街道ウォーク<旧中山道<関ヶ原宿(駅)~高宮宿(駅)
2013年6月7日 20回目
柏原の様子2
▲屋号札を掲げた民家
▲東の荷蔵跡
運送荷物の両隣宿への継立(駅伝運送)が、当日中に出来ない場合、荷物を蔵に保管した。この蔵は東蔵と呼ばれ、藩年貢米集荷の郷蔵でもあった。 荷蔵は宿西部にもあった。
▲問屋場跡
問屋とは、街道の運送問屋のことで、宿場第一の業務を担当した。公用の旅人・荷物と幕府ご用状の、両隣宿までの運送を継立(駅伝方式)で行った。宿屋の斡旋も仕事。柏原宿では、江戸後期には六軒の問屋が、東西三軒づつに分かれ、自宅で十日交代で勤めた。中山道の人足・役馬は、五十人五十疋が義務づけられ、下役に帳付・馬指・人足指が居た。村年寄りが問屋役を補佐した。人足・馬を出し、問屋業務を助けた助郷村は、当初近隣十六ヶ村。彦根藩村々の離脱から、五十一ヶ村かつ遠方が多くなり、宿場・助郷村とも苦しんだ。
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