中国紀行~周庄(荘)篇②~
狭い路地は中国各地から訪れた観光客で溢れ、多く商店が並ぶ通りや
旧跡は大変混み合っていて、人をかき分けて進むという状態でした。
「ゆっくり散策」と思ったのは甘かったです。
水路の傍らに並ぶ商店の様子
おまけににわか雨が降ってきて、一段と蒸し暑くなってきました。
ガイドの後ろについて、雨宿りも兼ねて周庄の発展に最も大きな貢献をした
沈万三の子孫が住んでいた「沈亭」に入りました。
「沈停」の入口は混み合っていました
余談になりますが、「沈万三」はもともと「瀋万三」と書かれていましたが、
「瀋」の字は文化大革命で簡体字が生まれて以来「沈」と書くようになったそうです。
「沈亭」は間口が狭いのですが、奥行きが相当にある建物で、大小100以上の部屋があります。
徳島の人には名前に親しみを感じました
間口が狭く奥行きが長いという造りは京都の町家と似ています。
家の中は押し合いへし合いで、人いきれでむせ返るような空気でしたが、
中国の歴史を少しでも肌で感じようと最後まで見学しました。
ここが台所です 懐かしい釜戸が並んでいます
坪庭のような空間を見つけました
「沈亭」を出た時には出発時間が迫っていましたが、商店が並ぶ道を少し歩きました
。残念だったのは、水路の水の汚染が進んでいることでした。
多分、観光客の多さが原因なのかも知れません。
写真では分かりませんが水の汚染は進んでいます
また、周庄の名物料理は、豚肉の脚の醤油煮込みの万三蹄です。
名前の由来は沈万三がこの料理を大変好んで食べたことからだそうです。
どことなく「くいだおれ太郎」似ている沈万三の像
周庄のあちこちの店で売られています。
この日は日程が過密で周庄に着いた頃はかなり疲れており見学は正直重かったのですが、
中国の歴史を感じることが出来た周庄は思っていた以上に素晴らしい所でした。
「髭ダンディー記」