コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

九頭龍社と奥社(戸隠神社五社④)~長野県長野市戸隠

2021-11-30 05:54:09 | 神社・仏閣・教会

20210年10月05日 長野県

九頭龍社と奥社(戸隠神社五社)

長野県長野市戸隠

▼随神門

鳥居と奥社を結ぶ参道の中ほどにある。茅葺き屋根が時代を感じさせる朱塗りの門

参道の中程にある随神門をくぐり進むと、両側に樹齢約400年の杉並木が続く

▼九頭龍社

奥社本殿左にあり、戸隠神社五社の中で最古の歴史を持つ戸隠の地主神。生命の源、水を司る九頭龍大神は、古来より雨乞いの神、虫歯・縁結びの神として特別な信仰を集めています。五社の一つ

▼奥社

天照大御神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力で岩戸を開いた天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を御祭神として祀る戸隠神社の御本社。

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戸隠神社(五社巡り)など③ 九頭龍社と奥社

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中社(戸隠神社五社③)~長野県長野市戸隠

2021-11-29 05:31:19 | 神社・仏閣・教会

20210年10月05日 長野県

中社(戸隠神社五社)

長野県長野市戸隠

天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)が御祭神。境内には樹齢800年あまりの三本杉がある。

▼中社の納経供養塔

神前形の灯篭を型どった石造納経供養塔。釈迦と多宝の二仏と銅製の経筒とが納められていた。廃仏毀釈で明治20年移転された。

▼中社の滝

 

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戸隠神社(五社巡り)など② (火之御子社⇒中社)

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火之御子社(戸隠神社五社②)~長野県長野市戸隠

2021-11-28 05:30:51 | 神社・仏閣・教会

20210年10月05日 長野県

火之御子社(戸隠神社五社②)

 

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戸隠神社(五社巡り)など② (火之御子社⇒中社)

 

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宝光社(戸隠神社五社①)~長野県長野市戸隠

2021-11-27 05:32:17 | 神社・仏閣・教会

20210年10月05日 長野県

宝光社(戸隠神社五社)

長野県長野市戸隠

270余段の石段の上に建つ荘厳な社殿は、戸隠神社五社の中で最古の江戸末期建築。宮彫師北村喜代松らによる拝殿の彫刻が見事。御祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、家内安全さらには女性や子供の守り神として御神徳があります。

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戸隠神社(五社巡り)など①(宝光社)

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小布施(&長野電鉄)にて~長野県小布施町

2021-11-26 05:30:56 | 町並み

2021年11月4日 長野県

小布施(&長野電鉄)にて

長野県小布施町

小布施といえば和菓子ですね~

松代巡りを終え、少しばかり時間があったので小布施を訪れてみました。

観光客が頻繁に出入りしているので、当方も入店してみました。

お土産として栗羊羹、帰路の鉄道内での夕食として、栗おこわを購入

☆☆☆☆☆☆☆☆

長野電鉄

長野駅 - 須坂駅 - 信州中野駅 - 湯田中駅間を長野線

屋代駅 - 須坂駅間を屋代線

「スノーモンキー」で小布施駅に向かう

▼長野駅にて

▼小布施駅にて

▲「ながでん電車の広場」に展示されている2000系

ゆけむり号

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松代の町並み~長野県長野市松代町

2021-11-25 05:48:30 | 町並み

2021年11月4日 長野県

松代の町並み

長野県長野市松代町

真田信之の松代城入城によって、松代は松代藩真田十万石の城下町として栄えますが、江戸中期以降は諸藩同様に財政難に苦しみます。さらには真田氏直系の家系も途絶えますが、松平定信の次男である幸貫を8代藩主に迎えると、その幸貫は江戸幕府老中という要職を兼任し、幕末の巨人・佐久間象山を登用し、藩校の再興を図るなど藩政の立て直しに尽力します。そのような努力もあって、真田松代藩は明治維新まで存続しました。

▼旧松代駅

▼松代城(海津城)

▼真田宝物館

▼真田邸

▼松代藩文武学校

文学所

▼槍術所

▼弓術所

▼旧白井家表門 長野市指定文化財

この表門は、もと表柴町に建っていましたが、平成12年に現在地に移築復元しました。建築年代は、松代藩文書などから弘化3年(1846)であることがわかりました。長大な間口に対して、屋根を低くおさえ、正面は間口の左右に出窓と与力(よりき)窓のみの単純・構造で意匠性が秀抜です。松代藩中級武士の代表的な表門として、旧松代城下の面影を今に伝える貴重なものです。

 

▼真田勘解由家 長野市文化財

非公開

松代城下武家町の北東角地に敷地を構える。敷地中央に建つ木造つし2階建,寄棟造,桟瓦葺で,北面中央に入母屋造の玄関がつく。桁行11間,梁間4間で,東を土間とし,座敷12.5畳を中心とした居室の周囲に縁が巡る。上級武家住宅の風格を示す遺構である。

▼旧樋口家住宅 長野市文化財

江戸時代の樋口家住宅は、他の藩士たちの住宅と同様、一種の公舎でした。敷地のほぼ中央には泉水路が東西に流れ、敷地の南側は、現在は雑木林と竹林、庭園ですが、樋口家の時代は畑として使用されていました。

▼旧横田家住宅(重要文化財)

この住宅は他の藩士宅と同様、一種の公舎で、横田家が現在地に移った時期は18世紀末である。主屋は、寛政6年(1794年)表門は天保13年(1842年)に建てられた。隠居屋は、文政3年(1820年)頃移築されたものと推定される。

▼寺町商家(旧金箱家)県文化財

▲内蔵

▼前島家住宅

前島家は、同家所蔵の系図によると、初代民部佐衛門一宗以来、上田・松代で代々真田家に仕えており、禄高は江戸中期に300石、幕末には200石であった。主屋前面の池や、土蔵と三社を配した屋敷地は、江戸時代の武家屋敷景観を良好に保持しており、貴重である。

▼旧松代藩鐘楼

▼矢沢家の表門 長野市指定重要文化財

表門は江戸時代後期の上級武家屋敷の遺構として貴重な事から昭和42年(1967)に長野市指定重要文化財に指定されています。

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矢沢家の表門~長野県長野市松代町松代

2021-11-24 04:41:05 | 長屋門など

2021年11月4日 長野県

矢沢家の表門 長野市指定重要文化財

長野県長野市松代町松代

矢沢家は真田家代々の筆頭家老の家柄。現在の表門は寛政4年(1792)に再建され入母屋、瓦葺きの長屋門形式、武者窓、潜り戸付、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え、門扉左右に同心部屋を配置し、屋根の鬼瓦や破風には真田家と縁があるものに許される六連銭が施されています。表門は江戸時代後期の上級武家屋敷の遺構として貴重な事から昭和42年(1967)に長野市指定重要文化財に指定されています。

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旧松代藩鐘楼~長野県長野市松代町松代

2021-11-23 05:34:08 | その他

2021年11月4日 長野県

旧松代藩鐘楼

長野県長野市松代町松代

現在の鐘楼は1801(享和元)年に再建され、2012年に修復されたもの。市の文化財(建造物)に指定されています。1849(嘉永2)年に佐久間象山が電信実験を成功させた場所とも言われており、近くに「日本電信発祥之地」の碑が建てられています。なお鐘は太平洋戦争で供出したため、現在の鐘は1991(平成3)年に設置された4代目となります。

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前島家住宅(武家屋敷)~長野県長野市松代町松代

2021-11-22 05:29:13 | 建築物(洋館以外)

2021年11月4日 長野県

前島家住宅

長野県長野市松代町松代

前島家は、同家所蔵の系図によると、初代民部佐衛門一宗以来、上田・松代で代々真田家に仕えており、禄高は江戸中期に300石、幕末には200石であった。
 この屋敷地は、真田家の松代入封の際に拝領したと伝えられており、正徳年間以後の城下町絵図でも、前島家(前嶋家)の名前を確認することができる。現在の敷地は、幕末の屋敷地(763坪)の約半分ではあるが、敷地内に主屋、土蔵、三社、庭園が現存している。現存する建物は、幕末期および昭和の修理によって改変を受けているが、主屋前面の池や、土蔵と三社を配した屋敷地は、江戸時代の武家屋敷景観を良好に保持しており、貴重である。

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寺町商家(旧金箱家)県文化財~長野県長野市松代町松代

2021-11-21 05:30:45 | 建築物(洋館以外)

2021年11月4日 長野県

寺町商家(旧金箱家)県文化財

長野県長野市松代町松代

寺町商家(旧金箱家住宅)は、真田十万石の城下町である松代において、江戸末期から昭和初期まで質屋等を営んでいた商家・金箱家の旧宅です。
敷地内には、明治から大正までの商家の営みを伝える歴史的建造物と、泉水路と池をもつ庭園が現存しており、松代における明治期を中心とした豊かな商家の暮らしぶりを伝える貴重な屋敷として、2012年に長野市の有形文化財に指定されました。

▼内蔵

ここでは飲食ができ、家人のすすめもあり、杏子の炊き込みご飯を注文

杏子のほのかな匂いがするご飯は美味でありました。(人生初)

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旧横田家住宅(重要文化財)~長野県長野市松代町松代

2021-11-20 06:00:44 | 建築物(洋館以外)

2021年11月4日 長野県

旧横田家住宅 重要文化財

長野県長野市松代町松代

旧松代藩士横田家は、禄高150石の中級武士で郡奉行などを努めた家である。最後の甚五左衛門は表御用人であった。この住宅は他の藩士宅と同様、一種の公舎で、横田家が現在地に移った時期は18世紀末である。主屋は、寛政6年(1794年)表門は天保13年(1842年)に建てられた。隠居屋は、文政3年(1820年)頃移築されたものと推定される。
 屋敷地は、間口約40メートル(22間合)面積3340、82平方メートル (約1012坪)道に面して表門、奥に主屋、主屋の東隣りの隠居屋、主屋南西に土蔵が建つ。この屋敷構えは江戸時代末期の様相を伝え、当時の位置に屋敷地及び建物がほぼ完全に保存されている点で貴重である。

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旧樋口家住宅(長野市文化財)~長野県長野市松代町松代

2021-11-19 05:31:29 | 建築物(洋館以外)

2021年11月4日 長野県

旧樋口家住宅 長野市文化財

長野県長野市松代町松代

江戸時代の樋口家住宅は、他の藩士たちの住宅と同様、一種の公舎でした。敷地のほぼ中央には泉水路が東西に流れ、敷地の南側は、現在は雑木林と竹林、庭園ですが、樋口家の時代は畑として使用されていました。一方、北側には主屋を中心とした建物があり、
現在は主屋、土蔵、長屋、屋敷神の祠、表門、土塀、板塀がありますが、表門については、移築されてきたものといわれています。このうち、主屋、土蔵、長屋の3棟が、長野市の文化財(建造物)に指定されており、中でも、主屋と土蔵は建築年代がわかります。

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旧白井家表門(長野市指定文化財)~長野県長野市松代町

2021-11-18 05:35:51 | 長屋門など

2021年11月4日 長野県

旧白井家表門 長野市指定文化財

長野県長野市松代町

この表門は、もと表柴町に建っていましたが、平成12年に現在地に移築復元しました。建築年代は、松代藩文書などから弘化3年(1846)であることがわかりました。長大な間口に対して、屋根を低くおさえ、正面は間口の左右に出窓と与力(よりき)窓のみの単純・構造で意匠性が秀抜です。松代藩中級武士の代表的な表門として、旧松代城下の面影を今に伝える貴重なものです。

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松代藩文武学校~長野市松代町松代

2021-11-17 05:57:59 | 建築物(洋館以外)

2021年11月4日 長野県

松代藩文武学校

長野市松代町松代

文武を奨励した8代松代藩主・真田幸貫により発案、9代藩主真田幸教の時に学問と武道の学び舎として安政2(1855)年に開校。質実な藩の気風がうかがえるたたずまいで、西洋の軍学なども教える先進的な教育が行われたそうです。

▼柔術所

▼剣術所

梁が見事

▼東序

軍学を学んだ所

▼西序

漢方医学・西洋医学を学んだ所

▼文学所

▼台所

▲当主の間 シンプルだね~

▼槍術所

▼弓術所

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cosophantom

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真田邸~長野県長野市松代町松代

2021-11-16 05:30:19 | 建築物(洋館以外)

2021年11月4日 長野県

真田邸

長野県長野市松代町松代

江戸時代末期(元治元年=1864年)に、松代藩9代藩主 真田幸教が当初 義母お貞の方(貞松院)の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は、真田家の私宅となりました。

敷地内には主屋(御殿)と表門、7棟の土蔵などの附属施設に加え、庭園が一体のものとして残されており、全国でも少ない御殿建築の遺構です。

 

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