コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

唐人屋敷跡~長崎県長崎市館内町

2023-06-30 05:57:50 | 町並み

2023年5月10日 長崎県

唐人屋敷跡

長崎県長崎市館内町

江戸時代、十善寺郷幕府御薬園(現:館内町)に設置され、出島と共に海外交流の窓口として大きな役割を果たした中国人住居地区跡。現在は「唐人屋敷象徴門」が建っています。
周囲を練塀や堀で囲まれた唐人屋敷は、約9,400坪の広さと、約2,000人の収容能力をもち、瓦葺き2階建ての長屋が約20件ありました。長崎の商人たちが入れたのは屋敷入口の二の門までで、中に入ることを許されたのはなんと遊女だけ。また館内町には当時の道路や石垣、空掘などの歴史的遺構が多く残っている。

唐人屋敷象徴門

土神堂

土神の石殿が土神堂です。土神とはその名の通り、土を司る神(民間信仰で郷土の守護神)のことです。

▼レンガの倉庫(詳細不明)

▼天后堂

元文元年(1736年)、南京地方の人々が航海安全を祈願し、航海安全の女神である天后聖母を祀って建立したものと言われている。その後、寛政2年(1790年)に修復され、現在の建物は、明治39年に全国の華僑の方々の寄付で建てられたもの。

▼福建会館

明治元年(1868年)、「八ビン(はびん)会館(ビンは正式には門構えに虫の表記とする。)」として発足し、その後明治30年に建物を全面的に改築し、福建会館と改称した。会館本館の建物は、原爆により倒壊したため、現存するのは、正門と天后堂などである。

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思案橋界隈~長崎県長崎市

2023-06-28 05:58:03 | 町並み

2023年5月10日 長崎県

思案橋界隈

長崎県長崎市

花街である丸山に近い思案橋は、当時から地元客や諸国を往き来する人達の利用が多くありました。
そのため、土橋から木の橋へ、木の橋から屋根のついた木廊橋へ姿を変え、また元の木橋に戻ったりと幾度となく変転を重ねてきました。行けば散財してしまう花街へ「行こうか戻ろうか・・・」と多くの人が思案したということが、この橋の名の由来と言われています。現在は川が埋め立てられ整備された道路わきに、欄干の跡を残すのみとなった思案橋ですが、今でも多くの人で賑わいを見せる長崎を代表する歓楽街となっています。

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長崎散歩④(眼鏡橋⇒興福寺⇒崇福寺⇒・・・)~長崎県長崎市

2023-06-26 06:12:06 | 町並み

2023年5月10日 長崎県

長崎散歩④(眼鏡橋⇒興福寺⇒崇福寺⇒・・・)

長崎県長崎市

▼中島川石橋群

大川と呼ばれていた今の中島川に1634年最初の石橋眼鏡橋が架けられて以後、17世紀末までに中島川と直交する道路筋のほとんどに石橋が架けられました。
最多時にはこの水系だけで17~18基を数え、崩流滅失の際も石橋で再架され、中島川石橋群としての景観を誇っていましたが、昭和57年7月の大水害でその多くを失ってしまいました。

▼眼鏡橋

▼興福寺

▼崇福寺

思案橋方向へ向かう

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崇福寺(国宝・大雄宝殿)~長崎県長崎市鍛冶屋町

2023-06-24 06:13:07 | 神社・仏閣・教会

2023年5月10日 長崎県

崇福寺(国宝・大雄宝殿)

長崎県長崎市鍛冶屋町

福州地方の唐人たちの希望で、1629年に渡来した唐僧超然により創建された崇福寺は福州寺とも呼ばれ、竜宮門を思わせる三門や珍異奇巧を極めている第一峰門があります。

殿堂内の仏像仏具類は、いづれも中国人名匠の手によるもので、明朝末期文化の縮図といえるものです。
第一峰門と大雄宝殿は国宝に指定され、その他にも国指定重要文化財、県指定有形文化財、市指定有形文化財を多数もつ文化財の宝庫です。

長崎の唐寺の特色は媽祖堂(まそどう)をもつことで、唐船主たちが航海安全を祈願して祀ったものです。媽祖とは海の神様のことで、中国建築様式と和様が違和感無く調和しています。

▼三門(楼門)重要文化財 1849年再建

▼第一峰門(国宝)

唐門とも呼ばれる。入母屋造本瓦葺の四脚門で、各部材を中国で切組んで運んだと伝え、中国明代末期の建築様式を忠実に伝えた遺構として貴重。華麗な着色を施した組物が珍しい。

▼媽祖堂

寛政6年(1794)唐船主からの砂糖1万斤の代銀12貫目で再建された。基壇(きだん)上の勾欄(こうらん)・前廊の黄檗(おうばく)天井・半扉(はんとびら)その他の黄檗様式と和様の細部様式とが混在している。

▼媽祖門 重要文化財

▼護法堂

大梁(おおばり)下面の墨書(ぼくしょ)により享保16年(1731)の建立と知る。
柱上部の籐巻(とうまき)・挿肘木(さしひじき)・扇垂木(だるき)・半扉(はんとびら)・黄檗(おうばく)天井などに黄檗様式があり、柱礎石の彫刻模様も中国工匠の作と思われるが、妻飾(つまかざ)りは和様で日本人工匠の参加が看取される。

▼大釜

延宝8(1680)年に起きた不作を受け、長崎で大飢饉が起きた際に作られたとされている大釜。
その飢饉が長引いたため、当時の住職が天和2年(1682)この大釜を造らせ、住職が粥を炊き、多くの難民を救ったといわれています。

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興福寺2023~長崎県長崎市寺町

2023-06-21 05:56:58 | 神社・仏閣・教会

2023年5月10日 長崎県

興福寺2023

長崎県長崎市寺町

寺町通りに建つ朱色の山門が印象的な「興福寺」は、わが国最初の唐寺で日本黄檗宗(おうばくしゅう)発祥の地。1620年、中国の南京地方出身者が、真円(しんえん)を開基として媽姐堂・仏殿を建てたので、南京寺とも呼ばれます。

禁教令下の江戸時代初期は中国からの来航者が多く、自分たちがキリスト教徒ではないことの証明と、海の守護神「媽祖(まそ)」を祀ることを目的に唐寺を建立し、菩提寺としました。

1632年第2代住職・黙子如定(もくすにょじょう)は本堂である大雄宝殿(だいゆうほうでん)を建立。その後火災や暴風で大破し、1883年に再建されました。中国工匠による中国南方建築の代表作で、緻密な彫刻やアーチ型の天井等があり、圧倒的な美しさを誇ります。黙子如定は眼鏡橋を架けたことでも有名です。

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眼鏡橋(重要文化財)2023~長崎県長崎市

2023-06-19 05:55:16 | 

2023年5月10日 長崎県

眼鏡橋(重要文化財)2023

長崎県長崎市

古い長崎の面影を残しているもののひとつに、中島川にかかる石橋群がある。その中に本格的石橋としては日本最古といわれるアーチ式の「眼鏡橋」がある。
眼鏡橋は1634年、興福寺の唐僧黙子如定禅師(もくしにょじょうぜんじ)の手によって架けられた。橋長22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46m。川面に映った影が双円を描くことから「めがね橋」と呼ばれるようになったことは有名である。1882年、正式に「古い長崎の面影を残しているもののひとつに、中島川にかかる石橋群がある。その中に本格的石橋としては日本最古といわれるアーチ式の「眼鏡橋」がある。1960年に国の重要文化財に指定された。

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長崎駅にて2023~長崎県長崎市

2023-06-17 05:56:28 | 鉄道・駅

2023年5月10日 長崎県

長崎駅にて2023

長崎県長崎市

2020年3月28日、新幹線の開業にあわせて新長崎駅がオープン。

▼西口

▼駅ピアノ

▼長崎街道かもめ市場

飲食店やお土産店を中心に54店舗が出店

▼在来線ホーム

▼新幹線ホーム

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長崎散歩③(銭座町駅⇒八千代町駅⇒長崎駅西口)~長崎県長崎市

2023-06-14 06:01:11 | 町並み

2023年5月10日 長崎県

長崎散歩③(銭座町駅⇒八千代町駅⇒長崎駅西口)

▼銭座町駅

国道を離れ脇道へ

▼茂木は有名なビワの産地

▼町中のカステラ屋さん

この辺りの人は日常的にカステラを食べるのだろうか

▼八千代町駅

長崎駅西口へ

ヒルトン長崎

▼長崎駅

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出島(史跡)~長崎県長崎市出島町

2023-06-12 05:59:50 | 町並み

2023年5月9日 長崎県

出島(史跡)

長崎県長崎市出島町

徳川幕府の命により築造された人工の島「出島」。
1636年に完成し約200年もの間、わが国で唯一西欧に開かれた窓として日本の近代化に大きな役割を果たしてきました。明治期に役割を終えた出島の周囲は埋め立てられ海に浮かぶ扇形の原形は姿を消しましたが、1951年長崎市が出島の復元整備を開始し、現在までに16棟の建物や景観が当時の姿を取り戻しました。

▼1824 - 1825年頃に描かれた出島の鳥観図

(注)Wikipediaより転写

仲間は出島内を散策中ですが当方は疲れ果て、見学はそこそこにしてレストランで休息。ミルクセーキを注文してみた。

▼長崎発祥 食べるミルクセーキ

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)⇒長崎孔子廟⇒出島

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長崎孔子廟~長崎県長崎市大浦町

2023-06-10 05:54:35 | 神社・仏閣・教会

2023年5月9日 長崎県

長崎孔子廟

長崎県長崎市大浦町

長崎孔子廟は、1893年(明治26)中国清朝政府と華僑によって建造されたものです。原爆投下によって一時は崩壊寸前となりましたが、再び華僑たちの手によって修理され1967年より一般公開されています。その後中華人民共和国政府や山東省曲阜の孔子本廟の協力のもとに七十二賢人石像などがもたらされて、荘厳な雰囲気をかもし出しています。

 

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)⇒長崎孔子廟⇒出島

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長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)~長崎県長崎市

2023-06-09 05:53:32 | 重要伝統的建造物群保存地区

2023年5月9日 長崎県

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

長崎県長崎市

南山手の北寄りには、大浦天主堂、旧羅典(らてん)神学校があり、その南には、幕末から明治にかけての洋風住宅として、 旧グラバー住宅をはじめ、旧リンガー(弟)住宅、旧オルト住宅が現存しており、 松が枝町では、旧香港上海銀行長崎支店や旧長崎税関下り松派出所などが港に面して建ち、いずれも国宝や重要文化財に指定されている。
地区の中心から南側は、現在でも静かな住宅地で、 明治時代初期から中期にかけての洋風住宅建築が比較的良好に残っている。
長崎市南山手の町並みは、 居留地の地割を示す歴史的風致とともに、初期の洋風住宅群などをよく残しており、価値が高い。

▼旧香港上海銀行長崎支店

▼旧長崎税関下り松派出所

▼自働電ボックス(復元)

明治33年、東京・京橋に設置された日本で最初の公衆電話ボックスを復元

▼旧三菱第二ドックハウス

▼旧長崎高等商業学校表門衛所

長崎高等商業学校(長崎高商)は、東京高商(一橋大)、神戸高商(神戸大)に次ぐ第三高商として1905年(明治38)に設立されました。学生は、表門から西山川にかかる拱橋(こまねきばし、1903、国登録文化財)を渡って通学し、この表門衛所は、橋の袂に建っていました。屋根は銅板で覆われ、棟に徳利型の飾りが特徴で、室内は土間と畳敷きを備えています。

▼旧ウォーカー住宅

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▼旧自由亭

▼旧リンガー住宅(重要文化財)

▼旧グラバー住宅

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)⇒長崎孔子廟⇒出島

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旧グラバー住宅~長崎県長崎市南山手町

2023-06-08 06:02:31 | 洋館

2023年5月9日 長崎県

旧グラバー住宅

長崎県長崎市南山手町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

グラバー邸は、現存する最古の洋風木造建築(1863年築)であると同時に、最初の和洋折衷建築といわれています。特徴はL字型バンガロー、扇型の屋根に瓦葺、レンガの煙突、コロニアル風大型窓など。アーチ型のドアは全てが洗練され、窓越しに庭を隔てて港が一望できる。

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旧リンガー住宅(重要文化財)~長崎県長崎市南山手町

2023-06-06 05:57:05 | 洋館

2023年5月9日 長崎県

旧リンガー住宅(重要文化財)

長崎県長崎市南山手町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

この家は、木造で外壁は石造、平屋建てで屋根は桟瓦(さんがわら)葺きです。3面に角石の柱を配した吹き放ちのベランダを設けています。正面中央が出入り口で、中廊下の左右に各部屋を配置しています。玄関ホール南側の食堂と、北側の応接室の全面をベイウィンドとしており、長崎港を眺めることができます。

イギリス人のフレデリック・リンガーは、はじめはグラバー商会で働いていました。1868年、29歳の時にイギリス人のホームとホーム・リンガー商会を設立しました。1940年の閉鎖までの約70年間、外国貿易や商社代理店、お茶の加工、ガス等幅広い事業に従事し、長崎の産業や経済に大きな功績を遺(のこ)しました。

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旧自由亭~長崎県長崎市南山手町

2023-06-04 05:54:25 | 洋館

2023年5月9日 長崎県

旧自由亭

長崎県長崎市南山手町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

江戸時代の終わり頃、日本人シェフによる初めての西洋レストランとして長崎県の伊良林にオープンした自由亭。
昭和49年にグラバー園へ移築復元され現在は喫茶室として引き継がれています。

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旧ウォーカー住宅~長崎県長崎市南山手町

2023-06-02 06:15:37 | 洋館

2023年5月9日 長崎県

旧ウォーカー住宅

長崎県長崎市南山手町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

この建物は主人であるロバート・ウォーカー二世が明治中期に建てられたと考えられるこの建物を1915年(大正4)に購入しました。瀟洒な外観で、建物の周りをベランダが囲い、張り出し窓からは日光が入り心地よい雰囲気を醸し出します。旧所在地である大浦天主堂横の祈念坂沿いにあった頃は母屋のほか風呂、トイレ、和室もありましたが、移築の際、洋風の意匠を残す部分のみが移築されました。

イギリス人ロバート・ネール・ウォーカーが、息子とともに明治10年代から約70年間住んでいた家。ウォーカーは、日本郵船高千穂丸の船長を務めた後、1898(明治31)年に、R・N・ウォーカー商会を設立。日本で最初の本格的清涼飲料水を作る。

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