創価学会の信仰に功徳はあるか?

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393-25.撰時抄(下) 御書全集(昭和29年再版)誤記 その18-1

2017年03月24日 00時58分14秒 | 日蓮系遺文
撰時抄 (全集二七四ページ)

昭和29年と平成27年(2015年の第二版)の御書全集と編年体を比較済み。

1.「なづけたり」「さだめたり」と御書全集と編年体で異なっています。

サムネイル画像
撰時抄
左が編年体(昭和49年、西暦1974年)、右が平成27年(2015年の第二版)の御書全集。



昭和29年再版は、もちろん「さだめたり」。

すぐ横もおかしいです。

彼の往生要集には顕密の教法は〜      御書全集(平成27年、2015年の第二版)
かれ往生要集にかかれたり。顕密の教法は〜 編年体(昭和49年、西暦1974年)、


2.まとめ

 もう呆れるというか、失笑というか、酷すぎます。
日蓮さんが「さだめたり」と誤ったのか、後々の写本が「さだめたり」としたのかもしれません。
どちらでもおおよその意味はとれますし、どちらでも日蓮さんの大きなミスとは言えません。

しかし遺文作成としては重大な問題であり、昭和定本は履歴を明記した上で「なづけたり」と修正されています。
昭和定本が修正されていることから、おそらくは「なづけたり」が正しいのでしょう。
御書全集が未だに修正されていない点は、もう呆れるというか、失笑というか、酷すぎます。

編年体の初版は1973年、5刷は1974年です。2017年の今も御書全集には誤記があり「44年間も」ずっと放置されているのです。

仮に、編年体が間違っていれば、元になった聖教文庫版は一体どこから本文を盗用して持ってきたのか、という新たな疑惑が出てきます。
編年体が正しければ、御書全集の初版が出たのは昭和27年西暦1952年(再版は昭和29年西暦1954年)から2017年の今までずっと、修正されていないことになります。

393-5.創価学会版 御書全集(昭和29年再版)誤記 その5 一代五時継図 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
これと同じく、創価学会の御書だけだと、どちらが正しいのか訳が分かりませんね。

ごちゃごちゃというより、メチャクチャでしょう。

もくじ1,2の頃、記事やコメントに頻繁に書いていたのですが、私は学会員について異様な特徴に気が付きました。それは「創価学会員は言動がごっちゃになっている」というものです。
こうした遠因は戸田城聖や池田大作にあるのかもしれません。


本指摘については深く調べていません。
暇があれば、自分の分や50年代等々を調べても良いのですが、その必要もないでしょう。
今の私が優先しているのは、盗用や剽窃の元を探すことであって、学会版御書の個々の間違い探しは、二の次です。
学会本部が苦労すればいいだけです。

今、私がしていることだけでも、本来は学会本部から「深く深く謝罪されて当然」です。また池田大作から末端の会員に至るまで全学会員から、十分に感謝され讃えられるべきことです。戸田城聖の発刊の辞によれば、池田大作よりも原田会長よりも私のほうが師弟不二していることになります。



「撰時抄」
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◯原文 漢字かな交じり文
◯真筆 

◯各遺文ページ数
記載された表現のままにした為、漢数字と英数字で不統一にした。

霊艮閣蔵版 一二一八ページ(一二一九) 「さだめたり」 学会版(昭和29年再版)と同じ
行道文庫版(昭和五九年)
行道文庫版(昭和七年) 一二〇ページ(一二〇)「なづけたり」「かれ往生要集にかかれたり。」
類纂高祖遺文録(大正四年第四版) 「さだめたり」 学会版(昭和29年再版)と同じ
類纂高祖遺文録(大正八年第十一版)「さだめたり」 学会版(昭和29年再版)と同じ

昭和定本 (2003年)1_一〇三一ページ 「なづけたり」「かれ往生要集にかかれたり。」
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以上
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