以下は前章の続きである。
西岡
朴慶植という在日朝鮮人学者がいます。
当時、朝鮮大学校という朝鮮総連の持っている自称大学校、法的には各種学校の教授だった人です。
彼が1960年代の日韓条約反対運動の最中に有名な『朝鮮人強制連行の記録』という本を書いて、「強制連行」という造語を世に広めた。
櫻井
朴慶植、「慰安婦狩り」をしたと虚偽発言をした吉田清治、この2人が連係プレーをしているかのように見えないこともない。
朴慶植の表現を吉田清治が借りる形で、彼自身の本に書いている。
西岡
参考にしたからじゃないですかね。
1959(昭和34)年に出された最初の『出入国管理白書』、それは閣議決定されたものなのですけれども、そこには戦時労働者についてこう書いてある。
〈戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和14年9月から、朝鮮内の指定された地域で、企業主が渡航希望の労務者を募集し、17年2月からはその募集が総督府のあっせんにより行われ、19年9月からは国民徴用令にもとづいて行われた。しかし3月末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行われなくなった(したがって、国民徴用令による期間は6ヵ月余りであった)。14年9月以降、日本内地に募集された労務者は、63万5千余人となるが、そのうち契約期間がすぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にその事業現場にいたものは、32万2千余人であった。このほかに軍人・軍属として日本内地にいたものが終戦時に約11万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約200万を数えた〉
政府の持つ様々な統計や資料を駆使した実証研究の到達点です。
朴慶植氏らが65年にやろうとしたのは、
当時の実証的な日本の役所の研究、それをやったのは森田芳夫先生ですけれども、森田先生をターゲットにして、それを何とか倒そうということで「強制連行」という言葉を持ってきたのです。
造語ですよ。当時なかったのですから。
櫻井
そこから強制連行という説が前面に打ち出され始めたわけですね。 西岡
800万人強制連行して、20万人性奴隷として使ったというのですね。
櫻井
800万人という途方もない数字の根拠は何なのですか。
西岡
日本に連れてきた人たちだけではなくて、朝鮮の中で工場とか現場で働かせている人、令部を入れるとね、そういう数字があるのだけれども、普通にみんな戦争で協力したというだけの話ですけれども。
強制連行ではないのです。朝鮮の中ですからね。
櫻井
いわゆる官斡旋に入る前の募集で、朝鮮半島の人達が日本に働きに来る、その時期のことですけれども、不正渡航がすごくあって、1万9000人を追い返したという記録が残っています。
戦争が終わった時も、日本の混乱の中で、みんな一時期朝鮮半島に帰るのだけれども、密航して戻ってきている人たちがあまりにも多い。
アメリカの記録の中に、これだけ多くの人を追い返したという数字があります。
西岡
朴慶摧さんの資料集に入っている当時の警察の調書を見るとね、昭和20年に徴用されて大阪から逃げて東京に来た人の話が書いてあるのですけれども、朝鮮人の親方の飯場に行くとね、濁酒を飲ませてくれたと。
別の飯場に行ったら今度は牛肉を食べていた。
でも、日本の学者の人たちはね、一生懸命読んで、日本にとって不都合な所だけを論文に書くのですよね。
間違ってはいないけれども偏っていますね。
韓国とか北朝鮮は結構大ざっぱだから間違った事も言うのだけれども、日本の学者たちは陰湿、陰湿ってちょっと言い過ぎかも、丁寧に反日なのですね。
櫻井
「丁寧に反日」ですか。
性格が悪いのでしょうか。
徴用工の問題では、日本企業は未払い賃金が出ないように、供託金を積み立てるとかしています。
日本政府も日韓請求権交渉の中で、たびたび日本側が労働者I人I人にちゃんと補償を払いますとか、未払い賃金を払いますから、ここで名簿をつき合わせてお互いに誰と誰に払うべきか、調査して払うべき人には払いましょうというやりとりがなされているわけですけれども、無視されている。
西岡さん、日韓の歴史を振り返ると、日本企業は一生懸命にやったし、日本政府も不十分かもしれないけれども、結構やったでしょう。