自分の国を占領した日本軍
文中黒字化は私。
陸軍というとすぐ歩兵を連想するが、もちろん砲兵や工兵といった兵科がなければ戦争ができない。
そしてまたそれらを支える要員が必要である。
日露戦争当時にも大量の輜重輸卒が召集されている。
つまり外地に駐留するということは、そこに町を作るのと同じで、インフラが整備されないと戦えない。
武器弾薬の補給だけでなく、兵士たちの衣食住すべてを確保した上、鉄道や医療機関などから楽隊までが必要なのである。
その「自治体」では戦闘が第一義である点が現実の町とはちがう。
日露戦争以後、曲折をへて軍組織が肥大すると、国のなかに価値観も生理もちがう別の意思を持った治外法権ゾーンも成長してゆく。
実際そこにいる兵士たちは、一般社会を「地方」と呼んだ。
ある人の観察によれば、日本軍は敵地を占領するより、自国を占領することに熱心だった。
そして統帥権を魔法の杖にして、事実上占領した。
昭和10年、それまで常識とされていた美濃部達吉博士の 「天皇機関説」が封殺され、軍部の惘喝的支配が始まる。
「占領軍」を率いた職業軍人たちは軍部の学校で教育され、教科書や専門書以外の書物は読んだことのない人たちであった。
なぜなら小説など読んでは「赤くなる」から。
こういう融通のきかない石頭が国民をしぼり上げた。
敗戦直後の解放感は、司馬さんによると、より軽い占領に代わったからだという。
他国に占領されて愉快なはずはない。
が、英語は敵性語と禁止され、野球でもストライクを「よし」などといわされたのに、占領軍では、ダンス音楽に「ラバウル小唄」や「軍艦マーチ」をアレンジして使うというこだわりのなさであった。
文化のレベルでも負かされた。
明治期には国政ごと牛耳ろうと考えた軍人はいなかったのに、どこで間違えたのだろう。
和田 宏