げて、「彼が『私の論文は、わざと難しく書く』と言うのを聞いて、もう呆れた」と述べておられた。 

朝日新聞の戦時社説を読んで、中村教授が「なぜだ」とした疑問の一部分が解けていくことを実感した。

戦時社説に学術的な装いはない。

あるのは神懸かった表現だ。

それでも、読みづらい文章に仕立てれば洗脳効果が高まるのだ。 

戦時社説の語尾は「……ない」「……である」では終わらず、「……のである」が、やたら付いている。

これも、読者の脳裏に文章を押し込もうとする表現方法ではないかと私は思う。 

当時の新聞は朝日に限らず、どこも同じような文語調たったはずだが、戦後の左翼、俗にいう「進歩的文化人」は、解りづらい文章が持つ洗脳効果を心得ていたのではあるまいか。 

冒頭の社説は、日本軍が快進撃を続けていた時期だ。 

それでも、「君国のためには身を鴻毛の軽きに比すること、古来わが国民精神の精華である。発しては万朶の桜となる神州の正気は……」と、かなりの神懸かりぶりを感じさせる。 その神がかりは戦局の悪化とともにトーンを高めていく。

“天皇のための軍国主義” 

それを紹介する前に、日米開戦の時の社説を読もう。     

宣戦の大詔ここに渙発され、一億国民の向うところは厳として定まったのである。わが陸海の精鋭はすでに勇躍して起ち、太平洋は一瞬にして相貌を変えたのである。 

帝国は、日米和協の道を探求すべく、最後まで条理を尽して米国の反省を求めたにも拘らず、米国は常に誤れる原則論を堅守して、わが公正なる主張に耳をそむけ、却って、わが陸海軍の支那よりの全面的撤兵、南京政府(注=日本が承認していた汪兆銘政権)の否認、日独伊三国条約の破棄というが如き、全く現実に適用し得べくもない諸条項を強要するのみならず、英、蘭、慶(注=蒋介石政権)等一連の衛星国家を駆って、対日包囲攻勢の戦備を強化し、かくてわが平和達成への願望は、遂に水泡に帰したのである。すなわち、帝国不動の国策たる支那事変の完遂と東亜共栄圏確立の大業は、もはや米国を主軸とする一連の反日敵性勢力を、東亜の全域から駆逐するにあらざれば、到底その達成を望み得ざる最後の段階に到達し、東条首相の言の如く「もし帝国にして彼等の強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し、支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となる」が如き重大なる事態に到達したのである。 事ここに到って、帝国の自存を全うするため、ここに決然として起たざるを得ず、一億を打って一丸とした総力を挙げて、勝利のための戦いを戦い抜かねばならないのである―。 

これは昭和十六年十二月九日、「帝国の対米英宣戦」と題する社説だ。 

一センテンスが長いので読みづらいが、それでも日本が開戦に踏み切らざるを得なかった背景がよく解る。 

この社説を現代語に直して、高校の歴史教科書に出典明記のうえで、参考資料として掲載するよう私は提案したい。 

この社説は、こう続く。

いま宣戦の大詔を拝し、恐懼感激に堪えざるとともに、粛然として満身の血のふるえるを禁じ得ないのである。一億同胞、戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、もって宸襟を安んじ奉るとともに、光輝ある歴史の前に恥じることなきを期せねばならないのである―。

「宸襟」とは、「天皇の御心」といった意味だ。

「決死報国の大義に殉じ、もって宸襟を安んじ奉る」、これが”天皇のための軍国主義”の主張でなくて何なのだ。

毎日を抜きトップ新聞に 

満州事変の頃は毎日新聞が販売部数トップであり、朝日新聞は二位だった。 

その頃の朝日新聞は、「反戦論」が目立つ論調だった。

そのため、不買運動に曝されると、朝日は次第次第に“天皇のための軍国主義”の論調になり、毎日を抜いてトップ新聞になった。 

ここで見逃せないのが、コミンテルン(ソ連が支配した国際共産主義組織、日本共産党も実は「コミンテルン日本支部」だった)のスパイエ作だ。

彼らが展開したのは、日本がソ連との戦争に踏み切ることの回避だ。ソ連はドイツと敵対しており、二正面戦闘をどうしても避けたかったからだ。 

問題のハル・ノートの原案作成者であるハリー・ホワイト米財務次官補も、コミンテルン・スパイの一員だったとされている。 

そして日本でも、ソルゲ(ドイツ紙の東京特派員で、コミンテルンのスパイ)と尾崎秀実(大正十五~昭和十三年まで朝日新聞記者、以後、近衛内閣の嘱託、十六年にスパイ容疑で逮捕される)を中心とするスパイ組織網が暗躍していた。 

日ソ中立条約を維持したまま日米開戦に踏み切らせることこそ、彼らコミンテルンのスパイたちが目指した路線だ。

そこに朝日新聞はどうかかわっていたのか、究明すべき課題だ。

この稿続く。


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