御義口伝七〇一(七一九、七五七ページ)
昭和50年代の御書全集と比較済み。
昭和29年再版時の御書全集は旧漢字です。
1.修正されています。
繰り返しの文字についてです。
昭和29年再版と最近の御書全集の版と犀角独歩さんのブロクを比較すると、昭和29年再版のほうが日蓮墨筆に近かったのではないかと私は想像します。要は昭和29年再版から繰り返しの文字も改悪されたのではないかと考えています。
何時改悪されたのか興味深いですよね。
サムネイル画像
方便品 第五
塵々法々
昭和27年時に日宗社本の霊艮閣蔵の別冊(日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄)を使ったのか、行道文庫版を使ったのかは不明。
御書全集の目次(目録)では日宗社本の霊艮閣蔵(縮刷遺文)を元にした、となっています。
寿量品 第十四
(中略)霊山浄土に列出するなり靈山とは御本尊なり今日蓮らの類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云々。
寿量品、第十五の乃至が◯
日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編と同じ
神力品、第八の乃至が◯
日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編と同じ
行道文庫版「就注法華経御義口伝上目録」
-------------------------
◯原文
◯写本 上巻 日経本、石山本
写本 下巻 日経本要山
◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。
日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編(大正4年)
霊艮閣蔵版の別冊みたいな本らしい
コマ番号 (28/153)塵々法々
コマ番号 (65/153)霊山浄土に利出するなり。
コマ番号 (65/153)寿量品、第十五の乃至が◯
コマ番号 (79/153)神力品、第八の乃至が◯
学会版 編年体(昭和四十九年) (1565)塵塵法法
(1603)霊山浄土に列出するなり。等々、修正済。
(1603)第十五の乃至が◯
霊艮閣蔵版 無し()
行道文庫版(昭和五九年) 上 一三八三ページ(一四〇一)塵塵法法
下 一四三三ページ(一四三八)学会版再版と同じ記述
行道文庫版(昭和七年) 上 一三八三ページ(一四〇一)塵塵法法
下 一四三三ページ(一四三八)学会版再版と同じ記述
下 一四三三ページ(一四三八)第十五は◯でなく乃至
(中略)霊山浄土に利出するなり。
靈山とは御本尊なり。今日蓮らの類ひ、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり。云々。
類纂高祖遺文録(大正四年第四版) 無し
昭和定本 上 3_二五九七、下 3_二六六二ページ
-------------------------
正確に写されたかもしれない江戸時代の版本を使えなかったのは、堀日亨が元法主だったためです。
法主を引退した堀日亨は当時の法主に大石寺の写本(版本)を見せてもらえなかった、ということです。
写本(版本)を見ることが出来るのは法主と能化だけだからです。
こうしたことは正宗の古くからの法華講の方々はよく御存知の様です。
再三再四、私は霊艮閣蔵版(縮刷遺文)や行道文庫版の稲田海素さんの真筆対照記録を取り上げています。明治、大正、昭和初期にかけて、執行海秀さん、稲田海素さん、浅井要麟さんは大石寺から真筆や写本を読むことが許可された事実が重大な点だと理解できませんか?
ところが、未だに真筆対照記録の重要性がわかってない最近の法華講信徒(元学会員)や学会員が多いのでしょう。
最近でも創価学会は日蓮正宗と日蓮宗の僧侶同士の交流を謗法だとして誹謗中傷しています。
こうした誹謗中傷は見当違いも甚だしいです。池田大作をはじめとした創価学会員は何も知らない小物ということが理解できます。池田大作や学会本部トップは創価新報や御書全集の年表について知らなかった、とでも言い訳するのでしょうか?今後の創価学会の言動が実に興味深いです。
以上
'170309
凡例により、創価学会の盗用の疑惑が一歩、濃厚になった。
'170312
追記修正した。
昭和50年代の御書全集と比較済み。
昭和29年再版時の御書全集は旧漢字です。
1.修正されています。
繰り返しの文字についてです。
昭和29年再版と最近の御書全集の版と犀角独歩さんのブロクを比較すると、昭和29年再版のほうが日蓮墨筆に近かったのではないかと私は想像します。要は昭和29年再版から繰り返しの文字も改悪されたのではないかと考えています。
何時改悪されたのか興味深いですよね。
サムネイル画像
方便品 第五
塵々法々
昭和27年時に日宗社本の霊艮閣蔵の別冊(日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄)を使ったのか、行道文庫版を使ったのかは不明。
御書全集の目次(目録)では日宗社本の霊艮閣蔵(縮刷遺文)を元にした、となっています。
寿量品 第十四
(中略)霊山浄土に列出するなり靈山とは御本尊なり今日蓮らの類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云々。
寿量品、第十五の乃至が◯
日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編と同じ
神力品、第八の乃至が◯
日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編と同じ
行道文庫版「就注法華経御義口伝上目録」
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◯原文
◯写本 上巻 日経本、石山本
写本 下巻 日経本要山
◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。
日宗(新報)社「御義口伝・日向記」加藤文雄 編(大正4年)
霊艮閣蔵版の別冊みたいな本らしい
コマ番号 (28/153)塵々法々
コマ番号 (65/153)霊山浄土に利出するなり。
コマ番号 (65/153)寿量品、第十五の乃至が◯
コマ番号 (79/153)神力品、第八の乃至が◯
学会版 編年体(昭和四十九年) (1565)塵塵法法
(1603)霊山浄土に列出するなり。等々、修正済。
(1603)第十五の乃至が◯
霊艮閣蔵版 無し()
行道文庫版(昭和五九年) 上 一三八三ページ(一四〇一)塵塵法法
下 一四三三ページ(一四三八)学会版再版と同じ記述
行道文庫版(昭和七年) 上 一三八三ページ(一四〇一)塵塵法法
下 一四三三ページ(一四三八)学会版再版と同じ記述
下 一四三三ページ(一四三八)第十五は◯でなく乃至
(中略)霊山浄土に利出するなり。
靈山とは御本尊なり。今日蓮らの類ひ、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり。云々。
類纂高祖遺文録(大正四年第四版) 無し
昭和定本 上 3_二五九七、下 3_二六六二ページ
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正確に写されたかもしれない江戸時代の版本を使えなかったのは、堀日亨が元法主だったためです。
法主を引退した堀日亨は当時の法主に大石寺の写本(版本)を見せてもらえなかった、ということです。
写本(版本)を見ることが出来るのは法主と能化だけだからです。
こうしたことは正宗の古くからの法華講の方々はよく御存知の様です。
再三再四、私は霊艮閣蔵版(縮刷遺文)や行道文庫版の稲田海素さんの真筆対照記録を取り上げています。明治、大正、昭和初期にかけて、執行海秀さん、稲田海素さん、浅井要麟さんは大石寺から真筆や写本を読むことが許可された事実が重大な点だと理解できませんか?
ところが、未だに真筆対照記録の重要性がわかってない最近の法華講信徒(元学会員)や学会員が多いのでしょう。
最近でも創価学会は日蓮正宗と日蓮宗の僧侶同士の交流を謗法だとして誹謗中傷しています。
こうした誹謗中傷は見当違いも甚だしいです。池田大作をはじめとした創価学会員は何も知らない小物ということが理解できます。池田大作や学会本部トップは創価新報や御書全集の年表について知らなかった、とでも言い訳するのでしょうか?今後の創価学会の言動が実に興味深いです。
以上
'170309
凡例により、創価学会の盗用の疑惑が一歩、濃厚になった。
'170312
追記修正した。