犀の角のように独り歩め:爆笑 「民衆仏法ではなかった」へのベストアンサー??
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51714724.html
犀角独歩さんの意見に賛成です。
創価学会の教える 「キーワード」と「イメージ」 には注意した方がよいと私は思います。
過去記事に書いたとおり、創価学会が教える功徳の「妄想のイメージ」と実際に原始仏典などに書かれた功徳の「定義」(言葉の意味と目的)は異なっています。
創価学会が教える功徳の「定義」(言葉の意味と目的)ではなく、なぜに「妄想のイメージ」かというと池田氏から末端に至るまで学会員の言動とそれぞれが矛盾し、ことごとく根拠がないから。
生命尊厳という「キーワード」も同じ。
●生命尊厳
想学サロン2.0 仏教と政治のかかわりについて
http://sougakusalon.blog.shinobi.jp/Entry/131/ より。
公明党と創価学会の矛盾については私もウトロさんの意見に概ね賛成です。
創価、正宗の教える日蓮仏法と日蓮が教えた仏法は内容が異なります。
創価、正宗の教える日蓮仏法には間違いや悪意ある嘘があります。
鎌倉時代に生きた日蓮の言動には現代人に通用しない間違いや悪意のない嘘があります。
現代人が日蓮を師匠としたり法華経信仰をする上で、原始仏教、一般仏教的、一般宗教的な他宗教者に対しての「生命尊厳」はあっても良いと思います。宗教的ですから。
ただし現代人が日蓮や法華経を選びとる上で、選び方には注意する必要があると考えます。
しかし日蓮は天台教学の影響を受けた法華涅槃を重視した人であり、
涅槃経の折伏とは菩薩や為政者が為す「武力行使容認」です。生命尊厳ではありません。
日蓮の遺文には法華涅槃は仏説である、という間違った前提があります。
原始仏教の思想や言動と涅槃経の折伏思想は正反対か相容れないと私は思います。
もちろん法華経の思想と涅槃経の折伏思想も相容れないと考えています。
平和という「キーワード」も同じで世間一般の感覚や他宗教とは異なります。
●平和
303.小室 直樹 (著) 新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/7f8ccf4888fc59dd7b55b18aea3c6aa9
など過去記事に多数。
池田氏から末端に至るまで学会員、正宗法華講の言動は「平和」とはほど遠い。
日興門流の僧侶と信徒(師と弟子、師と檀那、檀那同士etcetcetc)などで身内すら罵倒誹謗中傷するんだから、他宗教者と平和なんか築けるはずも無いと私は考えます。
ちなみに日蓮はこう言いました。
「一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか」 (種種御振舞御書) 真蹟:身延山 真蹟曽存 (但し複数の異なる遺文が断簡となって種種御振舞御書として一つに扱われている等の諸説有り。)
昭和52年に千葉の清澄寺(日蓮が幼少の頃に修学した寺)で 千年杉に向かい木肌を撫で、「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟いた日蓮大聖人の生まれ変わりであられられるるるるるるるるるるるるるる、恐れ多くも大御本仏を超越した永遠の指導者でいらっしゃる大作様。大御本尊は偽物であると御見抜ぬき遊ばされた御慧眼の持ち主でいらっしゃる、恐れ多くも大御本仏、日蓮大聖人の67世直弟子あられられるるるるるるるるるるるるるる御隠尊日顕上人元猊下様様様様様様様様様様の公場対決での破折により解決し 万民 の為の 平和 はいつ頃実現されるのでしょうか?
学会員時代、指導を受けると何時何時までにとかの期限や内容、相手などを具体的に「決めて祈れ!」とは良く指導されたものですが????
末端の法華講信徒、創価学会員に言えることですが、たった一人との平和も築けない池田氏や日顕氏に付き従って、平和になるって妄想でしかありません。
しかし、私も本気で「池田先生は平和の体現者」と思っていましたし、学会員の気持ちや行動原理がわかるだけにやっかいだと思います。
管理人の運ちゃんさんが実に良いことを書いています。キリスト教のキーワードとしては
”神の命令”があるということ、
神が人に命令した”義務”を果たす必要がある、(罪、救い、感謝の生活etcetc)
神についての知識や”啓示”(聖書)を知り信じる必要性、
といった内容などがあげられるようです。これらが前提となって平和となる、、、、ということらしいです。>キリスト教に詳しい人、メメさん、これでOKなの?(^_^;A
「他国、他宗教の人が考える平和の概念が違う」ことを念頭に置いて平和を問うべきかと。
ただ単に池田氏のように平和のプロセスを考え、論文にするだけではなくて、争いやトラブルがあれば具体的に解決することが必要です。
”世界の識者と池田先生が平和が大事だと言っている。”
そんなの私だって同じ気持ちであり、言うだけなら私だって言えます。
●民衆仏法
ここは犀角独歩さんと私の意見は少し異なります。
まず、独歩さんの書かれているとおり、遺文の宛先が農民などの民衆でなく武家などの貴族社会に向けられていたのは動かしようのない事実です。
また、現代宗教研究所所報 42号
”宗祖の母・「梅菊畠山重忠有縁説」の一考察 石川修道さん” P254~P296
日蓮の母である梅菊が畠山重忠の子供だったのでは?という考察です。証拠がないですがこの考察は面白く読めました。「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺|旃陀羅(せんだら)が子也」も前提として考察されています。
日蓮は武家の血筋であった可能性があり、故に安達泰盛、大学三郎などの武家や貴族社会や政治に近かったのかもしれません。
安達泰盛と平頼綱の対立があったようですし、日蓮にとっては血筋も理由の一つとして安達氏、畠山氏に近かったのかもしれません。
個人的に畠山氏正妻や安達家の宗教が禅、念仏、律宗などどれだったのか気になります。
庶民の王者であらせらる池田大作様にとっては都合の悪い考察かと思いました。学会ではこんな考察は出来ないでしょうね。
では日蓮が全く民衆のことを考えていなかったのか?というと「0」ではなかったかと。
「万民」というキーワードで学会版御書を検索すると偽書、真偽未決を含めて、のべ137件出てきますし
日蓮宗電子聖典でも「万民」というキーワードで検索すると全体で92件出てきます。
いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下も万民にいたるまで、一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱、掌を合て、たすけ給日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。(撰時抄)
上記遺文は日蓮の願いだったのでは????
鎌倉地震の際の 万民百姓 の状況は立正安国論の冒頭に書かれていますし、別の遺文ですが
日蓮が申事は愚なる者の申事なれば用ひず。されども去文永十一年[太歳甲戍]十月に蒙古国より筑紫によせて有しに、対馬の者かためて有しに宗逢馬尉逃ければ、百姓等は男をば或は殺し、或は生取にし、女をば或は取集て手をとをして船に結付、或は生取にす。一人も助かる者なし。(一谷入道御書 真蹟:上総 鷲山寺外五ヶ所 真蹟断片現存)
日蓮は蒙古襲来時、筑紫で拉致された人達を気にかけて残念に思っていたでしょう。
鎌倉時代、今よりもずっと田舎だったであろう筑紫で拉致された人達が全員武士や貴族であるとは思えません。抵抗できない人達だったのでは?
そういや日蓮遺文に反し、北朝鮮拉致被害者支援を冷たく断ったのは公明党議員でしたね。
いまだに「北朝鮮のためにがんばれ公明党」だったか?とかのHPで公明議員が握手してる写真を掲載してんのかね?
日蓮は反日親中国ではなく親日、反外国、反蒙古(反中国とも言える)だったんだよな。。。。
犀角独歩さんも書いているとおり、創価学会の教える 「キーワード」と「イメージ」 は一度、全て払拭する必要があるかと思います。
信じることが大事(強信)だの、宇宙生命だの、大御本尊だの、戒壇だの創価学会、正宗の教える間違いや悪意ある嘘は100以上あるのでは?
他宗、他人には間違っているだの平気で罵倒誹謗中傷しておきながら、自分たちの間違いには無頓着という。。。まったく。。。。
池田大作氏や日顕氏(日如氏)は末端の信徒会員に 他人、他宗教者の不幸を呪ったり願ったり、喜んだりしない指導を徹底すべき かと。
●選択について
1.選択しても良い人とは?
生命尊厳などの私がウトロさんや運ちゃんさんの発言やコメントを問題にしないのは、現代人が選び取れる宗教の範疇だからです。
一番良いのは、
日蓮には問題点がある。でも私は最終的に日蓮、法華経信仰を選び取ります。
日蓮宗行って勉強してきたら?(罰当たったり地獄に行くわけじゃないんだから)
てな感じの言葉やバランス感覚みたいなものかな?
難解な仏教用語の議論やレッテル張りではありません。
自分自身や日蓮には時として問題があり可謬ですよって言えることが大事かと。サクッと。。。。
mixiやGREEで独歩さんやFBIさんとオフ会であった人には分かると思いますが、
FBIさんあたり特に「俺はいい加減だから~ヘラヘラ(^o^)」とかピエロ役してますが、二人とも仏教など質問したときに真面目に答えてくれますし、全部即答です。
ちょっと待っててなんていわれたこと一度もありません。
選択すべき師匠や先生というのはこういった感覚持ち主や会話の出来る人でしょう。可謬であることは当然で前提です。
2.宗教の選択のしかた
私に言わせれば、どんな宗教にも嘘や間違いはあり、可謬な人間のしたことです。
間違いや嘘だらけ。でもそれを認め謙虚で質素な生活をする教団なんかほとんどありません。限りなく0に近い0.001%とかで宗教なんかそんなものです。
創価正宗蜜月時代は10,000,000人いると豪語した正宗系教団でしたが、富士門流信徒BBSを読めばわかるとおり、日蓮遺文を”客観視して”読み ”議論出来た人” は20~30人程度でしょう。20~30/10,000,000人です。(”議論出来た人”ですから受け身的に読んでいただけの私なんか入っていません。)
時には怒っても良いですが、正宗系教団に拘って怒って去っていった人なんか入っていません。卒業した人はもちろん別です。
脱創価、脱正宗、脱カルトなどを目標とすれば心理学、癒しなどのカウンセリング、という視点から
「(残念ながら?)”自分自身の客観視”がある程度必要では?」
と考えています。
我々は義務教育をベースとする様々な教育科目を受けました。英語、数学、国語、社会、体育、美術、etcetc。。。
職業選択にあたり、レベルはともかくとして世の中の全てジャンルの学問を学んでから選択しています。
宗教選択にあたり、比較的簡単なナツメ社 図解雑学でいいので密教、キリスト教、(原始)仏教、神道、禅宗、真言、密教、(イスラム教あたりは無理か?)ある程度理解した人はどの程度いるのでしょうか?
読んだ人には現代宗教は原始仏教や原始キリスト教とは違うこと、現代宗教にトラブルなど問題点があることが分かるはずです。
普通な人であれば不自然で過剰な自信や罵倒誹謗中傷は出ないはずです。
生命尊厳の哲学が気に入って学んでいく内に自然な形で宗教を選択したのでしょうか?
それとも宗教を学んで選択してから生命尊厳の哲学に魅力を感じたのでしょうか?
別に宗教であれば後者でも問題は少ない(皆無ではない)わけですが、創価などの問題教団(宗教ではないので教団)に関わる人、関わった人には無視できない問題だと思います。
正宗VS学会みたいに日蓮遺文以降しか読まないでバトルするとかも問題でしょう。
創価学会に教えられた民衆仏法、生命尊厳、、等々についてですが私自身も独歩さんの言うとおり、”民衆+宇宙+生命+仏法”など、どうしても仏教を創価学会的、法華経的に見がちです。
学会や正宗などを批判する分には問題ありませんが、世間一般では全く通用しないでしょう。
もう既に現代では原始仏教を含め法華経も日蓮も最高哲学ではないのですから。。。。。(より正統派かどうかは別。より、です。)
過去記事に書いてきたとおり、病人には医学や”良い”医者が必要です。
お医者さんが仏教を学んで慈悲の精神で病人を大切にしてくれれば、それはそれで良くて結構なことです。
でも仏教への依存で病気は治りません。
以上。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51714724.html
犀角独歩さんの意見に賛成です。
創価学会の教える 「キーワード」と「イメージ」 には注意した方がよいと私は思います。
過去記事に書いたとおり、創価学会が教える功徳の「妄想のイメージ」と実際に原始仏典などに書かれた功徳の「定義」(言葉の意味と目的)は異なっています。
創価学会が教える功徳の「定義」(言葉の意味と目的)ではなく、なぜに「妄想のイメージ」かというと池田氏から末端に至るまで学会員の言動とそれぞれが矛盾し、ことごとく根拠がないから。
生命尊厳という「キーワード」も同じ。
●生命尊厳
想学サロン2.0 仏教と政治のかかわりについて
http://sougakusalon.blog.shinobi.jp/Entry/131/ より。
公明党と創価学会の矛盾については私もウトロさんの意見に概ね賛成です。
創価、正宗の教える日蓮仏法と日蓮が教えた仏法は内容が異なります。
創価、正宗の教える日蓮仏法には間違いや悪意ある嘘があります。
鎌倉時代に生きた日蓮の言動には現代人に通用しない間違いや悪意のない嘘があります。
現代人が日蓮を師匠としたり法華経信仰をする上で、原始仏教、一般仏教的、一般宗教的な他宗教者に対しての「生命尊厳」はあっても良いと思います。宗教的ですから。
ただし現代人が日蓮や法華経を選びとる上で、選び方には注意する必要があると考えます。
しかし日蓮は天台教学の影響を受けた法華涅槃を重視した人であり、
涅槃経の折伏とは菩薩や為政者が為す「武力行使容認」です。生命尊厳ではありません。
日蓮の遺文には法華涅槃は仏説である、という間違った前提があります。
原始仏教の思想や言動と涅槃経の折伏思想は正反対か相容れないと私は思います。
もちろん法華経の思想と涅槃経の折伏思想も相容れないと考えています。
平和という「キーワード」も同じで世間一般の感覚や他宗教とは異なります。
●平和
303.小室 直樹 (著) 新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/7f8ccf4888fc59dd7b55b18aea3c6aa9
など過去記事に多数。
池田氏から末端に至るまで学会員、正宗法華講の言動は「平和」とはほど遠い。
日興門流の僧侶と信徒(師と弟子、師と檀那、檀那同士etcetcetc)などで身内すら罵倒誹謗中傷するんだから、他宗教者と平和なんか築けるはずも無いと私は考えます。
ちなみに日蓮はこう言いました。
「一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか」 (種種御振舞御書) 真蹟:身延山 真蹟曽存 (但し複数の異なる遺文が断簡となって種種御振舞御書として一つに扱われている等の諸説有り。)
昭和52年に千葉の清澄寺(日蓮が幼少の頃に修学した寺)で 千年杉に向かい木肌を撫で、「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟いた日蓮大聖人の生まれ変わりであられられるるるるるるるるるるるるるる、恐れ多くも大御本仏を超越した永遠の指導者でいらっしゃる大作様。大御本尊は偽物であると御見抜ぬき遊ばされた御慧眼の持ち主でいらっしゃる、恐れ多くも大御本仏、日蓮大聖人の67世直弟子あられられるるるるるるるるるるるるるる御隠尊日顕上人元猊下様様様様様様様様様様の公場対決での破折により解決し 万民 の為の 平和 はいつ頃実現されるのでしょうか?
学会員時代、指導を受けると何時何時までにとかの期限や内容、相手などを具体的に「決めて祈れ!」とは良く指導されたものですが????
末端の法華講信徒、創価学会員に言えることですが、たった一人との平和も築けない池田氏や日顕氏に付き従って、平和になるって妄想でしかありません。
しかし、私も本気で「池田先生は平和の体現者」と思っていましたし、学会員の気持ちや行動原理がわかるだけにやっかいだと思います。
管理人の運ちゃんさんが実に良いことを書いています。キリスト教のキーワードとしては
”神の命令”があるということ、
神が人に命令した”義務”を果たす必要がある、(罪、救い、感謝の生活etcetc)
神についての知識や”啓示”(聖書)を知り信じる必要性、
といった内容などがあげられるようです。これらが前提となって平和となる、、、、ということらしいです。>キリスト教に詳しい人、メメさん、これでOKなの?(^_^;A
「他国、他宗教の人が考える平和の概念が違う」ことを念頭に置いて平和を問うべきかと。
ただ単に池田氏のように平和のプロセスを考え、論文にするだけではなくて、争いやトラブルがあれば具体的に解決することが必要です。
”世界の識者と池田先生が平和が大事だと言っている。”
そんなの私だって同じ気持ちであり、言うだけなら私だって言えます。
●民衆仏法
ここは犀角独歩さんと私の意見は少し異なります。
まず、独歩さんの書かれているとおり、遺文の宛先が農民などの民衆でなく武家などの貴族社会に向けられていたのは動かしようのない事実です。
また、現代宗教研究所所報 42号
”宗祖の母・「梅菊畠山重忠有縁説」の一考察 石川修道さん” P254~P296
日蓮の母である梅菊が畠山重忠の子供だったのでは?という考察です。証拠がないですがこの考察は面白く読めました。「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺|旃陀羅(せんだら)が子也」も前提として考察されています。
日蓮は武家の血筋であった可能性があり、故に安達泰盛、大学三郎などの武家や貴族社会や政治に近かったのかもしれません。
安達泰盛と平頼綱の対立があったようですし、日蓮にとっては血筋も理由の一つとして安達氏、畠山氏に近かったのかもしれません。
個人的に畠山氏正妻や安達家の宗教が禅、念仏、律宗などどれだったのか気になります。
庶民の王者であらせらる池田大作様にとっては都合の悪い考察かと思いました。学会ではこんな考察は出来ないでしょうね。
では日蓮が全く民衆のことを考えていなかったのか?というと「0」ではなかったかと。
「万民」というキーワードで学会版御書を検索すると偽書、真偽未決を含めて、のべ137件出てきますし
日蓮宗電子聖典でも「万民」というキーワードで検索すると全体で92件出てきます。
いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下も万民にいたるまで、一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱、掌を合て、たすけ給日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。(撰時抄)
上記遺文は日蓮の願いだったのでは????
鎌倉地震の際の 万民百姓 の状況は立正安国論の冒頭に書かれていますし、別の遺文ですが
日蓮が申事は愚なる者の申事なれば用ひず。されども去文永十一年[太歳甲戍]十月に蒙古国より筑紫によせて有しに、対馬の者かためて有しに宗逢馬尉逃ければ、百姓等は男をば或は殺し、或は生取にし、女をば或は取集て手をとをして船に結付、或は生取にす。一人も助かる者なし。(一谷入道御書 真蹟:上総 鷲山寺外五ヶ所 真蹟断片現存)
日蓮は蒙古襲来時、筑紫で拉致された人達を気にかけて残念に思っていたでしょう。
鎌倉時代、今よりもずっと田舎だったであろう筑紫で拉致された人達が全員武士や貴族であるとは思えません。抵抗できない人達だったのでは?
そういや日蓮遺文に反し、北朝鮮拉致被害者支援を冷たく断ったのは公明党議員でしたね。
いまだに「北朝鮮のためにがんばれ公明党」だったか?とかのHPで公明議員が握手してる写真を掲載してんのかね?
日蓮は反日親中国ではなく親日、反外国、反蒙古(反中国とも言える)だったんだよな。。。。
犀角独歩さんも書いているとおり、創価学会の教える 「キーワード」と「イメージ」 は一度、全て払拭する必要があるかと思います。
信じることが大事(強信)だの、宇宙生命だの、大御本尊だの、戒壇だの創価学会、正宗の教える間違いや悪意ある嘘は100以上あるのでは?
他宗、他人には間違っているだの平気で罵倒誹謗中傷しておきながら、自分たちの間違いには無頓着という。。。まったく。。。。
池田大作氏や日顕氏(日如氏)は末端の信徒会員に 他人、他宗教者の不幸を呪ったり願ったり、喜んだりしない指導を徹底すべき かと。
●選択について
1.選択しても良い人とは?
生命尊厳などの私がウトロさんや運ちゃんさんの発言やコメントを問題にしないのは、現代人が選び取れる宗教の範疇だからです。
一番良いのは、
日蓮には問題点がある。でも私は最終的に日蓮、法華経信仰を選び取ります。
日蓮宗行って勉強してきたら?(罰当たったり地獄に行くわけじゃないんだから)
てな感じの言葉やバランス感覚みたいなものかな?
難解な仏教用語の議論やレッテル張りではありません。
自分自身や日蓮には時として問題があり可謬ですよって言えることが大事かと。サクッと。。。。
mixiやGREEで独歩さんやFBIさんとオフ会であった人には分かると思いますが、
FBIさんあたり特に「俺はいい加減だから~ヘラヘラ(^o^)」とかピエロ役してますが、二人とも仏教など質問したときに真面目に答えてくれますし、全部即答です。
ちょっと待っててなんていわれたこと一度もありません。
選択すべき師匠や先生というのはこういった感覚持ち主や会話の出来る人でしょう。可謬であることは当然で前提です。
2.宗教の選択のしかた
私に言わせれば、どんな宗教にも嘘や間違いはあり、可謬な人間のしたことです。
間違いや嘘だらけ。でもそれを認め謙虚で質素な生活をする教団なんかほとんどありません。限りなく0に近い0.001%とかで宗教なんかそんなものです。
創価正宗蜜月時代は10,000,000人いると豪語した正宗系教団でしたが、富士門流信徒BBSを読めばわかるとおり、日蓮遺文を”客観視して”読み ”議論出来た人” は20~30人程度でしょう。20~30/10,000,000人です。(”議論出来た人”ですから受け身的に読んでいただけの私なんか入っていません。)
時には怒っても良いですが、正宗系教団に拘って怒って去っていった人なんか入っていません。卒業した人はもちろん別です。
脱創価、脱正宗、脱カルトなどを目標とすれば心理学、癒しなどのカウンセリング、という視点から
「(残念ながら?)”自分自身の客観視”がある程度必要では?」
と考えています。
我々は義務教育をベースとする様々な教育科目を受けました。英語、数学、国語、社会、体育、美術、etcetc。。。
職業選択にあたり、レベルはともかくとして世の中の全てジャンルの学問を学んでから選択しています。
宗教選択にあたり、比較的簡単なナツメ社 図解雑学でいいので密教、キリスト教、(原始)仏教、神道、禅宗、真言、密教、(イスラム教あたりは無理か?)ある程度理解した人はどの程度いるのでしょうか?
読んだ人には現代宗教は原始仏教や原始キリスト教とは違うこと、現代宗教にトラブルなど問題点があることが分かるはずです。
普通な人であれば不自然で過剰な自信や罵倒誹謗中傷は出ないはずです。
生命尊厳の哲学が気に入って学んでいく内に自然な形で宗教を選択したのでしょうか?
それとも宗教を学んで選択してから生命尊厳の哲学に魅力を感じたのでしょうか?
別に宗教であれば後者でも問題は少ない(皆無ではない)わけですが、創価などの問題教団(宗教ではないので教団)に関わる人、関わった人には無視できない問題だと思います。
正宗VS学会みたいに日蓮遺文以降しか読まないでバトルするとかも問題でしょう。
創価学会に教えられた民衆仏法、生命尊厳、、等々についてですが私自身も独歩さんの言うとおり、”民衆+宇宙+生命+仏法”など、どうしても仏教を創価学会的、法華経的に見がちです。
学会や正宗などを批判する分には問題ありませんが、世間一般では全く通用しないでしょう。
もう既に現代では原始仏教を含め法華経も日蓮も最高哲学ではないのですから。。。。。(より正統派かどうかは別。より、です。)
過去記事に書いてきたとおり、病人には医学や”良い”医者が必要です。
お医者さんが仏教を学んで慈悲の精神で病人を大切にしてくれれば、それはそれで良くて結構なことです。
でも仏教への依存で病気は治りません。
以上。
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「民衆+宇宙+生命+仏法」なら=>必ず創価学会ではないですね。
創価学会の中に=>「民衆+宇宙+生命+仏法」という
結びつける人が多いのは事実です。
でも100%でもないですね。
民衆仏法は(私のブログでいうところの)創価学会都合な悪しき集団(宗教ではない、教団でもない)の悪しきレッテル張りです。
私が記事の中で日蓮遺文の武家も民衆も含めた”万民”を強調したのは、この為です。(主旨)
(中略)
正宗系信徒会員は意見が異なる人とあまり上手につきあえません。
「自分と意見が異なる人がそばにいてもいい」
そう思って欲しいものです。
(中略)
日蓮を師匠とする弟子、檀那であれば、日蓮と同意が如く
万民、つまり、どんな他者でも真っ先に愛情や慈悲を与えるべきでしょう。
(もちろん自然な会話や議論や喧嘩や怒りをも否定していません。)
(中略)
ではでは
そううそ
--------------------------
民衆仏法という創価学会都合な悪しきレッテル張りには、貴族や武家を除いたかのような異様なイメージがありますが、私は違うと思います。
読んでください。
祈りについても何度も何度も何度も何度も書いていますよ。
どんな祈りが問題であって、
どんな祈りなら問題がないのか?
読んだらお返事ください。
週末にでもきちんとコメントさせて頂きます。
どんな祈りなら問題がないのか?
○
どんな祈りなら問題が少ないのか?