岩手船越駅を発車した列車の窓に船越湾が見えてきました。
東日本大震災時の津波遡上高は、巾着型の山田湾側が9.7mに対し、太平洋に湾口を広げる形の船越湾側は27mだったそうです。
しかし、船越地区は過去の津波から教訓を得て、低地に家を建てることを避けていたので、他地域よりも被害は少なめだったそうです。
列車は左手に、穏やかな細波が寄せる船越湾を見ながら南下します。
線路は、海岸から高さ40~50m程の場所を、国道45号と並走しながら大槌町に入り、
青い海の向こうに船越半島を望む、浪板海岸駅に停車しました。
浪板海岸は寄せる波はあっても返す波がない「片寄せ波」の海岸で、東北有数のサーフィンのメッカとして知られます。
列車は浪板海岸駅を出ると、4分後に吉里吉里駅に停車しました。
吉里吉里駅は、井上ひさしの小説『吉里吉里人』がベストセラーとなった1981(昭和56)年に、一大ブームを巻き起こしました。
今はそのブームも去り、駅は静かな佇まいに包まれていました。
「吉里吉里」の名は、吉里吉里浜の砂踏む音が由来とされますが、アイヌ語では「白い砂」を意味するそうで、名の由来は主張が分かれるようです。
列車は吉里吉里半島の裾を横切り、車窓に大槌(おおつち)湾が見えてきました。
列車が大槌駅に停まると、今まで見てきた駅前の光景と同様、海が護岸に隠される風景が現れました。
それでも一応、どんな駅かと思い「大槌駅」を検索すると、三陸鉄道のHPに「大槌町のシンボルひょうたん島(蓬莱島)をイメージして作られた屋根が特徴の駅舎で」と記されています。
ところで「ひょうたん島」ってあれかな? と思い調べると、やっぱりそうでした。
蓬莱島は、今から60年前の1964年から放送されたNHKのテレビ番組「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島です。
ということは、あのドン・ガバチョが住んでいた島なのです。
そんな、ひょうたん島(蓬莱島)は、防波堤で陸地と繋がっているそうです。
大槌駅を出るとすぐに小鎚(こづち)川を渡りました。
河口に14.5mの小鎚川水門が築かれていました。
大槌湾の津波痕跡高は15.1mだったそうです。
鵜住居川河口付近の海岸でも、防潮堤が夏の陽射しに照らされていました。
列車が進むと、車窓に広い空き地が広がりした。
海岸に新しい防潮堤を築きながら、東日本大震災と同規模の地震時には、堤を超える津波の襲来を想定し、低い土地に緑地公園やスポーツ施設などの整備を予定しているそうです。
大槌駅を発車した列車は暫くすると鵜住居川(うのすまいがわ)を渡りました。
名前だけで、どんな川か良く分かります。
鵜が住む川であるのなら、きっと魚影が濃いに違いありません。
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