以下は今日の産経新聞からである。
なぜ「炎天下」の開催にこだわるのか
向谷匡史氏
リモコン片手にザッピングしていた私のカミさんが、全国高校野球の予選試合の中継に目を留めて、こうつぶやいた。
「この猛暑に、何で試合をやらせるのかしらねえ」
「夏は高校球児の甲子園」と、思い込んでいた私は目からウロコである。
私は空手道場もやっており、稽古は夕方から週3回ある。
大人を対象とした夜の部はともかく、子供の稽古時間はまだまだ猛 暑とあって、稽古が始まる2時間前から2台のエアコンと4台の扇 風機をフル稼働。
熱中症に神経をとがらせている。
なにせプールに浸かっていてさえ熱中症になるのだから、文字通 り「命にかかわる危険な暑さ」である。
メディアがこぞって注意喚起するのは、その責務からして当然である。
言行不一致
ところが、この炎天下に「夏の甲子園」が開催される。
炎天下で行う試合そのものもさることながら、主催者たる朝日新聞が熱中症の危険を紙面で喚起しつつ、その一方で夏の甲子園を開催するという神経が、私には信じられないのである。
「ためらうことなく冷房を入れてください」という呼びかけがテレビで流れるたびに、「電気代はただじゃないわよ」と、カミさんは主婦感覚で口をとがらせていた。
「冷房を入れろ、電気代は自分持ち」と言われたのでは、余計なお世話と腹立たしくもなるだろう。
ところが、九州電力は熱中症予防のため、高齢世帯の電気料金割引に踏み切った。
「猛暑が続く中で、迅速に対応したいと導入した。冷房や扇風機を積極的に使っていただき、熱中症を予防してもらいたい」とコメントしており、これを「言行一致」と言う。
それに引き換え、朝日新聞はどうだ。
「モリカケ問題」では、重箱の隅にまで目を光らせた同紙が、もし「言行不一致」を承如で、自社が主催する「炎天下の甲子園」に目をつぶるとしたら、メディアとして自殺行為と言っていいだろう。
新聞社も企業だ。
利益を出さなければ存続はできない。
だから夏の甲子園が朝日新聞にとって営業政策上、大きな意味を持つのは分かる。
しかし、どんな営業政策を講じようとも、新聞にとっての生命線は「読者の信頼」である。
「読者の信頼」こそが企業を発展させ、オピニオンリーダーとして影響力を発揮する。
言い換えれば、「言行不一致」こそ最大のリスクとなり、このことを考えれば、おのずと処し方は決まってくる。
暑さの質
炎天下でプレーすることの危険性については、日本高野連も認識しているようだ。
昨年5月、当の朝日新聞は「スポーツと熱中症」と題したシンポジウムを開催したが、基調講演した日本高野連の八田英二会長は(こう述べている。
「夏の大会については確かに、こんな暑い中で子供にスポーツをさせていいのかという厳しいご批判はいただいております。しかし、注意深く対策を立てながら運営すれば、安全に開催することはできると信じています」
厳しい批判を受けながら、なぜ「炎天下」の開催にこだわるのか私には理解できない。
朝日新聞主催のシンポジウムということで、忖度しての発言ではないかと勘ぐりたくもなるだろう。
人命に優先する大義など、あるわけがないのだ。
夏の甲子園は今大会で100回目という大きな節目を迎える。
「暑さの質」が変わったとされる時代に、主催者の朝日新聞はこれからどう対処するのか。
あってはならないことだが、熱中症で人命にかかわる事故が開催中に起きたら、誰が責任を取るのか。
朝日新聞がこのまま「炎天下の甲子園」に目をつぶって開催を継続するなら、熱中症対策を候起する報道姿勢は欺瞞と言われても仕方あるまい。