街道ウォーク<旧中山道<関ヶ原宿(駅)~高宮宿(駅)
2013年6月7日 20回目
柏原の様子4
▲柏原宿本陣、南部家「風雅の道」▼
▲柏原宿本陣跡▼
本陣は、大名・幕府役人・宮家・公家・高僧他貴人が利用する公的休泊施設である。柏原宿は江戸時代を通し南部家が本陣役を務めている。間口はこの家の両隣を合せた広さで、屋敷は五百二十六坪、建坪は百三十八坪あった。建物は皇女和宮宿泊の時、新築されてと云われる。明治になり、柏原小学校前身の開文学校はここに創設された。その後建物は明治中期に岐阜県垂井の南宮神社宮司宅へ移築された。
▲高札場(札の辻)跡▼
高札場とは、幕府のお触書を板札にして、高く掲げた場所を云う。高札は江戸中期以降幕末まで、正徳大高札六枚・明和高札一枚・その時の両隣宿までの運賃添高札一枚、計八枚が懸かっていた。高札場は、道沿いの長さ4.8m、高さ0.91mの石垣を築き、その上に高さ3.33mの高札懸けの建物があった。なお柏原宿には、出町(小字)長沢にも小さい高札場があった。
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