以下は前章の続きである。
しかも、この都内の居酒屋での場面というのも、そもそも実際にどこの誰が、いつどこで、口にしたのか、まったくわからない。
だが、大野記者はそんな雲の中の「言葉」を、この長いコラム記事の最大の論拠として使っているのだ。
しかし、このコラムのゆがみの核心、その最もひどい部分は、その陰謀説の「言葉」からひねり出す教訓や意味である。
そのひねり出しの過程が支離滅裂、一人よがりなのだ。
そのユニークな9.11テロ米国政府陰謀説の日本にとっての意味づけは、以下のようだった。
(グローバル化や少子高齢化で、自分たちの暮らす社会がうまく把握できなくなっている。その不可解さ、複雑さにうんざりして、わかりやすいストーリーを求めたくなる。悪者をさがしたくなる。そこに陰謀論や排外思想、フェイクニュースがつけ込む)
以上の大野記者が述べる、日本での傾向は冒頭の居酒屋での「9.11テロは米国自身が仕組んだ」というデマと同じ現象だというのである。つまり9.11テロ陰謀説は日本社会の現状の結果であり、症候でもあるというのだ。
この稿続く。