「壮生」歳時記

~NPO法人壮生の交遊録~

「徳島市再発見ウォーク」

2011-05-30 16:06:35 | 日記

「ウォークラリーinひょうたん島」

 

地元の徳島新聞社主催のウォークラリーに参加してきました。

なぜ「ひょうたん島」なのかというと、徳島市の中心部は南側を新町川、北側を助任川に

囲まれた中州で、上空から見ると、その形が瓢箪のように見えることからです。

新聞社の募集に応募した53人の参加者は「阿波おどり会館」に集合しました。

スタート地点の高張り提灯をイメージした「阿波おどり会館」

 

簡単な開会セレモニーの後、参加者は4班に分かれ、とくしま観光ガイドボランティアの人が

案内人となり最初に阿波初代藩主・蜂須賀至鎮が建立したとされる瑞巌寺に向かいました。

途中に最近移転されたばかりの徳島ゆかりのポルトガル出身の文豪モラエスの銅像があり

ボラティアガイドから移転の経緯やモラエスの人となりを教えてもらいました。

文豪「モラエス像」よく見るとモアイ像に似ています

 

鳳祥山瑞巌寺は臨済宗妙心寺派の古刹で本尊は切支丹灯籠です。

眉山を背にした境内は静寂さと深い新緑に包まれて、

奥まった場所には阿波名水のひとつ鳳翔水が湧き出ていました。

萌えるような新緑に包まれた「阿波の瑞巌寺」の境内

 

阿波の名水として名高い「鳳翔水(瑞巌寺水)」

 

また、瑞巌寺は文豪モラエスの旧宅があった伊賀町の「モラエス通り」の起点にもなっています。

モラエス通りの起点にある案内板

 

次に篭屋町、東新町の商店街や新町川ボードウォーク、両国橋を渡り水際公園に向かいました。 

二つの商店街は空き店舗が目立ち徳島随一の繁栄を誇った昔の面影は見る影もなく寂しい気がしました。

水際公園 手前の船はひょうたん島クルーズ船

 

水際公園には瀬戸内寂聴さんの文化勲章受勲を顕彰する彫刻家流政之氏作で

庵治石8個を組み合わせたモニュメント「ICCHORA」が建っていました。

「ICCHORA(いっちょら)」とは阿波弁で「とっておき」「一番ええ着物」の意味です。

瀬戸内寂聴さんの文化勲章受章の記念碑と眉山

 

公園の一角ではイヴェントも開催されていました。「髭ダンディー記」


近江路散歩2011

2011-05-23 12:57:42 | 日記

【近江八幡篇】

 

長命寺で寺の佇まいや琵琶湖の風景をゆっくり楽しんだ後、近江八幡の市街地に向かう 

ため808段の石段を下って行きました。下りのほうが膝に負担がかかるため注意深く

歩を進めて行きました。湖岸にある長命寺港に立ち寄り琵琶湖の風景を眺めました。

長命寺の門前にあるヨットハーバー

  

バスの時間を見ると1時間近くあったので、思い切って歩いて行くことにし、

長命寺川に沿って湖岸道路を歩き市街地を目指しました。途中「春色・安土八幡の水郷」と

琵琶湖八景の一つに数えられている西の湖の傍らを通りました。

近江八幡観光の名物「水郷めぐり」の和船の発着場があり、観光バスが止まっていました。

のどかな水郷地帯の風景を横目で見ながら歩を進めました。

近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として、近世は商業都市として発展し、

いわゆる近江商人の発祥地として知られています。

1時間足らずで行きのバスの窓越しに見た近江八幡の地名の由来になったと

言われている「日牟禮八幡宮」に着きました。大きな鳥居から続く参道には

ゴールデンウィークを楽しむ観光客でかなり混み合っていました。

参拝の車の列が続く「日牟禮八幡宮」の大鳥居

 

鳥居の向かい側には、明治時代の学校の建物で国の登録有形文化建造物に

指定されている白雲館がレトロな雰囲気で建っていました。

「白雲館」古風な街で一際目につく西洋風建築

 

更に進んでいくと今度は誰でもが小さい時に使った経験がある

「メンタ-ム」で有名な近江兄弟社の本社がありました。

年配の人なら誰でも知っている「メンタム」の本社

 

道を挟んだ北側には近江八幡市の名誉市民第一号で近江兄弟社の

設立者で教育者であり、建築家でもある多彩な才能を持った

ウィリアム・メレル・ヴォーリスの銅像が建っていました。

少女が花束をささげるヴォ―リスの銅像

 

その後近江商人の街並みが保存されている新町通りを通り、

かつて栄華を誇った近江商人の家並みが残る新町通り

 

近江八幡市立資料館を構成する旧伴家住宅を見学しました。

なお、資料館は「郷土資料館」「歴史民俗資料館」「旧西川家住宅」

「旧伴家住宅」の4施設で構成されています。

現在は教育関係の施設として利用されている

 

近江八幡市の名所を駆け足で回りJR近江八幡にたどり着きました。

長命寺からの歩行距離は約11kmでした。「髭ダンディー記」


近江路散歩2011

2011-05-16 15:02:53 | 日記

【長命寺篇】

 

3連休の初日の5月3日に近江八幡市の長命寺に行ってきました。

淡路サービスエリアで名神高速の滋賀から京都にかけて40kmの渋滞が発生し

中国自動車道も渋滞しているとの情報があり、ここからバスの運転手さんが

情報や長年の知識を駆使した京都市までの長い道中が始まりました。

六甲山トンネルを通り、阪神高速、近畿道、第二京阪道、京滋バイパスを走り

京都の二条城の駐車場に着いたのは午後12時30分過ぎでした。

地下鉄で山科駅まで行き、JR琵琶湖線に乗り換え近江八幡駅に着いたのは

午後の1時30分でした。駅前から近江鉄道バスの長命寺行に乗り約25分で

長命寺のある琵琶湖岸に着きました。ここから姨綺耶山長命寺の本堂に行くのには

808段の石段を登るか湖岸の道路から本堂下までの自動車道を登るかがありますが、

あえて808段の石段を選びました。

ここからが胸突きの「808段」が始まりです

 

石段と言っても整備されたものではなく、自然石を無造作に

並べた素朴なものでした。寺名にあやかるために、この参道の石段を

一歩一歩登っていくことが健康長寿につながるように思えてきました。

それにしても厳しい石段です。

健康長寿を願い歯を食いしばって登りました

 

先日訪れた施福寺が西国屈指の難所と言われていましたが、

個人的には長命寺のほうがきつい感じがしました。

案内書には本堂まで約20分とありましたが、

頑張って15分で808段の石段を走破しました。

石段を登り切ったところにある案内の石碑

 

 

とても疲れました。膝が笑っていました。石段を登りつめた境内は明るく

、伽藍の配置もすっきりしていました。

国宝の三重塔、本堂、護摩堂、鐘楼堂などが肩を並べるように建っており、

まさに近江の古刹という表現がぴったりでした。

高台から見た伽藍 いいアングルで撮れました

 

本尊は千手・十一面・聖観音の三尊一体という珍しい形式です。

三体の本尊が納まった本堂

 

 

また、境内から臨む琵琶湖の風景は秀逸だと言われていますが、

この日はあいにく黄砂のため眺望が開けませんでした。

近江富士と呼ばれている三上山も遠くに霞んでいました。

黄砂に霞む琵琶湖の風景

   

次回は近江八幡編です。「髭ダンディー記」


南河内散歩~槇尾山施福寺~

2011-05-10 16:54:40 | 日記

南河内散歩~槙尾山施福寺~

 

南河内の和泉市の槙尾山にある西国4番札所の施福寺に行ってきました。

往路はJR大阪駅から阪和線の紀州路快速で和泉府中駅まで行き、

南海バス和泉府中車庫前から父鬼行のバスに乗り槙尾中学校前で下車し、

シャトルバスのオレンジバスで終点の槙尾山まで行きました。

バスの終点から山道を5分登ると仁王門に着きました。

屈指の難所を表しているかのような堂々とした石碑 

 

仁王門を見上げる親子連れ 子供の姿が何とも愛らしい

  

西国三十三ヶ所のうちでも屈指の難所と言われていることが

頭の隅に残っていたので少し拍子抜けがしました。

しかし、ここからが屈指の難所と言われる所以の急な山道と

きつい階段が待ち受けていました。

急な山道の傍らで見つけた小さな滝

 

見る見るうちに汗が吹き出してきました。

萌えるような新緑を堪能しつつ悪戦苦闘しながら

約20分登りようやく本堂に着きました。

新緑も鮮やかな曲がりくねった急な山道

 

こんな苦しい思いをしながらたどり着くことで

ご利益が得られるのだろうと素直に感じました。

天正年間には大寺院と言われる規模を誇っていたが、

ご多分に漏れず織田信長の焼打ちに遭い、

安政年間に信者により再建され現在のこじんまりした規模になりました。

現在の本堂 昔の面影は見ることが出来ません

 

この寺は観音信仰だけでなく、弘法大師空海が入門を発心し

剃髪をした寺としても知られています。

また、槙尾山の山腹の標高485mの位置にあるだけに

境内からの眺めは素晴らしいものがありました。

大和葛城山、金剛山、岩湧山などの山並みが一望できました。

南河内の山々の眺望 爽快な気分になりました

 

境内で昼食を食べ、涼をとった後で帰路に着きました。

待ち受けていた長い急な階段(帰路では下りになる)

 

境内から約1時間30分かけ槙尾中学校前まで駆け降りました。

数あるお地蔵さんの中で一番のお気に入り

 

復路は和泉中央駅から泉北高速鉄道、南海高野線、地下鉄を乗り継いで

JR大阪駅に着きました。次回は、近江八幡と長命寺に行ってきましたので書きます。

「髭ダンディー記」