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1657億の盛土工事こそが最大の震災遺構

2024-04-15 00:01:59 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 小友BRTバス停を発車したバスから、色づき始めた田圃が見えました。

 

 あの日から13年、塩水に浸った田は、どれ程の歳月をかけて復活したのでしょうか。


 そして思い起こすのは、放射能に汚染された福島の農地です。

 


 陸前高田市を17mの津波が襲い、街は壊滅し、1700人以上が犠牲となりました。


 バスの窓から穏やかな広田湾と新しい防潮堤が見えます。


 震災前は5.5mだった防潮堤は2倍以上の12.5mに再整備されたそうです。

 


 小友を過ぎるとバスは一般道を走り、国道沿いに、見覚えのある建物が視野に入ってきました。


 震災遺構の下宿定住促進住宅です。

 

 5階建ての市営住宅でしたが、津波は4階部分まで水没させ、5階の床面まで押し寄せたそうです。

 


  バスは高田病院や高田高校などを経て陸前高田BRTバス停へ向かいました。

 


 すぐにバスは陸前高田BRTバス停を出発し、一般道を走りましたが、海に近いこの辺りに建物はなく、あるとすれば震災遺構だけです。


 そして右手奥に気仙川水門が見えていました。

 


 実は、2015年に三陸海岸を訪ねた時、前高田市の様子を撮影しています。


 国道横に、巨大なベルトコンベアがコンビナートのように連なり、コンベアの先端に土を運んでいるように見えました。

 

2015年8月10日


 盛り土作業だろうか、とは思ったのですが、初めて目にした時、スケール感が巨大過ぎて、何をしているのか見当も付きませんでした。

 

2015年8月10日


 しかし今回、ネット検索で確認すると、高台の宅地造成作業で発生する土砂を活かした、市街地のかさ上げ盛土工事だったのです。


 1657億の経費と10年の歳月を経て、該当市街地に東京ドーム9個分の土を盛り、海抜10mの街に造り変える工事です。

 (独り言ですが、海抜は10mで足りるのでしょうか?)


 そして私は、陸前高田市のこの工事こそ間違いなく、数百年後の後世に語り伝えられる震災遺構になると思います。


 陸前高田BRTバス停を出たバスは、一般道を右左折しながら市内を走り続けました。


 道路脇の田で稲穂が色づき始めていました。

 


 バスは奇跡の一本松BRTバス停を過ぎると、

 


 左手に奇跡の一本松が見えてきました。

 


 気仙川を渡ると、河口に築かれた堰柱高30.6m、幅211mの水門が見えました。

 


 気仙川の横に、震災遺構として保存された旧気仙中学校が見えます。


 この中学校は津波が堤防を越えて数分後に屋上近くまでが水没しましたが、その前に校校生徒が高台に避難し、犠牲者はなく、全員が無事だったそうです。

 


 バスは新設された大船渡線BRTバス停を過ぎ、

 


 広田湾を見下ろす丘を越えて、

 


 岩手県の陸前高田市から宮城県の気仙沼市に入りました。


 気仙沼市に入るとすぐに唐桑町港が見えました。


 唐桑町港は、陸前高田市と同じく広田湾に位置しますが、港の東に位置する真崎が防波堤の役を担ったので、新たに防潮堤が築かれた様子は見られません。


 ちょっとした地形の差が、津波被害の大小に影響する様です。

 


 そしてBRTバスは唐桑町港付近の唐桑大沢バス停等を経て、

 


 出発から84分後の17時14分、BRT気仙沼駅に終着しました。

 

 

 

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