以下は今週号の週刊新潮の掉尾を飾っている高山正之の連載コラムからである。
このコラムを読んだ人たちは、皆、私の彼に対する評である「彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである」を、全く、正しいと思っただけではなく、彼の凄さに感嘆したはずである。
シズエとヒトラー
男は女を漁って楽しく人生を過ごす。
でも「女は違う」とアグネス・スメドレーは書いている。
「女にとって性は恋愛の一部ではない。性は暴力を意味した。体が成熟すると男たちの餌食にされ、結婚すれば子供を次々産まされ、疲れ果てて一生が過ぎていく」
だから二度も堕胎させられた彼女は夫を捨ててニューヨークに出た。
訪ねた先は妊娠と堕胎から女を守る運動家マーガレット・サンガーのオフィスだった。
彼女はそこで避妊を学んだあと、上海へと渡って奔放な性を楽しんだ。
サンガーはそんな彼女のために「様々な避妊具を送ってやった」と細見三英子が『20世紀特派員』に書いている。
尾崎秀実もその避妊具の世話になった一人だった。
スメドレーと前後してサンガーの許を訪ねた日本人がいた。
後に社会党代議士となる加藤シヅエだ。
彼女はサンガーの運動に心酔し、日本に戻ると母体保護だけでなく、もっと過激に「不良な子孫の出生の防止」を訴え、1931年(昭和6年)、日本産児調節連盟を立ち上げた。
避妊、中絶どころか断種も公言した。
その2年後、シヅエと思いをほとんど同じくするヒトラーが遺伝病根絶法を定めて、こちらはさっさと強制断種を始めた。
シヅエは先を越されて悔しがったが、日本はドイツほど野蛮ではないから彼女の出る幕はなかった。
しかし先の戦争が終わったあとシヅエに強い味方が現れた。
サンガーの祖国、米国だ。
もともと日本の戦後処理は終戦の年に急逝したフランクリン・ルーズベルトの「日本を四つの島に閉じ込めて滅ぼせ」という遺言に基づいていた。
小さな有色人種国家のくせに世界を支配する白人国家群を脅かし、あまつさえ彼らの財産の植民地をことごとく解放した罪はまさに万死に値した。
で、どう滅ぼすか。
この稿続く。