「壮生」歳時記

~NPO法人壮生の交遊録~

忘れられた駅

2010-06-30 10:33:23 | 日記


「坪尻」駅は土讃線の阿波池田駅より高松方面へ3つ目の駅である。
徳島県と香川県の境の、猪ノ鼻峠の下にある谷底の駅で、
周囲を急峻な山々に囲まれた場所にあるため、汽車か徒歩で行くしか方法がない。
この無人の駅は、トンネルとトンネルの間の、猫の額のような狭い平地に、
時間に忘れられたようにひっそりと建っていた。


時空を区切るトンネル

日本に3か所以上はないと言われる秘境の駅で、
JR四国が開設60周年を記念してミステリーツアーを企画、
一躍人気のスポットになり、今では関東はもちろん青森や九州方面から、
若い人や中高年のファンが多く訪れる場所となった。
また此処は勾配が急なためスイッチバック方式が採用される珍しい駅でもある。


珍しい「スイッチバック方式」

駅に降りて帰る汽車を待つ60分間、何もすることがなく、
正に壺の底に居るような、また、1坪の庭を思わせる駅周辺の広さに
「坪尻」とは良くつけた名前だと感心した。


時空に忘れられた坪尻駅

不気味なくらいの静寂の中で思いだした、
昭和38年10月14日~15日にかけて起きた事件は、
映画「13日の金曜日」を思わせるものだった。


多度津方面トンネル

樫尾 何某が、池田町のヒカゲ浄水場管理人一家を斧で惨殺、
女2人、子供2人、男1人の計5人の命を奪い、
1万5千円だったと思う金額を盗み、この地に逃亡、
徳島・香川・愛媛の警察を大動員させたことは、静かに暮らすこの地の人々と、
県警察本部を震撼させた事件だった。


トンネル以外何もない

西村 望の書いた「鬼畜」はその事件を描いたものである。
物音1つしない静寂の中に居て、なぜ急に古い事件を思い出したのか分からない、
山の気が霊魂を呼んだのかも知れない。1つ隣の箸蔵駅は町の賑わいを見せて、
坪尻駅とは別世界のようだ。
あの駅は未だに昔のまま時空に置き忘れられた駅だと思う。
                               SOUSEI-2‘



四国三郎をまたぐ「空海の道」ウォーク③

2010-06-23 14:42:37 | 日記
四国三郎をまたぐ「空海の道」ウォーク③

休憩場所の「川島城公園」で「お接待」を受け、30分ほど休憩し、英気を取り戻し、
11番札所藤井寺を目指し再び歩き始めました。吉野川の堤防を約2km歩き、堤防を
降りたところで、2回目の「お接待」を受けました。今回のウォークを協賛している神
山町の名産「酢橘」を使った冷たい「スダチジュース」で喉を潤しました。

冷たいスダチジュースの「お接待」

接待所の横には、1985年3月に当時の環境庁(現、環境省)が全国各地に選定した「名水百選」に選ばれている「江川の湧水」があります。(徳島県では、この他に「剣山御神水」が
選定されています。)

名水百選「江川の湧水」の源泉

すぐそばを通る徳島本線の踏切を渡り、吉野川市内を約4Km歩
きました。要所々には実行委員会の人たちが立ち、親切に道案内をしてくれました。交
通量の多い国道192号線の信号を渡り、南へ向かいました。11番札所藤井寺までは
あとわずかです。歩を進めて行くと、山麓にある藤井寺のこじんまりした山門が目に飛び込んできました。遂に目的地に着きました。

瀟洒な藤井寺の山門

藤井寺の名前は、「弘法大師が三方を山で囲まれた幽すいな霊地に心ひかれ、堂宇を建立し、自刻の尊像を奉安し、十七日間護摩修法され、堂塔の前に五色の藤を植えられた。」ことに由来しています。山門前の駐車場には、県外からお遍路さんを運んできた観光バスが3台止まっていました。小さい寺には少し不釣合いな感じがしましたが、四国八十八か所巡りの人気を改めて実感しました。参拝記念の御朱印を頂くために納経所に行くと、先ほどの観光バスで訪れたお遍路さんたちの御朱印帳が山積みされていました。自分の番が来るまで約20分間根気強く待ちました。

藤井寺本堂

ここで、時間を大きくロスしたために参拝もそこそこに、ゴール地点の「ひまわり農産市」に急ぎました。20分ほど歩くとゴールの横断幕が見えてきました。

ついにゴールイン

足取りも軽くゴールインしました。時計を見ると12時30分でした。ここで最後の「お接待」のうどんを頂きました。歩き終えた後のうどんの味はまた格別でした。

最後はうどんで「お接待」

多くの人々のおかげでほんとうに楽しいウォークが出来ました。有難うございました。
(髭ダンディー記)

四国三郎をまたぐ「空海の道」ウォーク②

2010-06-16 13:00:27 | 日記
四国三郎をまたぐ「空海の道」ウォーク②

9時に元気よく切幡寺を出発した206人の参加者は、三々五々目的地の11番札所藤井寺を目指しました。「1200年前空海が歩いた頃の自然が残っている四国三郎吉野川のおりなす、自然豊かなへんろ道をたどる」というキャッチフレーズに違わず、道中は大変のどかで田舎の雰囲気があちこちから漂っていました。

思いのままのペースで

その昔、7人の大工さんが切幡寺本堂の切り組みをするために一夜で建立したと言い伝えられている「堂が池大師堂」や粟島神社八幡宮や徳島県最古の寺の「大野寺跡」を通り、吉野川を渡り、吉野川が上流から土砂を運んで形成した巨大な中州の粟島(通称善入寺島)に入りました。善入寺島を東に1.5Km歩いたところに「宝幢寺跡」あります。ここで進行方向を西に変え、善入寺島を横断するかたちで1.7Km歩きました。あちらこちらに農作業の煙がたなびき、時間が止まったかのようなのどかさが漂っていました。

煙たなびく善入寺島

そして、川島潜水橋で再び吉野川を渡り堤防に上がりました。

川島潜水橋


堤防からの眺めは素晴らしく、遥か遠くに見える阿讃山脈の中腹には、出発地点の切幡寺が小さく望めました。

遥か切幡寺を望む

出発してから約7Kmを歩き、休憩場所の「川島城公園」に着いたのは10時30分頃でした。以外に早いペースです。ここで最初の遍路文化の象徴である「お接待」を受けました。田舎饅頭と乾いた喉を潤してくれる冷たい飲物の「お接待」でした。昔から今も「お接待」は続いており、お遍路さんに対する道筋の人々の優しい気持ちを身をもって体験しました。30分程休憩し英気を取り戻し、11番札所藤井寺を目指し再び歩き始めました。

休憩した川島城公園

(以下次号に続く)(髭ダンディー記)

四国三郎をまたぐ「空海の道」ウォーク①

2010-06-09 12:26:23 | 日記
四国三郎をまたぐ「空海の道」ウォーク①

5月16日(日)に阿波市、吉野川市、神山町の共催の「空海をたどるいやしの道」を巡るウォークに参加してきました。コースは2つあり、阿波市の四国霊場第10番札所切幡寺から吉野川市の11番札所の藤井寺までの「1200年前空海が歩いた頃の自然が残っている四国三郎吉野川のおりなす、自然豊かなへんろ道をたどる」平地コースと、吉野川市の11番札所の藤井寺から神山町の第12番札所の焼山寺までの「1200年前空海が歩いた時の自然がそのまま残っている、唯一のへんろ道を歩く」いわゆる「遍路ころがし」の山道コースです。
今回は体力と相談し、とりあえず平地コースに参加しました。来年は「遍路ころがし」コースに挑戦するつもりです。(今から言うと鬼が笑うかもしれませんが)
「愛妻弁当」やお茶などの必需品を愛用のデイバックに詰めて、朝6時30分に我家を車で出発し、一路集合場所の吉野川市役所に向いました。7時30分に主催者が用意したバスに乗り、出発地の四国霊場第10番札所切幡寺向いました。バスに乗った人の多くは見るからに元気が溢れ出てきそうなシニア人たちでした。約30分で切幡寺の駐車場に着きました。ここから約15分歩いて切幡寺の境内に到着しました。

切幡寺山門

境内までには山道や333段の遍路ころがし(?)の勾配のきつい石段がありました。ここで早くも一汗かきました。

遍路ころがし(?)の石段

境内には、すでにやる気満々の顔をした150人ほどの参加者が集まっていました。いつものようにブログ用にデジカメで境内や眼下に吉野川を一望する風景を写真に撮り、納経所で御朱印を頂きました。

吉野川平野の遠望

8時30分から開会式があり、実行委員会の人の挨拶や切幡寺の住職さんの講話を聴きました。

開会式

9時に阿波市観光課長の「号砲一発」ならぬ「号鐘一撞」の合図で206人の参加者はマイペースで目的地の11番札所藤井寺を目指し元気よく出発しました。

いざ出発

(以下次号に続く)(髭ダンディー記)