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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
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福田恆存や江藤淳といった、文学畑の人によって語られてきた保守の考え方に、西部氏は学問としての骨格と精密さを与え

2018年01月22日 21時18分20秒 | 日記

以下は、今日、産経新聞の社会面に掲載された川村直哉記者に依る、西部邁氏の評伝である。

礼節・道義重んじた情の人

その日が来てしまった。

西部邁氏は、かねて自裁について語り、書いてきた。

それでも西部節は、ずっと続くように思っていた。

近年、奥さまに先立たれてからは、ことに元気をなくしておられたと聞いていた。

雑誌「正論」での連載「ファシスタたらんとした者」の、昨年2月号の最終回は、自死を思わせる文章で結ばれていた。

新作「保守の真髄」を「最後となるはずの著述」と位置づけているのを見るに及んで、いやな予感が深まった。 

西部氏にしてみれば、自分の人生に自分でけじめをつけるという自らの思想を、実践しただけなのかもしれない。

しかし日本の至宝というべき存在だった。

お目にかかってでも「もっと教えていただきたい」と、おいさめすべきではなかったかと悔いる。 

福田恆存や江藤淳といった、文学畑の人によって語られてきた保守の考え方に、西部氏は学問としての骨格と精密さを与えた。

保守思想を学問として確立したことが、氏の最大の功績だろう。 

西部氏が重視した英国の保守思想家、エドマンド・バークは、理性による国家の設計を試みたフランス革命を徹底的に批判した。

その立場から、理性だけではすくいきれない伝統や良識を重視する、西部氏の保守思想が展開された。 

単に古いものを墨守するだけが、その保守思想だったのではない。

氏は「保守するために改革せよ」という、バークのものという考え方を好んだ。

静的とはほど遠い動的なその文章は、常にスリリングだった。 

日本の国柄から保守を考えた。

2003(平成15)年のイラク戦争を機に、米国と緊密な関係を保とうとするいわゆる親米保守と反米保守の対立が深まり、西部氏は後者の代表格と見なされた。

本紙とも距離があいた状態となった。

残念に思い、連載をお願いした。

平成18年春、「保守再考」が始まった。 

西部氏の編集者泣かせは有名だった。

連載中、筆者も酒の席で怒鳴られ、怒鳴り返してしまったことがある。

翌日、冷静になって、日本のために必要な連載だと話した。

電話の向こうで大きくうなずいてくれた。 

怖い一方で、しみじみと優しい方でもあった。

理性の人であるとともに情の人であり、礼節や道義を重んじた。  

「氏」と書いてきたが、本当はご生前にお呼びしていたように、「西部先生」とすべきだったかもしれない。

本心からそうお呼びしたくなる方だった。

残された本に西部先生をしのびたい。 


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