「壮生」歳時記

~NPO法人壮生の交遊録~

中国紀行

2011-09-27 09:19:28 | 日記

中国紀行~周庄(荘)篇②~

 

狭い路地は中国各地から訪れた観光客で溢れ、多く商店が並ぶ通りや

旧跡は大変混み合っていて、人をかき分けて進むという状態でした。

「ゆっくり散策」と思ったのは甘かったです。

水路の傍らに並ぶ商店の様子 

 

おまけににわか雨が降ってきて、一段と蒸し暑くなってきました。

ガイドの後ろについて、雨宿りも兼ねて周庄の発展に最も大きな貢献をした

沈万三の子孫が住んでいた「沈亭」に入りました。

「沈停」の入口は混み合っていました 

 

余談になりますが、「沈万三」はもともと「万三」と書かれていましたが、

瀋」の字は文化大革命で簡体字が生まれて以来「沈」と書くようになったそうです。

 「沈亭」は間口が狭いのですが、奥行きが相当にある建物で、大小100以上の部屋があります。

徳島の人には名前に親しみを感じました 

 

間口が狭く奥行きが長いという造りは京都の町家と似ています。

家の中は押し合いへし合いで、人いきれでむせ返るような空気でしたが、

中国の歴史を少しでも肌で感じようと最後まで見学しました。

ここが台所です 懐かしい釜戸が並んでいます

 

坪庭のような空間を見つけました

 

「沈亭」を出た時には出発時間が迫っていましたが、商店が並ぶ道を少し歩きました

。残念だったのは、水路の水の汚染が進んでいることでした。

多分、観光客の多さが原因なのかも知れません。

 

写真では分かりませんが水の汚染は進んでいます 

 

また、周庄の名物料理は、豚肉の脚の醤油煮込みの万三蹄です。

名前の由来は沈万三がこの料理を大変好んで食べたことからだそうです。

どことなく「くいだおれ太郎」似ている沈万三の像 

 

周庄のあちこちの店で売られています。

この日は日程が過密で周庄に着いた頃はかなり疲れており見学は正直重かったのですが、

中国の歴史を感じることが出来た周庄は思っていた以上に素晴らしい所でした。

「髭ダンディー記」

 


中国紀行

2011-09-20 11:05:32 | 日記

中国紀行~周庄(荘)篇①~ 

 

上海の東およそ70kmのところに位置する「周庄(壮)」は

 200年以上前の街並みが、そのまま保存されている風情のある街です。

中国ではこのような街を古鎮と呼ぶそうで水郷古鎮です。

さすが水郷古鎮と言われる風景です

 

中国には「上有天堂、下有蘇杭(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州がある)」と

いう有名な言葉があります。これをもじって「上有天堂、下有蘇杭、中間有一箇周壮

(天上には極楽があり、地上には蘇州、杭州があり、中間には周壮がある)」と

言われることもあるそうです。

縦横にこのような水路が張り巡らされています

 

周庄の中心地にはバスが乗り入れできないため、駐車場から徒歩で

中心地に向かいました。そして、碑坊(村や街の入口にその地域の

発展に大きな足跡残した人を称えて建てられるもの)から周庄古鎮に入りました。

中国各地から来た観光客で賑わう碑坊

 

水郷古鎮と言われるだけあって、縦横に水路が走り、その水路には

数多くの橋が架けられ、水路に面して古色蒼然とした邸宅や倉庫が

建ち並び、邸宅は水路から奥へと広がっていました。

水面に映った橋が円形になっていました

 

細い迷路のような道が続きます

 

典型的な江南水郷のたたずまいを残していることから世界文化遺産に登録されています。

数ある江南水郷の中でも保存状態の良さから「江南第一の水郷」と言われています。

このような風景が至る所で見かけられます

  

蘇州が「東洋のヴェニス」と呼ばれていますが、縦横に走る水路に観光客を乗せた

小舟が行きかう周庄の風景ほうがむしろ「水の都ヴェニス」を彷彿とさせます。

 これが「水の都周庄」と言える一枚です

 

以下次号に続く 「髭ダンディー記


中国紀行

2011-09-13 08:52:18 | 日記

中国紀行~蘇州・寒山寺篇②~

次に向かったのは、個人的にも一番行きたかった「寒山寺」です。

唐代の脱俗的な二人の人物の寒山と拾得の故事で名高い寺で、

日本で言えば京都や奈良にある名高い古刹に匹敵します。

寒山寺は梁代創建の禅宗寺院ですが、度重なる火災に遭い、

現在の建物は清代に再建されたものだそうです。

山寺の傍らにある石橋

 

境内には唐代の詩人張継が詠んだ有名な漢詩「楓橋夜泊」の石碑があります

期待に胸を膨らまし、早速境内へ。最初に目に飛び込んできたのが、

1995年に建てられた高さ52mの五重塔の普明宝塔です。

塔の上の法輪は日本のそれと比べ派手でがっしりしたものでした。

 

日本とは少し趣が異なる寒山寺の五重塔

 

次に寒山と拾得の像が安置されている寒拾殿に入りました。

祀られている像はなんとも楽しげな顔をしていました。

これが寒山(左?)と拾得(右?)の拓本です

 

 

それから、詩人張継が詠んだ有名な七言絶句の「楓橋夜泊」の石碑に行き、

記念撮影をしました。遥か昔の高校時代の漢文の授業が鮮やかに蘇りました。

 かの有名な七言絶句の石碑で記念撮影

  

大雄宝殿、羅漢堂、寒山鐘苑を巡り西側の出入り口の黄色い壁の「照壁墻」から外に出ました。

黄色い壁には「寒山寺」と彫られていました。

黄色い壁の前では多くの見物客が記念撮影中 

 

通常は西側から入るそうです。歌で有名な寒山寺の3代目張継の詩に詠まれた

初代の鐘と明代に鋳造された2代目の鐘はともに失われてしまった。)

 の鐘と1914年に伊藤博文らによって寄贈された鐘をしっかりと見てきました。

除夜の鐘や歌で有名な鐘(3代目だそうです) 

 

次に蘇州での最後の見学場所の「シルク博物館」に向かいました。

そして、そこで見事な職人技を駆使して作るシルク布団の製造工程を見学しました。

堂々とした「シルク博物館」の建物 

 

その後、周庄に向かいました。「髭ダンディー記」

 


中国紀行

2011-09-03 09:33:05 | 日記

中国紀行~蘇州・寒山寺篇①~

  

無錫での日程を終了し、蘇州へ向かうためにバスに乗り込みました。

これが4日間お世話になったバスです

 

蘇州までは距離にして50km弱、45分位です。蘇州は長江(揚子江)の南側にあり、

太湖の東岸に位置しています。年配の人には「蘇州夜曲」で親しまれている街です。

運河による水運が発達していることから「東洋のヴェニス」と呼ばれているそうです。

蘇州市内に入ると道沿いには雑然とした個人商店が並び中国らしさを感じました。

この風景が個人的に想像していた中国にぴったりです

 

道路は車で混雑しているうえに交通ルールを無視した走行のために無法地帯化していました。

歩行者も信号を無視して、平気で車の行きかう道路を横断しています。

聞きしに勝る光景を目の当たりにしました。

噂に聞いていた中国の交通マナー  人・車入り乱れています

 

最初に「蘭莉園刺繍研究所」を見学しました。

意外に小さかった蘇州刺繍の殿堂の入口です 

 

作業場では女性の職人が気の遠くなるような精密な作業を実演していました。

一つの作品は最初から最後まで一人の人が担当するそうで作品によっては

完成までに何年もかかるそうです。

刺繍の実演を興味深そうに見入る訪問団一行

 

展示ホールには職人が作った写真か絵かと見間違えるような

精緻で色彩豊かな刺繍の作品が並べられていました。

パッと見ると刺繍には見えません よく見ると刺繍です

 

普通、刺繍というと布の裏面は糸がぐちゃぐちゃになっているのですが、

蘇州刺繍の特徴は両面刺繍です。表裏の柄が全く違う刺繍作品を見て、

中国伝統の技術のすごさを思い知らされました。

やはりこの人の刺繍もありました さすが中国です

 

お土産店では、大小の刺繍作品が販売されていましたが、

気に入った作品はどれも高価で手が出ませんでした。

代りに刺繍の入った扇子を買いました。

昼食は敷地内にある蘭莉園酒店で蘇州料理を食べました。

食後は待望の寒山寺です。

以下次号に続く 「髭ダンディー記」