ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

バッテリーの配給だって、戦術だって、日本の方が進んでいる・・・

2010年07月31日 | Weblog
「朝日新聞」2010.7.20付けより。

(先日のつづき)
つまりそれは、米国のメジャーリーグと比較して、ということだった。野球発祥の地だから、アメリカのベースボールこそが、理想だと思うのは間違いらしい。

現在のメジャーリーグは多国籍で構成されている。ドミニカ共和国、ベネズエラ、プエルトリコなどの選手が多いという。また最近では、日本の高校や大学のいい選手を米国のスカウトが調査をしに来ることも頻繁になっている。

日本でもアメリカでもドラフトで入団した選手がいきなりメジャーで活躍すると言うのは未知数だ。しかし、同じ“新人”なら既に日本でかなりの実績を上げた選手なら、貴重な即戦力としてある程度見込めるのだろう。

また、日本や韓国のプロ野球選手がメジャーに移籍して、いきなり活躍できるレベルまで来ている。人気の日本人選手がアメリカに移ってしまうのはさみしいが、そこで活躍する姿はまた日本人として嬉しいものがある。

桑田氏は、メジャーに行って、稼ぐためなら手段を選ばないということを実感したという。上手な選手も薬物に手を出していたことがわかったからだ。また、大事な野球道具を粗末に扱っていることにも失望したようだ。ここでのポイントは「米国を手本にしない」だった。

ミスをなくそうとムダな努力をするよりも、ミスから学ぶことのできる選手の方が、成長が早い。

2010年07月30日 | Weblog
「朝日新聞」2010.7.20付けより。

ここでの冒頭に「野球はミスをするスポーツです。イチロー選手だって打席に立った半分以上はアウトになる」というのがあった。そう言えば、平均の打率が3割5分としても、6割5分は失敗ということになる。

いくら完璧だと思えるスイングでも投手からそれ以上のボールを投げられれば、凡打になる可能性の方が高い。チームプレーでは、お互いにミスを補い合いながら勝利を目指すしかない。

ミスをしたからといって、その選手を怒鳴りつけたり罰則を科すのは、あまり意味がないようだ。ミスをしたなら、どうして失敗したか考えるチャンスだととらえるべきだという。そして次にミスを減らす練習をすればいいだけのことだった。

一般の仕事や勉強にも同じことが言えそうだ。ミスをしない完璧な人などいない。ミスをしてもそれを次の自分の課題とし、克服できるかどうかがポイントだった。ここでの小項目は成長するためには「どんどんミスしよう」となっていた。

まじめで才能のある選手ほど(中略)、表舞台から消えていった。

2010年07月29日 | Weblog
「朝日新聞」2010.7.20付けより。

この日の「オピニオン」というコーナーは紙面の3分の2を費やして、「球児たちへ 野球を好きになる七つの道」と題して、現在評論家の桑田真澄さんが語っていた。毎年夏になると思いだすクワタは2人いた。桑田佳佑と桑田真澄だった。

ミュージシャンとして30年以上にわたってトップを走り続け、現役バリバリのサザンのメンバーはすごいものだ。ライブをすれば瞬く間に数万のチケットが売り切れてしまう。まだまだ50代、60代の現役アーティストは元気でトップを走っている。(昨日の報道でサザン桑田氏のライブがキャンセルになったのはやや心配だが)

さて、桑田真澄さんは高校時代から甲子園を沸かせた代表の一人だ。PL学園の全盛期には、何度か甲子園に足を運んでバックネット裏から観戦したものだった。その後、プロでの活躍も素晴らしかった。またメジャーの舞台に挑戦した姿もすごい。

そんな彼が現役時代を振り返って、練習時間が長すぎたと感じ、自らその短縮を監督に提案していたと語る。基本は短時間で効果的な練習をして、各自の課題や体調に応じて個人練習をしていたという。むしろ練習時間を増やすことでの弊害が多いことも指摘していた。

そこで、野球を好きになるポイントの一つは「練習時間を減らそう」だった。これは、昨年大学院で論文を書く際に、プロ野球選手270人にアンケートをした結果、高校時代の練習時間があまりにも長いことに驚いたからでもあった。要は集中力がどれだけ続くかの問題なのだろう。

上記フレーズのなかの(中略)部分には「指導者から支持されるままに頑張りすぎて、ケガをして」となっていた。また練習を増やし過ぎると、動作が徐々にゆっくりになってしまい、その動きを脳が覚え、体に染みついてしまうそうだ。

違和感や嫌悪がたくさんあって初めて「これがいい!」という判断ができる。

2010年07月28日 | Weblog
「違和感のチカラ」齋藤孝著より。

つまり、消去法で嫌なものを消していけば、残ったものが実は好きだったのだという判断もつくというこのなのだろう。趣味、好みがない人には嫌いもないわけだ。

身近な例では同僚とランチに行く時がそうだ。「何にする?」に対して「何でもいい」という答えが多いが、それが一番困る。肉、天ぷら、魚、和食、洋食、カレー、ラーメン、日本そば、イタリアン、すし、中華・・・。

そして、「ラーメン」といえば、きのうそれ食べたから今日は避けたいとなるだろう。その選択に困ってしまう。まあ、迷うほどあればそれも贅沢なのかもしれないが。とにかく、あれとあれは今日は食べたくない、となれば絞りやすくなる。

さらに「これではない」、という選択肢をたくさん挙げられれば判断しやすくなる。齋藤氏は「優れた決断とは、百の違和感、千の違和感によってふるい落とされたときに、手元に残ったものなのではないか」と語っている。

初めは違和感があったものの、時間の経過とともにそれは薄れてしまう。違和感センサーが鈍くならないようにするためには、立ち止まって考えることも必要そうだ。これでいいのだろうか?と常に疑問を持ちたいもの。

好みは千の嫌悪から生まれる。

2010年07月27日 | Weblog
「違和感のチカラ」齋藤孝著より。

これはフランスの文学者ポール・ヴァレリーの「好愛は千の嫌悪から成る」という言葉の応用のようだ。そもそも嫌悪は、その対象への関心がなければ起きない感情だろう。

たとえば、かつての総理大臣田中角栄や現在の小沢一郎氏のことを嫌いだという人も多いようだが、一方で彼らを強く支持し、尊敬する人たちも多くいることは確かだ。利害以外にも他にはない何らかの魅力を感じているのだろう。好きかどうかの前に心が動くかどうかということが初めにある。

芸術家の岡本太郎は、単に“きれい”と“美しい”のとは違うと述べていた。“美しい”には、何らかの驚きや感動が含まれているように思われる。そんな感覚とどことなく似ていそうだ。

ここに、齋藤氏の身近であったエピソードがあった。ある教師の研究会のグループで何かと意見が対立する、男女の先生がいたという。ところがいつの間にかすっかり仲がよくなって、ついには結婚してしまったそうだ。

友達どうしや夫婦でも、よく「けんかするほど仲がいい」などという言葉もある。やはりそれなりの関心があるからこそ、けんかになるのかもしれない。まったく関心がないものには誰もが無視するだろう。

タレントの好感度調査がたまに新聞に掲載されるが、好きの方にも、嫌いな方のランキングの上位にも名前が出てきたりする。関心の高さという点では、ある意味タレントとして成功しているのだろうな~。

<気づかないふり>を続けると、気づけなくなる。

2010年07月26日 | Weblog
「違和感のチカラ」齋藤孝著より。

この部分を読んで、挨拶がまず頭に浮かぶ。朝、「おはようございます」という言葉がなんの抵抗もなく習慣としてできるならいいが、そうでない人もいるようだ。

べつに、そんな挨拶がなくても一日はスタートできるが、それが当たり前になってしまうとヘンだということにも気づかなくなってしまう。気づいていながらも、他人と出会ったときに即座に挨拶ができないと、ますます気づけなくなってしまうのだろう。

仕事でもそれはいえる。業績を上げるためには、それが必要だろうということはわかっていても、何となく過ごしているうちに、別に必要性も感じなくなってしまう。大事なことだという意識も薄れてしまうのだろう。

これはちょっとおかしい!ということに気づいたら、それをすぐに伝達できる職場環境が必要なのだろう。まあ、いいか、が当たり前になってしまうとますます違和感を感じなくなってしまう・・・かも。

違和感を察知するセンサー<違和感センサー>は、誰もが本来、持っている。

2010年07月25日 | Weblog
「違和感のチカラ」齋藤孝著より。

このなかで、わざわざ「本来」という言葉が使われているのは、実際にはそれがうまく使われない場合があるからだろう。しかし、筆者は現代を生き抜く必須の感覚が違和感だという。

それは、現代社会が以前の時代に比べてリスクが非常に増えてきているからだった。情報があふれてくると何を信じていいのかもわからくなってしまう。

ケータイを持っていていれば、迷惑メールが着たりもする。パソコンを閲覧しているうちに、悪質なビジネスに出会う可能性もある。また自宅にはさまざまなところから売り込みの電話がかかってきたりもする。

さらに、かなり前からある振り込み詐欺の被害も止まらない。ますます手口が巧妙になっているようだ。そこでは、どれだけ知識があるかというよりもむしろ、感覚を鋭敏にタフにしておかねばならない。

筆者はそれを「違和感センサーを磨く」と言う表現を用いていた。「なんか引っかかる」という違和感をしっかりつかんで、危険の匂いがすることを見逃さないようにしたいものだ。

魅力的な唇を手に入れるためには、優しい言葉を話すこと。

2010年07月24日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」7月号より。

サム・レヴェンソン(アメリカの作家1911-80)の言葉だった。これは2行にわたる名言だった。もう一文は「美しい瞳を手に入れるためには、相手の長所を探すこと」だった。女性向きのフレーズのようだ。

どちらも、「魅力的な唇~」「美しい瞳~」と実にキザな感じさえ思えるが、凡人には容易には思いつかないフレーズだ。さすが、作家だけのことはある。

これは、女優のオードリー・ヘップバーンが好んでいた詩の一節だという。英語の原文では次のようになていた。“For attractive lips, speak words of kindness. For lovely eyes, seek out the good in people.”

日本語でも美しいと思える言葉は、英語でもやはりattractive, lovelyと優しい単語が使われている。また逆に優しくない言葉が発せられる唇は、たいてい魅力的とは感じられないのだろう。

幸運とは、流した汗に対するボーナス・・・

2010年07月23日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」7月号より。

このあとには、「汗をかけばかくほど、幸運になる」と続いていた。これはレイ・クロック(アメリカの企業経営者1902-84)の言葉だった。

いきなりこの人の名前を聞いてもピンとこなかったが、今や世界的企業となった、あのハンバーガーチェーン「マクドナルド」の基礎を築いた人物だった。

52歳でマクドナルド兄弟と出会い、フランチャイズ権を獲得し、全米に拡大し、118カ国、約3万店(2009年)に至っている。そんな彼の言う言葉だとなれば、やはり汗をかくべきだと思わざるを得ない。結局、幸運は汗を流さないうちは期待してはならないということなのだろう。

よくラッキーという言葉からは、タナボタということばを連想するが、そのタナボタさえも、ただ眺めているだけでは手に入らない。棚を揺らすか、棒を使って落とすしかない。自分なりの努力(汗)をしてはじめてボタモチは味わえるのかな・・・

人生はマラソンなんだから、百メートルで一等をもらったってしょうがない。

2010年07月22日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」7月号より。

実にシンプルでわかりやすい。とかくものごとに一喜一憂してしまうこともあるが、このようにものごとを長い目で見ることが大事なんだと思いださせてくれる。

この名言を残したのは、石坂泰三(企業経営者1886-1975)だった。この人の名前だけは聞いたことがあるが、詳しくは知らなかった。ここに略歴があった。

第一生命保険会社の社長として経営刷新に取り組んだ後、東芝社長として大幅なリストラで会社の再建を成し遂げた。1956年からは経団連会長を12年間務めていた。

こんな実績を残した人の言葉は、簡潔だが実に重みを感じるものだ。人生でちょっとしたことで、人と比較して勝った、負けたと思いやすいものだが、それはほんの一部に過ぎなかったのだ。

もし売上げ予算のことを考えるなら、数か月達成できたからといって、年間でどれほどになるのかを考えれば喜ぶわけにはいかなないだろう。一年達成してもその後が問題だ。

学生なら一流有名大学に入ったことと、その後の人生での幸福の度合いとは必ずしも一致しないものだ。学歴よりもむしろ、その人の考え方、生きる姿勢で人生は大きく変わっていくものだろう。

喜びがあるところに、継続はある・・・

2010年07月20日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」2010.7月号より。

これは昭和の鉄人といわれた元プロ野球選手、衣笠祥雄さんの述べていたことだった。この回のテーマは継続だった。衣笠氏は連続試合出場で当時の世界記録を打ち立た。それは2215試合だった。現在の記録は大リーグのカル・リプケン(オリオールズ)となっている。

1975年に広島カープはそれまでの万年Bクラスから、球団史上初の優勝を決めた。その時衣笠は、「喜びがあるから頑張れる。苦しければ苦しいほど、その喜びが大きくなる」と述べていた。それは実感だろう。つまりそれが継続の原動力だったのだ。

体調を崩しても、けがをしても不屈の精神と体力でボールに食らいついて頑張っていた。ところが、1979年8月1日、対巨人戦で西本投手からのデッドボールで左肩は全く動かず、呼吸もできないほどだった。全治2週間の骨折だった。ドクターストップもかかってしまった。

ところが、翌日の試合に衣笠の姿があったのだ。ようやく左腕が少し動く状態で、代打として出場していた。結果はフルスイングで三球三振だった。この年チームは2度目の優勝をしていた。

ここに衣笠が残した名言があった。「大きな喜びは、どれだけ時間が経っても、いつまでも残る。また、あの喜びを得たい。それが継続を生むのである」。やはり初優勝の喜びが身にしみるほど大きくて、その後の活躍にもつながったようだ。

CMを「伝える技術」という観点から見ると、ある意味では最高のお手本になり得る・・・

2010年07月19日 | Weblog
「1分で大切なことを伝える技術」齋藤孝著より。

1分という時間はCMの4本分だとみると、実に多くの情報が盛り込まれていることが実感できる。つまり1つは15秒単位だ。短い時間でメッセージを伝えるということを考えれば、優れたCMなら参考になりそうだ。

結果的に出来上がったものは15秒に過ぎないが、それが出来上がるまでの過程には実に多くの時間と人が費やされている。知名度のある人物を使ったり、撮影する場所や方法によっては、膨大な金額にもなる。

だからこそ、その短い凝縮された時間に効果的なメッセージを盛り込もうと必死なのだろう。しかも印象に残らなくては意味がない。時どき何が言いたいのかがぼんやりしているCMにも出くわすが、もったいない気もする。

CMは15秒間という極めて限られた時間に表現しなければならないということをみれば、ふだん自分たちはたっぷりとした時間を使っていることにも気づく。ということは数分間あれば、なかりの内容を盛り込んで話せるはずだが。

また15秒間のCMがどのように構成され出来上がっているかを考えてみるのも勉強になりそうだ。またどうやってその発想が生まれたのかを探ってみるのも面白そうだな。

一番怖いのは、デメリットが示されていない企画が通ること。

2010年07月18日 | Weblog
「1分で大切なことを伝える技術」齋藤孝著より。

まずは、企画ということを考える前に、一般のモノを売るための広告のことを思い出してみたい。そこには、ほとんどがいいことばかりうたってある。この商品にはこういうメリットがあると述べるのは当然だろうが、それだけを信じるというのもどうだろう。

たとえば、それを使えば効果があるとはいっても、ある一定期間使用を続けた場合とか、こんな場合には効果が見られないこともあるだろう。また逆にこんな人にはほとんど効果がない場合もあることなどはなかなか発見しづらいものだ。

おいしいことばかりが表現されていたらやや怪しいと思ったほうがいいのかもしれない。個人差がある、写真とは異なる、商品は返品不可などがあればかなり怪しいものと判断すべきだろう。仕様書などはすべて書いた方に有利に出来上がっている。たとえデメリットが書かれていても細かくて読みずらいものだ。これがトラブルのもとになる。

話をするときもメリットと同時にデメリットの部分も語るべきだったのだ。そして、「そのデメリットはこうすれば消える」というように展開していけば、納得してもらいやすい説明となるようだ。だから、メリットばかりの企画が通ってしまうとあとで恐ろしいことにもなりかねないのだろう。

時間における「トヨタ方式」

2010年07月17日 | Weblog
「1分で大切なことを伝える技術」齋藤孝著より。

いったいこれはどんなことだろうと、ちょっと気になった。筆者はストップウォッチの利用をすすめいている。これによって時間意識がでてくるからだという。もし効率的にしごとをやろうと思えば、時間を意識してムダ・ムリ・ムラをなくすことが大事なことだった。

つまりそれが時間におけるトヨタ方式というものだった。目の前に時計がなければ、時間の経過がわかりにくいもの。しかし、初めからストップウォッチを用意しておけば、その進み具合がわかるようだ。

ストップウォッチというと、なんだか秒単位で時間が進むようであわただしい感じもするが、1分という単位でみるとそんな時間だけでもかなりの情報が盛り込められる。

たとえば、この新書版の1ページを読むと約1分だという。そこで実際に声に出して読んでみたら、その通りだった。そんなことは意外に気がついていないものだ。

実際に1分間で内容のあることを話すのは難しそうだ。当然訓練が必要だ。齋藤氏はそれを「つぶやき方式」でやるといいと提案している。ポイントは黙読ではなく、必ず声に出して練習することだった。

関係づくりの決め手となる言葉は、印象的な一言であることが多い。

2010年07月16日 | Weblog
「1分で大切なことを伝える技術」齋藤孝著より。

たとえば、テレビ番組をみる際にチャンネルを切り替えるが、面白いかどうかを見分ける時はほんの一瞬に過ぎないことが多い。言葉も同じように、短い時間でも内容があるかどうか、印象的かどうかが決まってしまう。

齋藤氏の経験によれば、自分をアピールできるのは1分程度だと想定している。この時間を短いと見るか長いと見るかだ。人と話す時に短ければ待ってくれるが、その話がだらだらと長いとイライラしてくる。

言葉の量が多いからといって、その効果があるとは言い切れない。また時には、余計なひと言で悪い印象を与えてしまうことさえある。1分で言いたいことをまとめるコツについて書いてあった。

まず、話の問いを発するのがスタートだった。その次にポイントを3つほど入れて、最後に問いの答えとなる一文でしめくくる、つまりそれがゴールだった。

私の好きな言葉にもシェークスピアの「簡潔は知恵の真髄」“Brevity is a soul of wit.”という言葉がある。齋藤氏は、簡潔かつ印象的に話すことは、才能よりもむしろ練習だという。