創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

320.宗教の人助け、ケースバイケースとwant、must、人格形成と責任

2011年05月16日 22時56分06秒 | 創価学会
できるだけ、学会問題、正宗問題を抜きにして書いてみたいと思います。
これらの集団が問題集団(教団ではない。搾取集団。)であることは明白なので。

◯ハン師の本を読む前に私の考えを。

>ハン師は、原始仏教、大乗仏教、キリスト教などその宗派の人にあわした説法

私がナマズさんの紹介文、それと後アマゾンとかの紹介を読んで思い出すのは、やはり「ケースバイケース」という点でしょうか?

●ケースバイスース

 過去記事で幾度も「ケースバイケース」について書いてきました。
204.考え方が変わる事は裏切りか?(その2) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
今でも概ね、この考え方が基本になっています。

勤行唱題どころか、日蓮である必要(must)もないです。私の場合は。
法華経である必要(must)もありません。サンスクリット法華経である必要(must)もありません。
原始仏教である必要(must)もありません。
お釈迦さんが師匠である必要(must)もありません。
宗教自体が必要でも必須(must)でもありません。

でも、私の知っていることであれば時間の許す限りは人に(教えるというよりかは)伝えてもいいし、書籍とかを紹介してもいいと思っています。

ですから私の場合、そううそ教というよりかは、ただの人間の言葉、行動でしかありません。
ケースバイケース教でもおかしいし、親切教でもおかしいかも。変でしょ。

ついこの間は密教の本を紹介しましたが、殆ど人から教えていただいたものです。原始仏教、法華経の感想や書籍紹介っていっても書籍の紹介ですからね。
心理学の本はある程度、勝手に自分で読むようになりましたけど、それでも時間とお金が惜しいので、生き方上手な人や「悩める人」からの紹介は非常に貴重で未だに仏教、心理学のどちらの本でも「もう教えてもらわなくてもいい」なんて思ったことはありません。
仏教の優先順位は低いですけど、むしろ読みたい本は膨大にあって時間とお金をなんとかするのが大変そうです。(笑)

紹介ですから「車を買うのに、あのメーカーがいいよ。」
紹介ですから「あのお店が今安いよ」ってレベルのケースバイケースなだけです。

そんなの世間一般で皆さん、いくらでもやっています。「ケースバイケースに」です。

そもそも宗教だけでしか会話が成り立たないのが、正宗vs創価です。
ほとんど同じ、95%以上同じ信仰をしているのに大げんかです。(笑)
宗教を除けば、同じ日本人、同じ地域、同じような食事、同じような音楽、同じようなTV、を見ているのに変ですよね。
同じ趣味、同じ好みの女性、同じ好きな食べ物。。。。etcetc....
世の中のカテゴリーで宗教を1%としても残り99%は同じである可能性が多いわけです。
過去記事にも書いたとおり、古本屋行くと宗教「なんて」たった一つのカテゴリーですよね。
更に宗教の中で、仏教、更に日本仏教、更に鎌倉仏教、更に絞って日蓮、更に富士門流、、なわけです。
こんな狭いカテゴリーで正宗vs創価って言い争っているんですな。(笑)

残りの膨大な書籍、いやいや先ほど書いたとおり書籍だけに限りません。人種、歴史、趣味、女性の好み、食べ物、好きな音楽、好きなTV。。。。etcetc

正宗vs創価は大喧嘩してますが、世間一般から見れば彼らは0.00001%みたいな微小の「差」や「違い」を見出しているにすぎません。
世間一般の人はほんの少しの共通点で仲良くできます。「同じ」ってことです。
(だから私の場合、一般と会員の恋愛や結婚に条件付きで賛成なのかも。)

私は上のリンク(204番記事)を見てもわかるとおり、過去に法華経やlibraさん、kouさんの柔軟さを褒めました。
だけど宗教というカテゴリーだけでケースバイケースがあるわけではありません。

315.これから宗教を肯定しますが、注意事項として。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/8a33a89d0837e56c6ae80ea065b3ffae
(発達心理学を持ち出すまでもなく子供たちは小さな接点や理由で、つまり架空の存在で仲良くなれます。)

◯では「助ける」ということは宗教だけなのでしょうか?

違いますよね。明白です。医療もあれば、ボランティアも。今回の震災で海外からの寄付は膨大な金額です。(1)
正宗系の信仰者は、彼らの「信じている物」からすれば、邪宗からの寄付は受け取れないはずですが、何の疑問もなく受け取るでしょうね。それだけ歪んでいるわけです。

「民主党は仏敵」そう断言して口にした人でも「早く助けてくれ」って言うでしょうね。
なお念のため書いておきますが、前者が不健全で後者が自然で当たり前です。

他宗の人が不幸になったときに「邪宗の害毒だ!」「宿業だ」ってのは一体なんだったんでしょうね?
私は正宗も問題集団だと思いますが、日顕氏と池田氏で原発に近いのは池田氏です。これ学会と池田氏の大勝利ですか?

●助けること、助けないこと。

 先ほど「宗教自体が必要(must)でもありません。」と書きました。

宗教者の人であれば、「宗教自体が必要(must)でもありません。」なんて、宗教心を失ったから「人助けしない」冷たい人になったな。
そう誤解する人もいるかも知れません。

でも、私はネットや会社、様々な場面で助けられることを自覚していますし、感謝しています。(2)
また助けが必要だと思うからこそ、ブログを書いているわけです。(2)
自分に出来る「小さなこと」をしているわけです。(2)

今現在、あるいは未来の子供達はネット世代ですから、それほど私が心配することはないのかもしれません。
しかし問題宗教に警鐘している本が過去にたくさんあっても、やはり大人でも宗教に引っかかって不幸になる人はあとを絶ちません。
今回の原発の問題でもカルト問題、宗教問題と似た点があります。大人の失敗、日本人の悪い面という意味です。
やはり、根ざしている、共通している、それらは日本人のアイデンティティでしょうか?

カルトや問題教団ではなく、まともな宗教にある、世間一般にあるケースバイケース。これと人助けがmust。
この後者の「人助けがmust」は心理学系の本を読むと、実は場合によって、必ずしも健全と言えそうにないのです。


つまり「人助けがmust、人助けをしたい、人助けが大切、その意識(深層心理や人生体験)が健全かどうかは、本人次第、本人の人格形成次第ではないか?」と私は考えています。


どういうことかというと
☆マトモな宗教ですら「人助けしたいwant」「人助けがmust」の健全性は本人次第、ということ。
☆「カルトや問題集団、人に迷惑をかけて平気でいられる人、不健全な人を師匠としている」人たちは論外。

「カルトや問題集団、人に迷惑をかけて平気でいられる人、不健全な人を師匠としている」のですから、世間一般の人とカテゴリーと認識が違います。
世間一般の人助けと、問題集団の人助けは様々に異なります。問題集団の人助けしたいという欲求(want)は非常に怪しいわけです。
助けたい、助けよう、助ける、助けない、それすら「I」の意識、認識、あるいは欲求(want)です。

1.Iとyouの認識の問題点
2.創価学会の功徳、for me (I、自分)なのか、原始仏教のようにあくまで他者の要求を叶える for you なのか?

これらは何度も書いてきました。
これも過去記事でも書いてきましたが、池田氏を素敵な人、素晴らしい人、日蓮さんを御本仏と思いたい、「そう思いたい」という欲求(want)なわけです。
そもそも原始仏教は寝る、食事するなどの最小限の欲(want)を残して、それ以外の欲(wnat)を絶つはずなんですけどね。

「そう思いたい」という欲求(want)というのはカルト問題、宗教問題で分かりやすく言うと、
人は「信じたいものを信じる」。

つまりは当人が「信じたいものを勝手に選んで信じ、他人に信じさせようとする。」わけです。
ですから強調「したい」(want)ところや信じ「たい」(want)ところが違って学会員同士でも喧嘩になるわけです。
正宗法華講員同士でも喧嘩します。学会員vs正宗は喧嘩して当然なんですな。
話の向く方向が、常に「私、自分、I」と「want」しかないんですな。

 ですから、病気の人など場合によっては助けて!(help me)話を聞いて!も不健全や共依存の兆候である可能性があります。
(元アイドル歌手で折り鶴折った人もlook at meや賞賛されたい、注目を浴びたいという欲求(want)なんだと私は想像します。良いか悪いかは皆さんで考えてください。)


人を助けたい、人を助けたくない、このどちらにも健全不健全、合計して4パターンがあるようです。
少し言葉を変えて、もう一回書いておきますが、
 「「宗教に限らず、」」人を助ける、人を助けない、このどちらにも健全不健全、合計して4パターンがあるということです。


もう一度念を押しておきますが、人助けをしたらダメなんて私は言っていません。
ハンセン病救済や浮浪者救済もあれば、被災者救済もあります。
私も病人で医者や看護師さんに救済されています。
(1)(2)から明白です。

他者救済する過程で当人の人格形成がより良くなる場合もあるでしょう。

つ、ま、り、年取ったら人生経験から人格形成がより良くなるならともかく、
第3者に他者の悪口や誹謗中傷させ悦にいる老人(池田氏日顕氏浅井氏)なんて、マトモじゃないってことなんでしょうな。
普通の人間か普通の大人なら「止めさせます」。出来た人間なら最初からあんな信徒会員を巻き込む問題なんか起こさないでしょう。
組織で行う謀略なんて論外です。嘘やごまかし、謝罪しない、これらすら大人として問題でしょう。(後述)
現場で他者救済なんてしてないわけです。
みなさんはどう思いますか?
(詳しくは書きませんが、絶対に原発や被災地にいかない守銭奴な保安院と阪神淡路大震災や今回の震災の現場にいる寄付した自衛隊の皆さんとは大違いです。)

●いくつかある内のひとつの指針

要点として他にもあるのですが、何がポイントかというと、さっきから書いてきた(must)。
過去記事に何度も書いてきた「◯◯しなければならない」という点を否定してきました。

これが如何に薄いか?mustは時に不必要でもないのです。TPOな””柔軟さ””、と言えばいいのでしょうか?

白と黒ではなくて、無数のグレーです。
greeやmixi、オフ会でfbiさんを知っている人はわかると思いますが、彼は良くも悪くもすごく柔軟ですよね。
だからこそ、彼には彼の宗教、いや宗教ですらないかもしれないけど、簡単にいうと彼の人柄を発揮して欲しい、と常々「とても曖昧な」お願いをしているのですが、いつも誤魔化されちゃいます。(笑)

>ハン師は、原始仏教、大乗仏教、キリスト教などその宗派の人にあわした説法

というわけで、彼の柔軟さには興味があります。
カルトの問題は除外して、更に高いレベル、マトモな宗教、こうした観点で、ハン師の法華経解釈、仏教解釈、宗教解釈、人間理解、人の言動の否定と肯定には興味があります。
といわけで、300円になって買うか、図書館で借りるかしますので気長~~~にマッテテネ。ヽ(^o^;)ノ>ナマズさん。

私の意見をハン師、いやいや、ハンさんが聞いたらどう思うんでしょうね?
libraさんみたく、友人として話し合えると非常に嬉しいのですが。。。。。
ただ、私の場合、帰依(仕える?)、信じるってのが宗教であってもなくても人であってもなくてもいいわけですが、ハンさんに「◯◯が常に必要」って(やや強制ぽく)言われたら、それは何かの宗教であって不要か受け入れられないでしょうね。◯◯が常に必要かどうかは自分で決めることだし、私にも自分の未来はわかりませんから。

●その他

なお、悪用できるからと言って未来に金儲けや詐欺の為にそううそ教、米山教を立ち上げないでね。(←ここ笑うところ。)
原始仏教が金儲けに読める人は、仏教やめたら?>お坊さんたち。
法華経、日蓮遺文で金儲けに読めるかどうかは、その人次第でしょう。原始仏教とは似ても似つかないし。
つまり、少なくとも大威張りは出来ないってことでしょうね。
日蓮と同じか日蓮以上の戒を守ってるってんならともかくさ。

なお長くなるので割愛しますが

「人助けがmust、人助けをしたい、人助けが大切、」
これと「人格形成」と 「「責任」」 は密接に関係有るように思われます。

心理学でも心理学でない分野でも同じです。
自明ですよね。大人は責任がある。責任を取るから大人。子供には子供程度の責任しかありません。
自己形成するから大人。できていないのが子供。
幼児退行など、発達心理学にも関係しますね。
だから、宗教者でたまに「幼児退行というのはやめよう」って言う人がいますが、少しおかしくて言い方やアプローチの問題です。TPO次第では時には言っていいはずです。

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犀の角のように独り歩め:曹洞宗・別府良孝師から資料送付:丸山照雄師『創価学会解体新書』

○真宗大谷派…一人の世話人から「お前(日蓮宗・丸山師)の題目と創価学会の題目とは、どう違うのか?」という趣旨の糾弾摘発元を受けた。「…創価学会はわしらの仏壇を雨あがりの道路にたたきつけて壊して行った。これをどう思うか?」と。…
当時の日蓮宗は(今でも同じかもしれないが)「学会と我々は違うのだ」と繰り返していた。「違います」では答えにならない。「本来『違わない』のが真実なのだ」。答えはただひとつ「申し訳ありません。責任は私たち(日蓮宗)にあります。責任をとり続けます」と応ずるしかあり得ないと思った。
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要約すると「申し訳ありません。学会も日蓮宗も同じ題目です。創価学会の問題は我々、日蓮宗にも責任はあります。」

ここには本記事で書いてきたキーワードが思い浮かびませんか?
「謝罪」、「同じ」(違わない)、「責任」、「大人」がありますね。
なにより無条件な思いやりを感じるのは私だけでしょうか?

以上。
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4 コメント

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(ナマズ) 2011-05-13 22:02:47 (米山士郎@管理人)
2011-05-16 23:11:48
Unknown (ナマズ)
2011-05-13 22:02:47
最近、ティクナットハン師の「法華経の省察」という本の日本語訳がでました。
http://1cc.jp/wahara

ハン師は、原始仏教、大乗仏教、キリスト教などその宗派の人にあわした説法をします。

法華経を勉強した方が、この本を読んでどういう感想をいだくか興味があって紹介しました。

また、時間があるときに一読してみることをススメます。
返信する
Unknown (米山士郎@管理人)
2011-05-16 23:14:52
ナマズさん
コメントを移動しました。
返信する
Unknown (米山士郎)
2011-05-17 06:49:07
一部修正。
それと早速、誤解している人がいるので数日中に追記します。

結論だけ言うと、助ける、助けない、どちらからも、自由でいていいのです。自分で決めていいと思います。

大切なのは自由さや柔軟さです。

昔カルトで人助けしていました。
今は気がついて人助けしません。

いやはや。たしかにそうなのです。
が、一歩だと思います。

昔は”人助けする”に「縛られて」いました。
今は”人助けしない”に「縛られて」います。

「縛られて」は「信じて」でもいいでしょう。
本来は、人助けする/しない、どちらとも自由なはずです。
返信する
Unknown (ナマズ)
2011-05-17 18:32:17
わざわざコメントの移動ありがとうございます

そもそも、仏教は何から救おうとしてるかといえば、思考(エゴ)の苦しみから救おうとしてるんです。

仏教では思考=自分と思い込んでるから苦しみが起こると説いていて、そこからの脱出方法を提示してるわけです。

宗教同士の争いがなんで起こるかといえば、
思考VS思考というのが見えてくると思います。

ハン師は日常(今、この時)のマインドフルネスを大事にされていて、信じる、信じないじゃなく、ただ歩くこと、ただ食事をとるということを通して思考が落ちた世界を体感させるのです。

天国とか浄土とか悟りの世界が未来にあるんじゃなくて、今この瞬間にあると。

人を助ける、助けないの前に、自分を思考の苦しみから助けるのが先決なわけです。

そのためには何十年の修業が必要ではなく、今この時にマインドフルネスでいることですくわれるというのがハン師の大まかな教えです。
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