コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

旧三菱第二ドックハウス2023~ 長崎県長崎市南山手町

2023-05-31 05:54:49 | 洋館

2023年5月9日 長崎県

旧三菱第二ドックハウス2023

長崎県長崎市南山手町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

旧三菱第2ドックハウスは1896年(明治29)、三菱造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎です。「ドック」は造船所の主要施設で、船の建造や修理を担うところです。
 建築当初は「第2ドック」に隣接していたため「第2ドックハウス」という名称でしたが、1965年(昭和40)に立神に新しく第1ドックと第2ドックが建設されたのを機に、これまでの「第2ドック」の名称を「第4ドック」とし、隣接していた建物も「第4ドックハウス」と改称しました。その後、建物は第4ドックが閉渠する1972年(昭和47)まで同造船所で使用されたのち、建築当初の「第2ドックハウス」名称に戻し、グラバー園へ移築されました。

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大浦天主堂(国宝)2023~ 長崎県長崎市南山手町

2023-05-29 05:59:53 | 神社・仏閣・教会

2023年5月9日 長崎県

大浦天主堂(国宝)

長崎県長崎市南山手町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

大浦天主堂は、幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に、在留外国人のために建設された中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、現存するものでは国内最古となります。

聖堂内を飾るステンドグラスの中には、約100年前のものもあります。また、建立直前の1862年に聖人に列せられた日本二十六聖人に捧げられた教会であり、天主堂の正面は殉教の地である西坂に向けて建てられています。
設計指導者はフランス人宣教師のフューレとプティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別されました。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となりました。1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されています。

1933年に国宝となりましたが、原爆による損傷の修復が完了した後、現存する日本最古の教会建築として1953年に再度国宝に指定されました。

敷地内には旧羅典神学校、旧長崎大司教館が建てられている。

image

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旧長崎税関下り松派出所(長崎市べっ甲工芸館)重要文化財~長崎県長崎市松が枝町

2023-05-27 05:57:05 | 洋館

2023年5月9日 長崎県

旧長崎税関下り松派出所(長崎市べっ甲工芸館)重要文化財

長崎県長崎市松が枝町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

長崎港は鎖国時代にも我が国唯一の外国との窓口として開かれていたが、開国後も貿易港として重要な位置を占め、税関が置かれた。この派出所の建物は明治31年(1898)に新築された。庁舎は、正面を海に向けて建つ煉瓦造り、平屋建の建物で、正面両端に三角破風(はふ)を見せた端正な意匠になっている。内部は検査場・倉庫・事務所等から成る。建物の後方には便所があって渡り廊下でつながり、敷地は煉瓦塀で囲まれている。
小規模であるが、よくまとまった建物で、附属の便所、敷地を囲む煉瓦塀等、明治時代の税関施設の状況をよく伝えており、資料的価値が高いだけでなく、海岸通りの景観上も重要な役割を持つ。

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旧香港上海銀行長崎支店(重要文化財)~長崎県長崎市松ヶ枝町

2023-05-26 05:57:11 | 洋館

2023年5月9日 長崎県

旧香港上海銀行長崎支店(重要文化財)

長崎県長崎市松ヶ枝町

長崎市南山手(重要伝統的建造物群保存地区)

香港上海銀行は、明治二十五年長崎に支店を開設した。現在の社屋は下田菊太郎の設計によって明治三十七年に完成した。この支店は昭和六年に閉鎖された後、警察関係の庁舎として用いられ、その後、長崎市立歴史民俗資料館になった。
 建物は煉瓦造、三階建であるが、前面は石造とし、正面に特に意をもちい、一階部分をアーケードとして出入口を設け、二、三階部分を通してコリント式の円柱を建てた大オーダーとし、上に切妻破風をあげ、正面のデザインをこらしている。
 旧香港上海銀行長崎支店は、銀行建築として、重厚で端正な意匠になっており、長崎の海岸通りに建つ規模が大きい建物として欠かせない存在である。

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長崎散歩②(シーサイド)~長崎県長崎市

2023-05-25 05:54:50 | 町並み

2023年5月9日 長崎県

長崎散歩②(シーサイド)@早朝

長崎県長崎市

▼ヴィーナスウイング 長崎女神大橋 2005年完成 橋長1289m

▼長崎市べっ甲工芸館

▼旧香港上海銀行長崎支店

▼四海樓(中華料理店)

今日のランチはここ

▼旧長崎英国領事館

安政5年(1858)、諸外国との修好通商条約が結ばれた後、長崎は開港場として自由貿易を開始し、外交事務が始められた。この建物は英国領事館として、上海の英国技師ウィリアム・コーワンの設計に基づき、長崎市大浦町の後藤亀太郎が施工、明治41年(1908)に完成した。

現在改修工事中でした。残念

▼長崎市恐竜博物館のモニュメント

でも、ここから23km^^

▼OHー6Jヘリコプター(自衛隊長崎協力本部 長崎防衛支局)

▼出島

▼文明堂総本店(カステラ)

(注)東京の文明堂とは別会社

▼何かの遺構

▼JR九州ホテル長崎にて

▼ホテルEVからの長崎駅方向を撮影。

▼2019年3月撮影 同場所から

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長崎散歩①(長崎駅⇒中町通り⇒筑後町)~長崎県長崎市

2023-05-23 08:17:42 | 町並み

2023年5月8日 長崎県

長崎散歩①(長崎駅⇒中町通り⇒筑後町)

長崎県長崎市

前回ここを訪れたのは西九州新幹線開通前の2019年。駅前(東口?)の様子。写真中央の白い屋根が新しい長崎駅。駅前は改修工事中でした。

▼駅近のJR九州ホテル長崎は以前のまま。以前は駅直結でしたが、今は駅とホテルの間に商業施設のビルが建築中でした。

▼歩道橋からの路面電車は以前のまま。

▼中町通りを抜け 長崎歴史文化博物館へ

▼中町カトリック教会

▼西勝寺

▼名物栗饅頭 名物なら食べてみるか。

▼長崎歴史文化博物館

▼聖福寺(重要文化財4棟)

▼福済寺(万国霊廟長崎観音)

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福済寺(万国霊廟長崎観音)2023~長崎県長崎市筑後町

2023-05-21 05:53:22 | 神社・仏閣・教会

2023年5月8日 長崎県

福済寺(万国霊廟長崎観音)2023

長崎県長崎市筑後町

福済寺は、長崎の唐寺のなかでも大きな寺院で国宝にも指定されていましたが、昭和20年(1945年)の原爆投下により焼失してしまいました。 現在は、かつての本堂が建っていた跡に『万国霊廟長崎観音』という観音像が建てられています。 山あいに突如現れる、亀の上に立つ巨大な観音様の像は強烈なインパクトがあります。

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聖福寺(重要文化財4棟)~長崎県長崎市玉園町

2023-05-19 05:57:00 | 神社・仏閣・教会

2023年5月8日 長崎県

聖福寺(重要文化財4棟)

長崎県長崎市玉園町

長崎県長崎市玉園町にある黄檗宗(おうばくしゅう)の寺、聖福寺。日本に黄檗宗を伝えた隠元の孫弟子・鉄心道胖(てつしんどうはん)が、長崎奉行、長崎の華僑たちの支援を受け、延宝5年(1677年)に開山しています。江戸時代中期築の大雄宝殿(本堂)、天王殿、鐘楼、三門は国の重要文化財に指定。

▼惜字亭(市指定有形文化財)

経文その他、 寺内の不要文書類を焼却するための炉で惜字亭という名称はたいへん奥ゆかしい。 煉瓦造り漆喰塗りの六角形で、 築造は慶応2年(1866)7月とされている。

▼天王殿(重要文化財)

中央に弥勒菩薩(布袋)と韋駄天を背中合わせに祀り、左右を通り抜けにした。仏殿と門を兼用する独特の形式を持つ。中門・弥勒門・護法堂などの別名がある。

▼布袋様

▼鐘楼(重要文化財)

この鐘楼は、堺と長崎の棟梁の合作で、享保元年(1716年)に竣工。長崎県下で鐘楼建築では現存する最古のものである。

▼石門

▼??

▼境内の高台から見た長崎市内

※大雄宝殿(重要文化財)は改修工事中。山門(重要文化財)は見逃してしまいました。

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長崎歴史文化博物館~長崎県長崎市立山

2023-05-17 06:14:42 | 博物館・資料館等

2023年5月8日 長崎県

 長崎歴史文化博物館

長崎県長崎市立山

江戸時代、長崎奉行所立山役所が置かれていた場所に建物を復元し、現代的な博物館としての機能も共存させたユニークな博物館。近世長崎の歴史文化に関わる古文書や歴史資料など、多数の貴重な資料を一堂に集め、「海外交流史」をテーマとした博物館です。

奉行所の遺構が保存されている。

▼江戸時代の長崎くんちの神輿

※「くんち」とは秋祭りのこと

博物館を見た後、復元された奉行所へ

▼奉行所いえばこれ。お白洲

長崎奉行として遠山左衛門尉景晋がおりましたが、なんと遠山金四郎の父親でした。

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中町カトリック教会~長崎県長崎市中町

2023-05-16 05:54:39 | 神社・仏閣・教会

2023年5月8日 長崎県

中町カトリック教会

長崎県長崎市中町

正式名称は「日本十六聖人教会」。大浦天主堂に次ぐ約120年の歴史をもつ古教会。キリシタン大名大村純忠ゆかりの大村藩蔵屋敷跡に、明治29年(1896)、「西中町教会堂」として建立。当初は大きな尖塔をシンボルとしたロマネスク様式の聖堂だったが、昭和20年(1945)の原爆投下で尖塔と側壁だけに。現聖堂は世界中からの献金をもって礎石、レンガの外壁はそのままに、鉄筋コンクリートの白亜の教会として昭和26年(1951)に再建されたもの。中央尖塔の両脇には2本の小塔が加えられ、天井は筒形ヴォールトになっている。

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博多駅⇒武雄温泉駅⇒長崎駅

2023-05-15 05:55:30 | 鉄道・駅

2023年5月8日

博多駅⇒武雄温泉駅⇒長崎駅

長崎観光のため、東京駅から「のぞみ」に乗車。博多駅からは「特急リレーかもめ」で武雄温泉駅へそして武雄温泉駅で西九州新幹線「かもめ」で長崎駅へ向かう。

「特急リレーかもめ」と西九州新幹線「かもめ」は今回の旅行の楽しみの一つ。

博多駅到着直前「のぞみ」内での車内放送で定刻の3分遅れで博多駅に到着するので、「特急リレーかもめ」に乗車の方はお急ぎくださいとのこと。少々焦る。「のぞみ」は15番線に到着で「特急リレーかもめ」は4番線発車で急いで4番線へ向かう。

西九州新幹線(武雄温泉-長崎間)は、2022年9月23日に開業。

「特急リレーかもめ」は885系、787系、で運行

▼「のぞみ」は3分遅れで博多駅に到着。「特急リレーかもめ」の発車時間までにはあまり時間がない。

博多駅構内の様子を見る間もなく急いで4番線へ 

▼「特急リレーかもめ」は既に入線しており、駆け込むようにして乗車。間に合いました。。。

「特急リレーかもめ」は以前「特急かもめ」で使われていたもので「黒いかもめ」呼ばれていたもの(787系)。当方は「黒いかもめ」を見るとダースベイダーを思い出す。(^^)

以前の「特急かもめ」は「黒いかもめ」と「白いかもめ」がありましたが、「白いかもめ」はたぶん「特急リレーかもめ」885系として運行されている模様。

「特急リレーかもめ」は博多駅~武雄温泉駅間を運行

▼武雄温泉到着

西九州新幹線「かもめ」への乗り換えは対面乗換方式

右が「特急リレーかもめ」。左が西九州新幹線「かもめ」。

長崎駅到着!!

▼屋根が透明で自然光が入り明るい。

cosmophantom

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長崎へ2023

2023-05-13 05:58:17 | 旅行

2023年5月8日 長崎県

長崎へ2023

社会情勢が落ち着き始めた、5月8日、3泊4日で長崎観光に向かう。(鉄道利用)

メンバーは!同期入社の5人で、飲み会や旅行などを楽しんでいる個性的な仲間たち。今回は長崎が初めての者がいるので、定番の観光スポットを巡る旅です。

入社時、新入社員の代表を務めたK氏。今はイジラレ役で本人はイジラレ役の立場が嬉しそうである。

イジリ役のN氏はツッコミの天才!イジラレ役のK氏との絡みは面白すぎ!

I氏はクールであり、このメンバーは彼に一目を置いており、結論がでない事柄が彼の一言で決まることがしばしばある。

T氏はこのメンバーでのアイドル!個々の観光スポットにあまり興味を示さず、旅行しているという雰囲気が好きなようである。

当方は添乗員役ではあるが、ズッコケが多く役に立たないことが多すぎである。

鉄道での移動は長時間。東京駅から「のぞみ」に乗車し博多駅へ、博多駅で「特急リレーかもめ」に乗り換え、さらに武雄温泉で西九州新幹線「かもめ」乗り換え長崎に向かった。移動時間は約7時間。

とりあえずの楽しみは「特急リレーかもめ」と西九州新幹線「かもめ」と新しくなった長崎駅。続く

※写真の回り込みにalign="left" を使ってみました。

align="left" cosmophantom

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福岡城(100名城)②(天守台など)~福岡県福岡市中央区城内

2023-05-12 05:52:28 | 100名城

2017年12月27日 【一人でゆく九州2017】  福岡県

福岡城(100名城)②(天守台など)

福岡県福岡市中央区城内

     

▼多聞櫓(修復工事中)

 

      

▼修復中の多聞櫓
     

 天守台

  

      

▼祈念櫓

祈念櫓は、本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、棟札によると万延元年(1860)3月に起工し、同年10月に竣工したものである。

棟を北西から東北に通し、鯱が上げられ、丸瓦に黒田家の藤巴が刻まれる。壁は1、2階とも押縁縦板張りで、のちの改築。ただし、1、2階の窓格子は白漆喰塗り仕上げで当時の様子をとどめている。1階には5畳半の茶室を付加している。
 

   

東御門跡

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福岡城(100名城)①(下の橋大手門と潮見櫓)

2018-07-15 05:52:42

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福岡城(100名城)①(下の橋大手門と潮見櫓)~福岡県福岡市中央区城内

2023-05-08 05:57:04 | 100名城

2017年12月27日 【一人でゆく九州2017】  福岡県

福岡城①(下の橋大手門と潮見櫓) 100名城

福岡県福岡市中央区城内

豊前国中津12万石から筑前国福岡52万石に移封された初代藩主黒田長政が、慶長6年(1601)から7年がかりで築城した城で、舞鶴城ともいう。平山城で、天守閣はなく大中小の各天守台と47の櫓があったという。本丸、二の丸、東二の丸、南二の丸、三の丸で構成された内城部分で413900㎡、城下の武家屋敷まで含めば2460000㎡もの広大な規模を持つ城郭である。
 現在、内城を中心とした48万㎡が国指定史跡である。また、多聞櫓(重要文化財)、伝潮見櫓(県指定建造物)、下の橋大手門(同左)、祈念櫓(同左)、母里太兵衛邸長屋門(同左)、名島門(市指定建造物)が保存され、大天守台は展望台になっている。北側の堀は一部埋め立てられていたが、地下鉄工事により調査され、その一部(堀外壁石垣)が保存公開されている。

下の橋大手門と潮見櫓

  

   

 

▼名島門
   

▼黒田如水隠居地(三ノ丸御鷹屋敷)
  

▼名島門

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福岡城(100名城)②(天守台など)

 

2018-07-14 06:13:57 cosmophantom

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西南学院大学博物館(ドージャー記念館)・~福岡県福岡市早良区西新

2023-05-07 05:55:16 | 洋館

2017年12月27日 【一人でゆく九州2017】  福岡県

西南学院大学博物館(ドージャー記念館)

福岡県福岡市早良区西新

西南学院大学博物館(ドージャー記念館)は、大正9年(1918)に着工、大正10年(1921)に完成した。設計は、明治38年(1905)に来日し、昭和16年(1941)に帰化、昭和39年(1964)に永眠したアメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリーズである。
 レンガ積みの外壁(イギリス積み、正確にはオランダ積み)、左右対称の建物形状、窓周りに装飾を持つ重量感あるデザインを特徴としたジョージアン・コロニアル・スタイルという建築様式で、間口24m、奥行き15m、軒高10.4m、棟高15m。

    

2018-07-13 06:12:10

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