創価学会の信仰に功徳はあるか?

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76.公明党や創価学会のリーダーと責任 その4 (矢野氏)

2006年04月24日 22時32分59秒 | 創価学会
 「はったり特急」のとある創価学会員さんの情報です。
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矢野絢也について少しばかり。
 1988年(昭和63年)12月、総額12億円もの金銭疑惑、「明電工疑惑」が発覚。「清潔」を信条としてきた公明党にとって、党の委員長たる人物が、カネや株の問題で騒がれるということは、空前の衝撃的な出来事だった。どれほど党の名前が汚されたことか。 その後の選挙戦へのダメージも尋常なものではなかった。しかし彼は、これできっぱりと議員を辞めるわけでもなく、次の総選挙(90年2月)にも、のうのうと出馬。そこで一番、迷惑を被ったのは、周囲の批判・非難の嵐に耐え抜いて、懸命に支援し続けた地元・東大阪の学会員である。
そしてなんと政界引退後、矢野が真っ先にしたことは、長年お世話になった党や支持者への恩返しではなく、まったくの裏切り行為であった。月刊「文藝春秋」誌上に「政界仕掛人極秘メモ全公開」なる“手記”を発表したのもそうだった(93年10月号~12月号、94年5月号~8月号)。
 後に彼は、“手記を書いたこと自体が間違い”と謝罪したが、ともあれこの“矢野手記”がもととなり、実に2年余りで、6人もの国会議員が計8回にわたって、創価学会弾圧の国会質問を行なった。そして、こともあろうに、池田先生は証人喚問要求まで突きつけられたのである。そして、現在も真摯な謝罪など全くないのである。
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 矢野氏がお金がほしかったのか言いたことがあったのかは不明だが、創価のリーダー公明のリーダーでも敵側?というべき週刊誌に記事を書いてしまうというのは笑える。たしかに創価に都合の悪い事を書かれれば反逆者扱いだろう。。。。

 公明党委員長にまでなった人が、手記を出して、その一歩先でどうなるか分からなかったのだろうか?そしてそんな一歩先を読む才能がない人物を政治家にして党のリーダーにしてしまう創価。。所詮そんな人物をまたもや 「だまされた」 という事になってしまうのだろう。

宿命転換とか人間革命とか嘘だとしか思えない。矢野氏もそうだし、この件に限って言えば、矢野氏支持の間ずーっと、創価の支援者の人は宿命転換出来ていなくて福運もなくてだまされっぱなしで見抜けなかったという事になる。

一体何人の人に騙されれば学会本部は気が済むんでしょうかね?

 結局、創価公明のリーダーというのは、矢野氏、弓谷氏もそうだけど、謝罪しない。同じように謝らない体質は末端にも言えるのではないだろうか。あいかわらず、説得や矢野氏を謝罪させたり、創価学会本部として責任や謝罪はないのだろう。これからも。

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2 コメント

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謝罪 (服部)
2006-05-09 16:41:19
謝らないというのは誰に向けて謝らないと仰っているかは定かではありませんが、弓谷氏は男子部長解任後に中野区幹部会という彼の地元の会合で土下座謝罪していましたよ。

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そうだったんですか。 (創価学会嘘つき)
2006-05-09 21:02:03
コメント有り難う御座います。



>誰に向けて謝らない



 ??????????そりゃ弓谷氏が不愉快な思いをさせたり迷惑をかけた人に決まってるでしょう。特に創価の人や相手の女性では?

 せめて聖教新聞に服部さんの文章ぐらいの長さでも良いから謝罪するべきでしたね。自分の故意ではない過ちだとしても、折伏が実際にいくつ駄目になったか?創価の評判がどうなったか?、、、を想像すれば、宿業や三世の生命を説く仏法を信じる人にとっては重い宿業ではないのでしょうか?中野区で謝れば折伏で言い返された学会員には謝る必要ないとお考えですか?



>誰に向けて謝らないと仰っているか定かではありません

 服部さんが創価の人かどうかわかりませんが、いつも疑問に感じるんですけど、どうして創価の人は状況や他人の気持ちに敏感でないのでしょう?なんか、、、こう、、、お気楽に感じます。つい先日もとあるブログで「創価は人材を世界に排出」とかブログの空気というか流れを無視してコメントしていたので80番の記事にしたんですけどね。



服部さんが創価の人なら少しだけですが、やはり違和感を感じます。



 どうしても創価の人は「良いことをしている」と思っているので仕方のないことなのかもしれません。創価の人が良い意味で寛大なのも理解しているつもりです。このブログでもたびたび書いてますが私の周りの人たちはいい人が多かったですから。



アンチか一般の方であれば上記の失礼な物言いはお許しください。



 ともかくも土下座謝罪までしたということなら、責任感が全くない人ではなかったということですね。ですが、残念なことでしたね。



何かご存じだったり、何かあればまたコメントしてください。

ではでは。
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